市川監督はカメラの位置を変えず固定したまま撮影するのが好きだそうで、出来るだけうごかさない様にしようとする。宮川カメラマンは反対にどんな小さな場面でもクレーンをもちこみ、移動撮影しようとする。今日はそんなお二人の持味が良く出ていた撮影でした。

 第七ステージは大映京都で二番目に大きいとか・・・。ステージに入るとこれ又、市川監督ならではのセット、前の実物大もそうですが、ここに組まれている様に、お芝居の装置を見る様なセットが広いステージに並んでいる。まず河内屋の商蔵だけ、次が、女をあずけたお寺に建てられたお風呂場だけ。次がぽん太の子供太郎を里子にずけた小さな鉄工所の小さくきたない居間だけ、と云った様に・・・。今はこの一番奥で最後に紹介したセットでの撮影です。

 昨日、一昨日は喜久治が若い頃でしたから雷蔵さんという感じでしたが、今日は太郎が十五才になり、雷蔵さんが四十才前後、若尾さんが三十過ぎという事になります。(昭和二十年二月)

 雷蔵さんはもう頭に白いものがまじり、国民服を着て首には厚ぼったい衿巻をして、一寸前かがみに歩く所をみると、満更ふけも悪くはないと安心したりしました。でもなんだか変です見なれないせいですね、きっと・・・。

 六畳あまりの小さな部屋に太郎が片目だけ出して、頭全部にホータイをまいて寝かされている、太郎はそこで生れて初めて父親の喜久治と対面するわけです。始めに部屋全体を撮るためカメラは上の方からこの親子三人をとらえる。次に、雷蔵さんのアップがある。柱にかかった古ぼけた時計の音が録音部さんに気に入らず、又一騒ぎ。一方雷蔵さんは「弱いくせに喧嘩しなや」というセリフのアクセントについて、大阪弁を指導する人と話合い、監督を交えてテストするなど細かい所まで神経を使っている。さてそうしている間も、入れ替わり立ち代り見学者がこのセットに入って来るので、私の様な素人記者は居る所がなくなり、ついに照明部通称お二階さんと云われる階段でこわごわ見る事にする。

 カット変りになると、これも市川組ならではのものですが、今まで写した方向とは全然反対のため、カメラに入る部分にはたちまち大道具さんの手で壁がはめられ、柱が立てられ、小道具さんの手で机タンス等がはこびこまれ、手ばやくセットが作られて行く。セットのわきには、このシーンで使う茶ダンスから醤油ビンに至るまでつまれているのを見ると、お芝居の楽屋と云えます。準備が出来ると、宮川カメラマンの指図で、小さいクレーンが持ち込まれて来た。せまい部屋ですのに移動撮影なんか、それに動きが無理なのに・・・と思いますがそこがそれ、素人にはわからぬ所、さて演技の方はテストをくり返しやっているが相手が子供だけに、中々OKが出ない。監督さんが「坊や、ヨーイと云ったらお父さんの方を見るんだよ」と云うと・・・えっ、お父さんって雷蔵さんの事かなあ・・・雷蔵さんを見るとこれ又、テレくさそうな顔をしているのです。何回もテストをやるうちにこの坊や、相手が雷蔵さんと若尾さんのためかすっかりのぼせてしまい、おフトンを取ってもらったり、ホータイをゆるめたり。「坊や、だいぶ興奮しとるなあ、どうや水でものむかい?うん」と話しかける雷蔵さんのその言葉が、ほんとうの父親の様に感じちゃって一人で満足しているのに気がつきました。

 今日はめずらしく五時に「お疲れ様」の声を聞き、ほっとしました。雷蔵さんは夜、大阪へ飛んで、折から行われていた大阪場所へ雑誌のお仕事で出掛けられました。外は雨、ロケは当分出来ない由。

 

 

 

 船場の母系家族に秘められた執念の女二人 お家はん・きの に毛利菊枝さん。御寮人はん・勢以に山田五十鈴さん