1962年9月16日(日)公開/1時間13分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「あした逢う人」(井上芳夫/本郷功次郎・叶順子)

監督 田中徳三
脚本 八尋不二・浅井昭三郎
撮影 武田千吉郎
美術 西岡善信
照明 岡本健一
録音 長岡栄
音楽 斎藤一郎
助監督 土井茂
スチール 三浦康寛
出演 高千穂ひづる(千夜)、高野通子(お鈴)、万里昌代(お染)、天知茂(寺田七郎太)、友田輝(寺田兵馬)、加藤嘉(了海和尚)、上田吉二郎(月山坊徹厳)、浜村純(高柳又四郎)、石黒達也(浅利又七郎)、水原浩一(平助)、寺島雄作(刀屋惣助)、伊達三郎(森下義太郎)、玉置一恵(風林坊惟然)、林寛(善兵樹)、橋本力(大雲坊忍剣)、嵐三右ヱ門 (海坊主道満)、沖時男(白井享)
惹句 『肉を斬り、骨を断つ剣の魅力を結集雷蔵が見せる鮮烈の大殺陣

■ 梗 概 ■

 剣に憑かれた青年千葉周作は、殺人鬼の腕に抱かれた赤子の命を犠牲にしても己が剣の修練のみを考えていた。江戸に出た周作は剣聖、浅利又七郎の道場に入った。高柳又四郎の音無しの構えにうちのめされた周作は、凄じい剣への執念を燃やして精進した。彼の腕はめきめきと上り、そしていつか浅利の娘千夜と心を通い合わせるのだった。

 だがある夜、千夜に横恋慕する寺田兵馬をやむなく斬ったことから、周作は道場を去ることになった。“剣は心だ、心を持って心を斬る"と浅利はさとしたが、周作の耳にその言葉は入らなかった。剣の道を求めて諸国をさまよう周作の耳にかつてその幼い命を失わした赤ん坊の泣き声がつきまとった。

 その頃、浅利道場を訪れた兵馬の兄、寺田七郎太は高柳又四郎と立合い、その音無しの構えを破った。さすらいのはて、とある漁村に来た周作は、断崖の上に赤ン坊を抱いて哄笑する狂女を見た。何もかもいつかの時と同じだった。周作の計略が図に当って赤子は無事に救い出された。会心の笑みをうかべる周作には、人の心を包む温かさが感じられた。

 江戸に戻った周作に、待ち受けていた七郎太はすぐさま果し状を送って来た。時は明け方、場所は薄の繁る千丈原。現われた七郎太の背は陽光を背負って周作の眼を射た。七郎太の策を悟った周作は脱兎の如く走って場所を変え、十数間を距てて相対峙した。両者の手に同時に白刃がひらめき、疾風の如く駆け寄った二人は剣を振り下した。一瞬後、立ちつくす周作の面上には喜びも悲しみもなく、ただ、虚しさに似た超越の境地に澄み切っていた。(キネマ旬報より)

  

 
 
 

 北辰一刀流の名手、千葉周作の若き日を描くこの『剣に賭ける』は、八尋不二脚本、田中徳三監督でクランクを開始した。

 市川雷蔵が千葉周作を演ずるほか、高千穂ひづるが周作と心を通わせる娘千代を演じるのも話題

 われ生涯を剣に賭けんと、剣の修行のためふるさとを捨てた青年剣士周作が、江戸ですごす青春の日々や、失恋して再び剣の道を求めて遍歴の旅で遭遇する事件の数々を、好調の波に乗った雷蔵が演じわけようというのが狙い。ほかに共演者は、万里昌代、高野通子、天知茂が顔をそろえる。(近代映画61年11月号より)

 

 

   

                                剣に賭ける                            村上忠久

 若き日の千葉周作を主人公にして、剣に生涯を賭ける一人の男の姿を描こうというのが主題なのだが、物語の構成は、極めて弱い。一応は周作の剣の道への修行、という形で筋が展開されるし、剣をもって剣を斬るのではなく、心をもって心を斬るというのこそ、本当の剣の道だと、主人公が覚る、ということになっているが、映画自体は、何度かの剣闘を見せるために、こうした筋がこね上げられたという感が強い。こうした筋に二人の女が絡まるが、周作の師浅利又七郎の娘の方はとにかく、芸妓お染の扱い方なども可成り無理があるし、眼目というべき寺田七郎太と周作の最後の方に置かれている決闘も、その成立に無理がある。

 剣の心を覚るという主人公の修行を画面で示すことの難しさは判るが、形だけでの修行のきびしさも出ていない。それなら剣闘だけを目当てにしての娯楽篇の面白さが出ていれば、まだしも良いが、それも余り見られないので、映画自体の存在は弱い。田中徳三も、このストーリーの弱さでは、何ともなし難かったようである。一場面、一場面に工夫も見られないではなかったが、それが作品を生かすには至らない。一応整ったシナリオを与えられなくては、監督も手の打ちようがあるまい。

 「斬る」の興行的ヒットが、この作品の発生因となったのかも知れないが、この態度では見るべきものは無い。市川雷蔵については言うべきこともないが、天知茂はとにかく一つの存在として画面を支配していた。他の出演者は何れも可も無く、不可もないといった態度であった。剣闘の魅力も有機的に作品に生きなければ、その魅力を発揮し得ないという見本のような映画であった。

興行価値:凝った工夫のあとも見える時代劇だが、すっきりしない作品。物語展開の面白さにも、スターの魅力を売りこむ痛快な面白さにも欠ける。組合せの工夫でいろどりを出していくほかない。(キネマ旬報より)

 千葉周作は、幕末の三大剣客の一人で、北辰一刀流の宗家。神田お玉ケ池に道場を構えていた。位は桃井(鏡心明智流)、技は千葉、力は斎藤(神道無念流)という評があるように、心形刀伊庭道場ととあわせて江戸四大道場と呼ばれた。

 周作の父幸右衛門は北辰無想流を始めた達人だが、周作を田舎剣士で終わらせないために、浅蜊又七郎に弟子入りさせる。中西派一刀流の名人音無しの構えの高柳又四郎と試合し、その際、打ち込みで踏み切った足で道場の床板を踏み割った。やがて養子となって浅蜊道場を継ぐが、北辰一刀流を立て、弘流のために養家を出る。その後、古馬庭念流との争いなど、竹刀剣術、真剣ともに強味を発揮したといわれている。門人に藤田東湖、清河八郎、坂本竜馬、山岡鉄舟など一流の人物を輩出している。剣の合理性を追求する様を描いた津本陽『千葉周作』がある。( 稲木 新、別冊太陽 「時代小説のヒーロー100」より )

 “幕末三名人”の一人といってもアピールする要素はあまりなく、日活の尾上多見太郎と阪東妻三郎作品が戦前では目につく。川口松太郎の『新篇丹下左膳』では左膳の師であり、右腕を斬る。そういえば平手造酒が千葉門下なのでおつきあいでよく顔を出している。戦後、山岡荘八『若き日の千葉周作』を松竹で中村賀津雄(現中村嘉葎雄)で映画化。もちろんお子様ランチである。大映の“赤胴鈴之助シリーズ”に黒川弥太郎が周作でずっと出演、市川雷蔵が「剣に賭ける」で青年千葉周作を演じた。テレビ「北斗の人」は加藤剛が適役とはいえ面白味に欠けた。また、「剣道まっしぐら」で岩下亮が“一本足剣法”という子供受けの殺陣を工夫していたのが面白かった。(永田哲朗、別冊太陽 「時代小説のヒーロー100」より ) 

 司馬遼太郎作「北斗の人」は、講談社、角川両文庫で読める。津本陽作「千葉周作」は講談社文庫全二巻で読める。

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