沓掛時次郎

1961年6月14日(水)公開/1時間27分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「夜はいじわる」(田中重雄/山本富士子・川崎敬三)

企画 財前定生
監督 池広一夫
原作 長谷川伸
脚本 宇野正男・松村正温
撮影 宮川一夫
美術 西岡善信
照明 中岡源権
録音 近藤正一
音楽 斎藤一郎
助監督 宮島八蔵
スチール 西地正満
主題歌 ビクターレコード 作詞: 佐伯孝夫 作曲:吉田正 歌:橋幸夫
出演 新珠三千代(おきぬ)、杉村春子(おろく)、志村喬(八丁畷徳兵衛)、島田竜三(六っ田の三蔵)、稲葉義男(聖天の権威)、青木しげる(太郎吉)、清水元(玄庵)、千葉敏郎(赤田三十郎)、須賀不二男(溜田の助五郎)
惹句 『恋の長ドス浅間に光る、意地と度胸の渡り鳥』『お待ちかね 雷蔵の全魅力をぶちこんで ファンを唸らす颯爽股旅巨篇

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[ 解  説 ]

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 『沓掛時次郎』といえばいまさらいうまでもなく長谷川伸の数ある股旅物のなかでも最も感動的で、しかも颯爽とした名作。そしてこの“沓掛時次郎”に扮するのが、“濡れ髪”シリーズなど明朗股旅もののヒーローをやってこのところぐっと芸に巾の出て来た市川雷蔵。この作品では久方ぶりに本格的な股旅ものに意欲をもやしているから“雷蔵ファン”はもとより“時代劇ファン”にとっては見のがせない一作といえよう。共演はこれまた特異な個性で好演の新珠三千代。この他、文学座の杉村春子、俳優座の稲葉義男らの新劇人、志村喬、島田竜三、須賀不二夫らのベテランが助演して作品に厚味を加えている。

 それに、この作品のメガホンを握るのがデビュー作の『薔薇大名』につづいて『天下あやつり組』と、とかくマンネリズムにおちいりがちの時代劇に清新の息吹を吹き込んだ池広一夫監督。雷蔵と初めてコンビを組み、きわめてオーソドックスな素材をスピーディに演出している。さらにこの若い演出家を助けて、撮影にはベテラン世界の宮川一夫キャメラマンが起用され、その流麗で迫力あるキャメラワークには期待がたかまるばかりである。( キネマ旬報より )

★沓掛時次郎は長谷川伸の数ある股旅物のなかでも最も感動的で、しかも颯爽とした名作として知られています。

★原作を映画的に脚色してスリルとサスペンスに富んだ物語構成になっており。、時代映画ファンをグットしびれさせる魅力が全篇にみなぎっています。

★「濡れ髪シリーズ」などで、明朗股旅篇の主演をやってきた市川雷蔵が、久方ぶりに取組む本格的股旅篇だけに、彼自身非常な意欲をみせており、張りのある演技が期待されます。

★演出には今まで『薔薇大名』『天下あやつり組』などで清新な感覚をみせた池広一夫監督が起用され、このきわめてオーソドックスな素材をどのような角度から料理するかに興味がもたれます。

★若い演出家を助けて撮影にはベテラン宮川一夫キャメラマンが起用され、その流麗で迫力のあるキャメラワークが注目されます。

★沓掛時次郎の雷蔵に対してその相手役に妖しい魅力と、えもいわれぬムードを漂わす新珠三千代(東宝)が出演することになり、この二人の火花を散らす熱演が話題を呼んでいます。このほか『唄は峠を越えて』で目をみはる名演技をみせた青木しげる、文学座の杉村春子、俳優座の稲葉義男らの新劇人、志村喬(東宝)、島田竜三、千葉敏郎、須賀不二男らのベテランが助演して厚味を加えております。

★主なるスタッフは企画に財前定生、脚本に宇野正男、松村正温のコンビが当り、監督に新人池広一夫、撮影に宮川一夫と新人、ベテランががっちりスクラムを組んでおります。

★橋幸夫が友情の主題歌を入れることになっています。歌謡界の新人として人気絶頂の橋幸夫の哀切の主題歌にのって雷蔵が斬りまくるのも大きな魅力の一つあります。(公開当時のプレスシートより)

◆製作意図

 哀切颯爽たる沓掛時次郎の義侠心を描きたい。

 

       

[物 語]

 一宿一飯の渡世の義理から信州沓掛生れの時次郎は、六ッ田の三蔵に一太刀浴びせた。だが三蔵の女房おきぬへの溜田の助五郎の横恋慕をしるや、時次郎の義憤は爆発、逆に助五郎に立ち向かう。卑怯な助五郎らは三蔵に止めをさして逃げた。三蔵は苦しい息の下から女房おきぬと倅太郎吉を托した。夫の死を知って動揺したおきぬは時次郎を下手人と思い込み、その背に憎悪の眼をむける。時次郎は少しの弁解もせず、おきぬの父源右衛門のいる足利宿へといそぐのだった。

 一方、執念深い助五郎は、渡世の義理を欠いたことを理由にふれ書きを廻し、時次郎とおきぬを懸命に追った。いち早くこれを知った時次郎は太郎吉を背負って裏街道を急ぐ。だが、おきぬは、熊谷宿でどっと病の床に伏してしまった。

 人のいい旅籠桔梗屋の女将おろくは、なにかと面倒をみてやる。医者玄庵の診察でおきぬが身重と知った時次郎はハッとなる。おろくに後事を托して、単身、足利在源右衛門の家へ辿りついた時次郎は、心からおきぬ母子の苦衷を源右衛門に訴えるが、親を捨てやくざと一緒になった不孝者の娘に用はないと冷たく突っ放された。「頼まねえッ」と憤然として飛び出す時次郎。口では強く言ったものの女房おとわの涙をみては、たまりかねて時次郎の後を追う源右衛門。

 おきぬの薬代をかせごうと、折柄、寺の本堂で開帳中の聖天の権蔵の賭場に姿を現わした時次郎を不気味な目でみつめる用心棒の赤田三十郎。夫の仇とも思う時次郎の介抱におきぬの心情は複雑だった。おろくの援助で生活費を得るため時次郎とおきぬは門付けを始めた。渋い時次郎のノドと、おきぬの冴えた三味線が評判をとるようになった。

 溜田の助五郎と兄弟分の聖天の権蔵は、時次郎の留守を狙って、太郎吉を人質にさらおうとした。この危機を救ったのは、熊谷宿の貸元八丁畷の徳兵衛だった。時次郎から事情を聞いた八丁徳はここにいる限り安心しろと胸を叩いた。だが、聖天の権は、助五郎に通報。ただちに八丁徳へ喧嘩状を叩きつけた。

 「売られた喧嘩は買わずばなるめえッ」八丁徳は喧嘩仕度にかかったが思うように助っ人が集まらない。二度とドスはもつまいと心に誓った時次郎ではあったが、再び病に倒れたおきぬの薬代のためにもと、八丁徳の助っ人を買ってでた。その助っ人料の十両をおとくの手に渡して、修羅場へと向う。

 夜の天神の森に対峙した八丁徳と、聖天の権方。決戦の火ぶたは切られ、時次郎は懸命に闘った。その頃、助五郎らは、赤田三十郎を道案内に、桔梗屋を襲っていた。驚くおろくらをしばりあげ、助五郎はおびえるおきぬの姿に舌なめずりした。だが、気丈にも太郎吉をかばうおきぬに用心棒赤田が当身をくれた。悶絶したおきぬを引きずるように拉致しようとした助五郎の前にたちはだかったのは、急を聞いて駈け戻ってきた時次郎。時次郎の必殺のドスが助五郎らに飛ぶ。だが、哀れにもおきぬは虫の息。時次郎はその耳元に血をはくような声で「三蔵さんを殺したのは、こいつらだ。俺のいったことがわかるか」と叫んだ。かすかに肯いたおきぬは、そのままがっくりと息絶えてしまった。決然と立った時次郎は、太郎吉を庇って助五郎らを倒してゆく。

 そこへ一足おそく源右衛門が駈けつけた。おきぬの死に涙する源右衛門にそっと太郎吉を押しやり、時次郎は「いずれやくざの垢を落したらきっと逢いに来るぜ」というや、後も見ずに立去ってゆく。その背に太郎吉の叫ぶ声。ギクッとした時次郎ではあったが、こみあげてくる涙を拭い、ふっきるように街道を行く。(大映京都作品案内 667より)

沓掛時次郎

(↑レコードをクリックすると「沓掛時次郎」が試聴できます)

作詞:佐伯孝夫 作曲・編曲:吉田正 唄:橋幸夫

すねてなったか 性分なのか 旅から旅へと 渡り鳥

浅間三筋の 煙の下にゃ 生まれ故郷も あるっていうのに

男 沓掛時次郎

 

女知らずが 女の世話を その上 坊やの手をひけば

すまぬすまぬと いう眼が辛い 旅だ旅だよ 許してくんな

これがおいらの せい一杯

 

男意地づく 生命をかけて キリリと結んだ 三度笠

義理はすんだが泣かずに来たが またも今日から 行先ァ知れぬ

旅の合羽を 風が吹く

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 長谷川伸は大正十二年に発表した「ばくち馬鹿」ではじめて渡世人を描き、昭和4年の戯曲「股旅草鞋」で“股旅”ということば使い、これ以後、渡世人を主人公とする小説や戯曲を股旅ものと呼ことが定着した。長谷川によれば、股旅とは、旅から旅を、股にかけるという意味で、自分の知っている限りでは、股旅役者といういい方が明治の中期過ぎまであったといい、次いで、自分のいっている股旅とは、「男で、非生産的で、多くは無学で、孤独で、いばらを背負っていることを知っているものたちである。」(『石瓦混淆』)と記している。長谷川の生み出した数々の名舞台を飾った主人公たち、番場の忠太郎や関の弥太っぺ、そして沓掛時次郎らは、皆そうした影を背負った人物として造形されていた。(繩手一男 新潮社:「関八州の旅がらす」解説より)

 「あっしは旅にんでござんす。一宿一飯の恩があるので、怨(うら)みもつらみもねえお前さんに敵対する、信州沓掛(くつかけ)の時次郎という下らねえ者でござんす」相手の三蔵も博打うちだ。「左様でござんすか。手前もしがない者でござんす。ご叮嚀なお言葉で、お心のうちは大抵みとりまするでござんす」このあとふたりは白刃をふるって戦い、三蔵は倒れる。時次郎は三蔵の女房と子供を 連れ、やがて女房に心ひかれつつも、節を守って流浪するのである。

 一八八四年(明治十七年)生まれの長谷川伸は、直哉、実篤、啄木などと同時代人 だ。母と三歳で生別、材木商の家がつぶれたため、小学校も二年まで、十歳以後は自 活せざるを得なかった。十五歳のとき父が土木工事業者として再起するとその手代になった。が、父は仕事に 失敗して逃亡、再び天涯孤独の身に落ちて浮世の辛酸をなめ、二十七歳で都新聞に入 社した。大正末年に作家専業となり、出世作「沓掛時次郎」は四十四歳で書かれた。

 『沓掛時次郎』は昭和3(1928)年7月「騒人」に発表され、翌4年大河内伝次郎主演で映画化されている。現在は、ちくま文庫『瞼の母・沓掛時次郎』(『鯉名の銀平』原作「雪の渡り鳥」も収録されている)で読むことができる。

 長野電鉄・追分駅の側に昭和275月に中軽井沢商工会が沓掛時次郎の碑を建てた。この不器用な男がいかに人々に愛されたかわかるもでのある。その碑には

千両万両枉(ま)げない意地も

人情搦めば弱くなる

浅間三筋のけむりの下で

男沓掛時次郎

と刻んである。

 詳細はシリーズ映画、その他のシリーズの『股旅もののヒーローたち』参照。

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