若い観客を

比佐: たとえば、「ララミー牧場」のジェスという男、あれは大変な人気だね。だから毎週出して行くテレビのこういうものはこわいね。映画という本質は変らないだろうけど、そういったいろんな手を映画の中に、アレンジして行くということは必要だね。

松山: 『悲しき六十才』にしても、『おけさ唄えば』にしても、色彩で、ワイドで、森山や橋幸夫が見られるという宣伝をしたわけですよ。テレビだと十四インチとか、二十インチぐらいのフレームの中でしか見れない。そこが映画の強味なんですよ。そこでテレビの人気者が、ワイドで、色で見られるという宣伝をジャンジャンやったわけです。それがファンとして魅力だったんだね。

依田: なるほど、この企画が当ったのは、橋君などの若い子が、未完成であると言われましたけど、客も若い子がついて来ているわけですな。

比佐: それは結局、映画観客の動員ということについて見ても、やっぱり映画見ると、これだけの歌手が集って、ということになると、映画もすてたものじゃないなと、いうことでまた新しい映画ファンというのがそこから生れてくると思う。

松山: 今まで、大映が伸びなかった最大の原因というのは、観客年令層が高いことなんです。これは六社が調査して、毎週初日の観客構成ということを調べているんです。これで見ると、大映の観客の平均年令は二十七から八才です。これが一番高い。東宝が二十五才、東映が二十一、二才前後、日活が二十才前後、松竹が二十六才ぐらい。

比佐: 常識的な判定とあってるね。

松山: ええ、この若い層を集めている、東映、日活が成績がいいわけです。だから、年令層を若くしよう、若くしようと思っているわけですが、会社には伝統があるし、もっているスターにもよるわけで、なかなか思うようにいかない。ところが今度の『悲しき・・・』と『おけさ唄えば』の週間で、二十三才以下全部で60何%、二十才以下が42%という、大映始まって以来の観客構成なんです。

比佐: これは大きいね。

中泉: 僕もいままで、どうしても、観客層を若くしなくちゃならないと、思ってたわけなんだ。ところが、うちの本社の考え方は、むしろ、中間層でも、それを全部とればいいじゃないか。一番底の若い層が各社みんなで狙っているんだから、うちは中間層を全部とれば、形として大きく出るんじゃないかと言うんだけど、僕はそうじゃないと思うんだ。

依田: それは違うな。

中泉: 各社がとりあっこしても、一番大勢いる若い層を捕まえたのが勝ちだと思うな。

松山: そう、それと歌は、やっぱり若い人がとくに好きだよ。だから、映画というのは、若い観客層を捉えないといけない。で若い人が何が好きかと言えば、スピードが好きだ、歌が好きだ。そういうところに狙いをつけなくちゃいけないんで、これは、あえて大映だけではなく、日本映画全体が、映画ミュージックに対する勉強が足りないんじゃないかな。もっと音楽の力を借りなくちゃいけないと思う。外国なんか音楽メロディで客を入れてるよ。

依田: そうそう。

比佐: 外国のヒット映画は、みんな主題歌がついているよ。日本製のテレビドラマでも、必ず一流の歌手で、まず歌から入って本筋を展開して行くという傾向が多いよ。

依田: 今までの映画音楽は、映画全体にはめる映画音楽ばかりを考えていて、テーマソングということを軽視していたね。

中泉: 西部劇でもテーマソングがうけているもの。

八尋: 日本は、歌謡曲なら、歌謡曲をそのままつかうからね。映画のうたじゃないんだよ。

娯楽と本流に割切る

比佐: 『おけさ唄えば』のように、どちらかというと、変格の映画だけでは、映画全体をもって行くことは出来ない。その外に、いわゆる、本格物とか、作品にいろいろバラエティをみたらさなくてはいけない。大映というのは、長い時代劇の歴史をもっているけど、そういう点、どうお考えですか。

中泉: この間も、いろいろ懇談したんですが、本流時代劇というのは、どうしても、大映の場合、はなせられない。

松山: 僕は、それについて、こういう考え方をもっているんだ。それは時代劇を考える場合、二つに分けなければいけない。ひとつは純然たる娯楽映画、一つは本流時代劇なんだ。それを区別しなかったところが、大映の時代劇の面白くなかったとこだと思うんだ。一方の時代劇は、ちょん髷をつけているだけで、時代劇の約束も、時代考証も何も考慮に入れないんだ。だから、その中に、日本語化している英語を使うとか、興味のある人物だったら、時代がはなれていても、史実に合わなくても使うとか、そういうことも平気でやれるものを作るわけだ。で、片方では、本当の時代劇を作るわけだ。

比佐: 本当の時代劇というのは、歴史映画的なもの?

松山: 例えば、うちで作ったもので言えば『忠直卿行状記』みたいなもんですよ。ああいうジャンルのもの。

中泉: いや、僕は、それは監督によると思うな。たとえば溝口建二、伊藤大輔などが撮れば、これは、いわずもがな、いわゆる本流時代劇を撮れると思うんですがね。そういう監督に続く人がないと、ただ企画だけたててもこれは生きて来ないな。

比佐: その本流時代劇で代表されるものと言うと、いま言った『忠直卿行状記』みたいなものだね。

松山: 我々は過去において、そんな馬鹿なことはないとか、史実と違っているとか、英語を使ってるとか言ったことが、時代劇をだんだん面白くなくしたもとだと思う。だからテーマもしっかりし、時代考証もちゃんとやっている本格時代劇と、娯楽本位でやる時代劇と二つを割り切って、楽しさを盛らなくてはいけないと思う。例えば、いま日活で作っている現代劇、あれは現代劇ではないんだ。あれは、国籍不明映画だなんて悪口いうけど、徹底した娯楽であってね、実際は時代劇なんだ。

比佐: まあ、時代劇プラス現代劇的雰囲気だ。そのまた逆も真なりで『おけさ唄えば』のようなものもある。

 

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