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番町皿屋敷

 市川雷蔵は数年前にもここへ出た。映画へ走ったきりでなく、やはり舞台に全く見切りをつけたのではなかったらしい。父寿海の健在な間に直接舞台で摂取しておかなければとの発奮がこんどの“秋のスターまつり”出演となったらしい。

 前回は劇中劇として、寿海の幡随院長兵衛で「鈴ケ森」を出したのだが、こんどは寿海の指導で「番町皿屋敷」をやった。お菊は朝丘雪路。山王下の場で編笠をぬいだ時の雷蔵の青山播磨はアッと思うほど寿海に似ていたし、せりふの抑揚も恐らくテープで覚えたかと思えるほどだったが、だんだん雷蔵自身になって来た。蓑助の放駒も三下奴すぎるし、雛助の後室の品のなさにも、もどかしさを感じた。幕切れの播磨のせりふ「散る花に風情があるのう」とは、何とむつかしいせりふだと思う以前に歯が浮く思いだった。

 青山邸で、重宝の皿の箱を抱えて出て来た腰元二人、朝丘のお菊よりも上村吉弥のお仙の方が主役に見えた。芸の年輪は歌舞伎の場合、特に恐ろしいものだ。吉弥の腕のあることはかねがね知るところだが、こんどほどはっきりさせたことはない。

 驚いたのは宗之助の用人十太夫が皿を扱うことのぞんざいさである。女どもには大切に大切にといいながら、あの皿の“重宝”ということが全くのみこめてないようにだった。それは朝丘のお菊も同様で、故意に柱へぶつけて割るところや、播磨が刀の鍔で一枚づつ割って行くときの恐怖など、一向に感じていないようだった。雷蔵自身にもその疑いはある。なるほど、この芝居は当今あまりやられぬはずだと気がついた。時代的感覚というよりも、やはりこれは戦後の教育、風潮の然らしめるところである。(北岸佑吉)