市川雷蔵と朝丘雪路の「若親分」

 市川雷蔵は、大映撮影所では、「雷ちゃん」の愛称で呼ばれている。武智歌舞伎から映画に転じてから、かれこれ十一年になる。しかもずっと大映時代劇のトップスターとして不動の地位を守りとおしているのだから、「雷ちゃん」ではなにか子供めくが、中村錦之助の「錦ちゃん」同様、この愛称のうらには、撮影所の人たちの尊敬が、十分こもっているのである。

 だれでもいうことだが、雷ちゃんは、同じ大映の人気を背負っている勝ちゃんこと、勝新太郎と、およそ対照的な俳優である。ふとり肉で、顔も彫りは深いが赤ら顔の丸顔にいかにも野性的な精力が充満している勝ちゃんにくらべ、細面で、整った端正な容貌にすっきりとした知的な魅力をたたえた雷ちゃんは、いうなれば、ホットとクールの両極である。役からいっても、勝が、『悪名』の朝吉や座頭市が当り役であるに反し、雷蔵は、ニヒルな眠狂四郎や、時代に反抗する忍びの者五右衛門が代表的役がらである。スラリとした腰に刀を落としざしにして、殺気を感ずるやいなや、たちまち、円月流の秘剣をぬく間髪を容れぬ早業のみごとさ、クールとは冷いという意味だけでなく、「かっこいい」という意味でも使われるが、まさにクールな青年俳優である。

 今度新歌舞伎座の舞台にかかる『若親分』は、映画で大ヒットし、続いて、『若親分出獄』が製作された、新しい彼の当り芸である。ここでは彼は、時代劇のカツラを脱いで、地頭で登場するが、映画でも、この現代劇の方面では時代劇の約束にとらわれぬ清新な演技をみせ大いに好評を博したものである。『炎上』『破戒』がそれで、二つともその年の最優秀映画に選ばれている。どちらも、深刻な青年の悩みを描いた作品だが、好劇家なら先刻承知の劇界の巨星市川寿海の家をつぐ彼にとっては、この変わり身の早さは当然だったのだろうが、とにかく時代劇の彼をみなれたファンは、その変貌の鮮かさに驚きを禁じえなかったのである。

 今度の『若親分』も、時代は明治だが、やはり現代劇スタイルで演ぜられる。しかも、彼の知的で端正な容貌にうってつけの海軍少尉が彼の役である。今どきでは知らない向きもあるが当時海軍士官といえば、陸軍の野暮ったさにひきかえ、キザでないハイカラの見本のように世人からみられていたものである。仕官の制服を着て短剣を腰につった主人公南条武のりりしさは、きっと満場の拍手につつまれることだろう。しかも、この劇は、かがやかしい未来をもつ海軍少尉の彼が、組の間のもつれから暗殺された父南条組の親分辰五郎の跡目をつぎ、仁侠の道を歩むという筋で、がらりとかわって、竜の刺青がはえるからだをはっての活躍がくりひろげられるのだから、まさに雷ちゃんの独壇場というべきだろう。

 映画では、南条武は、跡目相続の襲名披露のあと、単身父の仇の滝沢の家にのりこみ、海軍仕込みの抜刀術でもののみごとに片腕を切り落す。しかし、滝沢の背後に、もう一人の黒幕、新興やくざとして急にのしてきた暴力団の太田黒組の親分伊蔵がいて、父の暗殺も彼の腹黒い策謀と分り、伊蔵と対決する日が刻々と近づいてくるのだ。その間桃中軒雲右衛門の興行めぐって、劇場焼き打ちのトラブルが起るなど、事件は面白く展開するが、冷く殺気をひろげる雷蔵独特のやくざの雰囲気がみものである。

 この南条武が、海軍少尉の地位をなげうって、仁侠の道をあゆむ転身を、一人の女性が「馬鹿だワ」と罵る。武の幼なじみの料亭花菱の若女将京子である。彼女は武を恋しているが、その切ない恋心を、言葉仇の喧嘩口調にまぎらわせているのである。この役は映画で雷蔵と初顔合せだったが、息が合い非常に好調だった朝丘雪路が、再びつき合って、いきで、いやみのないすっぱりとした色気を見せる。

 朝丘雪路は、若手スターのなかで、いわゆるいきな花街の雰囲気をにじませる第一人者である。ほっそりとした細面の切れながの目が、色気にあふれ、その肢体の動きが、しなやかでうれいを含みながら、しかも、勝気らしい活気がいきいきと流れる。テレビの「芸者小夏」でも御存知だろうが、身のこなしが全くうまい。どっちかというと、雷蔵は知性が勝つというか、そう情緒がからみつくといった演技でないが、それだけに、この情緒百パーセントの雪路とのからみは、この芝居のみどころである。劇ではどういう風に脚色してあるかしらないが、表面に露骨に出さない切ない恋心を、互いに察しながら、別れてゆく大詰めに御期待下さい。(外村完二)