福山市

『剣』のロケ地探訪 -鞆の浦/医王寺-

 







 映画『剣』のあの強化合宿の山腹のお寺は、広島県福山市・鞆の浦にある“医王寺”。64年2月26日から29日までの四日間、福山市鞆町で行われた映画ロケ。その跡を捜して、鞆町へ向ったのは2001年7月26日。

 勿論、ロケは37年前の話である。事前に内藤昭美術監督に電話で鞆の浦のロケの話は伺っていたが、期待は薄く、おまけに住職・宇喜多師との電話での応対はその期待をくじくのに十分だった。

 当日は、酷暑の7月の一日。夏のシーンを2月に撮影した雷蔵たちと比べてまさしく、本当の夏の鞆町だった。

鞆町/鞆の浦まではJR福山駅からバスで30分の道のり。

 

於:医王寺、三隅監督と

 電話の相手は、東京本社のプロデューサー藤井浩明であった。「・・・じつは雷ちゃんが、三島由紀夫の『剣』を読んで、おもしろい、やってみたい言うてるんやけど、東京じゃやろうかと言う監督さん、おらんのですわ。脚本(ホン)は上がってます。三隅さん、一度それ、目をとおしてもらえませんか。こっちは、そのつもりで準備してますんで・・・」

 藤井浩明は、三島由紀夫の小説『金閣寺』を映画化した『炎上』(58年/市川崑監督)以来、市川雷蔵とは仕事超えたところで、友だち付き合いをしているほどの仲にあった。

 雷蔵が映画にしたい、と言っているという三島由紀夫の『剣』は、文芸雑誌『新潮』の63年10月号に発表された短編小説である。大学剣道部にあって、遊びもしなければ本も読まず、剣のみにストイックに生きる学生が主人公で、その生き方が生き方だけに周囲の人間との接点を見出せないまま、ついには自己破滅していく、というストーリーだった。

 『剣』の封切日予定日は、三月半ばと決まり、一月末から白黒フィルムで撮影が開始される。『新選組始末記』のときも真夏のシーンを十二月に撮ったが、こんどは、寒さのもっともきびしい二月である。撮影条件は前にもまして、過酷でつらいものだった。主将国分次郎ら東和大学剣道部の夏期合宿の舞台は、脚本では、原作どおり静岡・伊豆地方となっているが、三隅がロケ地に選んだのは、瀬戸内海に面した景勝地の広島・鞆の浦であった。

 三隅の母校、立命館大学の現役の剣道部学生のエキストラをまじえて、全員が半袖シャツ、トレーニングパンツ姿でランニングを行い、腕立て伏せを繰り返す。実際の撮影にあたっては、吐く息が映らないよう、役者にあらかじめカチ氷をふくませておいてからカメラをまわす。

 合宿さいごの日に、国分が自殺をはかるというシーンを迎えたところで、撮影はクライマックスとなる。夜の明けはじめたころ、島々が見渡せる鞆の浦の海を背景に、牧浦のカメラが小高い丘陵を捉える。カメラはそのままゆっくり手前に引かれ、丘の上に横たわった、剣道着姿の国分の胴体が徐々に現れる。そして、全身が映しだされ、カメラが動きを止めたところでカットが切り替わり、真上から国分の死相がアップで捉えられる。死面(デスマスク)のような、端正な雷蔵の死相はここで、見る者に強烈なインパクトを与える。牧浦のカメラワークが生みだした、緊迫感あふれる、みごとなシーンであった。

 このロケ撮影中、三隅は、雷蔵との間で不可思議な体験を持つことになる。

 賀川ら部員が、遊泳禁止の規則を犯した後、つまり国分が自殺をはかる前夜、苦悶する国分は寺門を出て、石段下で一人たたずむシーンがある。

 「雷ちゃん、ここはアップでいくでェ。主人公が、あんたが生きてるときのさいごのアップや。ええか・・・」

 雷蔵が無言でうなずく。三隅は、牧浦がセットしたカメラを、しばらく覗き見ることにした。

 画面左から街灯がうっすら降りかかり、ライティングは、雷蔵の顔半分を微かに照らしだす。覗き見るほうも緊張するが、微妙な目の動きと、顔半分で演技しなければならない役者の苦労もたいへんなものだった。

<ええ顔しとるわ・・・この顔、雷蔵にしかでけへん・・・>

 雷蔵といっしょに仕事をするようになって九年になるが、三隅は、いまさらながら、この天稟の才を持つ役者に目を見張った。このとき、三隅は、雷蔵のあまりにも端正な顔だちに、なぜか不吉なものを感じてしまう。ほんの一瞬のことだったが、しかし、その雷蔵が、五年たらずのうちこの世から姿を消すとは、さすがの三隅も思い至らなかったのである。(四谷ラウンド 「剣-三隅研次の妖艶なる映像美-」野沢一馬より」)

   

『剣』のロケ見学記

 今一番印象の強いのは、二月二十六日からの四日間、奇跡的に好天に恵まれた事。二十四日は備南地区は十七年振りの大雪に見舞われましたのに二十五日から九日迄素晴らしいお天気。ロケの終った三月一日は曇りに曇って、夕方からとうとう雨になるという始末でしたもの、雷蔵さんがいらっしゃるからこんなにお天気が好いんだと本気で思える位でした。

 行きたいのは山々でも、やはりそう我がままも云えず、出かけたのは二十七、八両日の午後の四、五時間でした。土産物屋の娘さんに尋ねて、町中を幾曲り。それから急な坂道を登り乍らも、まだ信じられない様な気がしました。

 港や、美しい島々を見おろす山の中腹のお寺にたどりついたのは丁度お昼頃。うららかな陽を浴びて椅子に座られた雷蔵さんは、多勢のスタッフの方々と一緒に昼食をとられているところでした。斜め後から見るその日の雷蔵さんの横顔は何かきびしい感じでした。少しおやせになったのではないかと思ったのは、表情のきびしいせいかも知れませんし、お顔の色が悪いのかと思ったのは、夏シャツの上にコート一枚という薄着のせいだったかもしれません。それに、撮影の内容が厳禁していた水泳をして皆が帰って来て、キャプテンと対立するシーンでしたので自らそんな雰囲気を身につけていたのかも知れません「ご苦労様」の一言を申し上げたかったのですけど、剣道四段の構え方万全で、そのすきあらばこそ、とても駄目なので、心の中でご挨拶しておきました。

 夕方、町でオート三輪の荷台に乗って走るシーンを撮られました。押しかけた見物人の間を縫って雷蔵さんの素早い行動と云ったら、神出鬼没といった風で、ひらりと見えなくなったと思ってしばらくすると何処からか現れて、それが幾度もなのには呆れました。こちらがぼんやりなのも手伝っているのかもしれませんけど・・・。

 二日目は、がらりと変わった感じで、川津さんや長谷川さんを相手に炭火にあたりながら楽しげに談笑して居られる様子でした。軒先にすだれをかけたお寺の庭先で、腕立て伏せの姿勢、そしてケンスイ、夏シャツ一枚で汗のかわりに水をかけて・・・・。始めに十回、二度目は十七、八回続けてケンスイなさったと思うけど、これにはビックリしました。何しろ、カメラの一番近くでライトをあてられているのですもの。ごまかしはききません。偉いなと感心しました。ご自分でも『よくやるでしょう。トシヨリの割には』なっておっしゃっるけれど、ズックの白靴にトレーパン、半袖シャツでトレーニングして居られると、アルバイトの学生さん?達と余り見分けがつかない程お若く見えるのです。

 この日も陽が傾きかけてからロケ隊は移動、ロケの見物人というものは全くの招かれざる客でしょう。ついて行こうとすると一苦労なのです。何処へ、なんて誰も教えてくれませんものねェ。とにかく、ぞろぞろと坂を下るとバスが待っていてサァと乗り込んでおしまいになる。あっ、これでお別れなのかと、ちょっぴり淋しい思いをして見送って仕方なく帰りのバスセンターに向って歩く途中、又人だかりがしているので、オヤと小路を入って見ると、其処が港で、今小さな船へお乗りになるところ、聞けばこれから仙酔島へ渡って撮影するらしいとのこと・・・・。渡し場迄行って島へ渡り、無理して行って行けぬ事もないけれど、時間も遅いので諦める事にして船を見送りました。水に隔てられるというのは、如何にもお別れと云った感じのするもので、何となくもの悲しく我にも無く甘い感傷?の如きものに浸りました。もう一度訪ねたかったのに心残して・・・・。でもそれだけに鞆というところがひどく懐かしいものなりました。(「よ志哉」39号“ファンの言葉”より)

 7月の鞆の浦は暑く。「医王寺」迄の坂道を登りながら、雷蔵が佇んだ寺門下の坂道で汗を拭くと、2月に真夏のシーンを撮ったのが雷蔵で、そのまさしく真夏に(今年の夏は8月より7月のほうが暑かった?)坂道を登る不思議にしばし感慨にふけった。

 さて、宇喜多ご夫妻に温かく迎えていただき、撮影当時の話を夫人から伺った(宇喜多師はご養子で、夫人は撮影当時中学生だったそうだ)。電話ではかなりぶっきらぼうな?応対で不安を抱いてお邪魔したみわだったが、これは全くの杞憂に終り。冷たい麦茶と葛餅をいただきながら和気藹々とお話を伺った。

 撮影当時と比べると、松の木が枯れ、縁側の戸をガラス戸にしたことくらいで他には変わったところもなく、なにより感心するのは、この狭い寺の庭が映画で見るとじつに広く見えること(これにはみわも全く同感)。寺の敷居を跨ぐとそこから先はべすてセットになるというのに全く違和感がないこと。しかも寺の雨戸ひとつを持って帰り、寸法を測り、セットをこしらえたというのは“さすがプロの技”。内藤昭美術監督の作ったセットにいまさらながら感心するとともに、剣道部の道場の精巧さも話題にあがった。

 寺からの眺めは抜群で、穏やかな瀬戸内海が見渡せ、高い建物(旅館)が建ってしまっているが、雷蔵が眺めたころとさほどの違いもないだろうと信じて眺めると懐かしさをかんじるから現金なものだ。(初めて来たというのに)

 雷蔵扮する国分次郎の最期の地がどのあたりであるか探っていただくことをお願いして、医王寺を後にした。まだ夏の陽は高く、流れる汗を拭いながら坂道を下りた。