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07/15/59/

◇・・・イベリア王国というのがあって、その極東植民地で十人の日本人が処刑されるという事件が持ち上がった。おまけに日本人街も攻撃されたが、理由は日本人の暴挙を鎮圧するためという。疑問を持った長崎の日野江城主有馬晴信は、その糾弾を将軍家に願い出るが家康は許さない。身の破滅を覚悟の上で、晴信はイベリア船襲撃を決意する。家臣小畑三郎兵衛や長崎奉行の陰の助力もあって襲撃は成功し、船に奴隷としてつながれていた人々を救い出すことが出来たが、晴信は命にそむいたかどで遠島を命ぜられる。

◇・・・襲撃場面を見せ場として晴信の苦衷を描いているが、面白いのはむしろ家康と晴信のかけ引きの前後で、切支丹信者である晴信の悩みや怒りは案外に底が浅い。イベリアの総督たちの理不尽な行為が、悪玉根性だけで処刑されている安易さも大きな傷。しかも演出は正攻法で、見た目の貫録だけはあるというのだから、どういう性質の映画と見ていいのか判断しにくくなる。傷描いているが

◇・・・たとえば家康の孫娘になる叶順子の起用も無意味だし、この役そのものが不必要なもの。そんなところに大作仕立ての無理があるわけだが、色を添えようというのなら、話自体に艶を出す必要があった。三郎兵衛の混血児の娘にも同じことがいえる。市川雷蔵の晴信は例によってきっぱりした印象が快いだけで仕どころがなく、かえって根上淳の長崎奉行に、時代劇の調子に乗って来た印象がある。三島雅夫の家康、山村聰の三郎兵衛などに老練さと余裕があって要所を締めた。史実にある晴信のポルトガル船焼打ち事件をもとにしているが、この映画の焼打ちでは勝ったのが不思議な話だ。イベリア人になる外人たちが活躍して、フェンシングと太刀との殺陣などが、それでも見せ場になっている。演出・伊藤大輔。【王】

 

日スポ・東京 07/12・15/59