三十三間堂の建立は、鳥羽上皇の御願により、一万一体の仏像を据え置かれて、供養をかねた落成式は天承元年三月十三日盛大にとり行われ、都中を湧きかえらせたが、その時の功により武者としては破格の昇殿を許された忠盛だったが、心の狭い公卿達は、絶えず自分達とは身分も家柄も違う忠盛が、昇殿を許されている事を心よく思っていなかったが、たまたま遠藤盛遠が、友人の源渡の妻袈裟に懸想して、これをこばまれるや殺めて逃亡したことを、武者所をあずかる忠盛の責任として、昇殿の資格を剥奪するように上皇に進言した。 忠盛は総てを身の不徳の致すところと潔くあきらめ、自ら身を退き、平太清盛に馬を売らせた金で酒甕を三個求め、家人一同にふるまってやるのだった。「この酒は、余がそち達に詫びる印の酒ぞ」と云われ、家来たちは男泣きに泣きつつ、その酒を呑むのだった。盛遠の行方はようとして知れなかった。 父より穀倉院の案主・時信のもとへ手紙を届ける様に頼まれた平太は、水薬師の大藪の辺りまで、その邸をもとめて行ったが、途中闘鶏に熱中している少年の姿に眼をひかれる。少年は獅子丸という鳥を闘鶏師の持つ黒金剛という鳥に立ち向かわせ、これを倒し、多額の賭け金をせしめるが、勝負が済むと、パッと素早くその場から姿を消した。ところが、探し当てた時信の家の門を開けたのは、意外にもこの少年だった。時信の子時忠である。時信には他に姉姫の時子、妹姫の滋子と呼ぶ二人の娘があった。今年十九歳になる時子の姿は、強く平太の胸に焼きつく。 |
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そして、その年の十二月に平太は時子と結婚する事になったが、その頃のならわしで、婿は未来の妻たる女の家へ三日の間、夜毎々々忍んで通うしきたりを踏んだ平太は、遠くて道が悪く、あまつさえ丹波おろしの吹く寒さには閉口したが、夜道を通ってたどりついた時忠の邸の、母屋も対の屋も、なべて寝沈んでいる厚い闇の中に、時子の寝屋のともし灯だけが、天地にただ一つの愛情を示すように、妻戸から洩れているのを見る時は、恋以上にもうれしく、夢の子となるのだった。三夜通いの後の文のやりとりも無事に済み、二人は水薬師の時忠の館の内に居を持つことになった。時忠はこの時の祝いに、例の獅子丸ををつぶして、清盛の膳に捧げ、彼の心を強くうった。 結婚した翌保延四年、時子は男の子を産んだ。長男の重盛である。清盛は二十一歳にして父親となったのだ。孫の生まれたことを知った忠盛の嬉しさはひとしおだったが、この年、宮中でも皇太子重仁がお生れになると共に、鳥羽上皇も寵姫・藤原得子(美福門院)との間に皇子礼仁ともうけられた。そして、上皇の御意志で、皇太子重仁は親王に置かれ、礼仁親王を立てて皇太子とされた。忠盛は久しぶりで上皇よりの出仕をうながされ、再度院庭に仕える事となった。更に翌年には官位も五位の刑部少輔にあげられ、清盛にも昇官の内旨があった。 永治、康治、久安と年は移り、久安の年の元年、清盛は身も中務大輔に昇進、覚誉法師が五条橋を竣工して以来、南へ伸びた都の生活圏をそのままに、今迄は雑木の原であった六波羅に、大きな武者屋敷を建て、今は三人の母となった時子と共に移り住んでいた。忠盛も今刑部卿であるが、この平氏の親子が立身して来た功と云えば、その忽くが僧団を相手の鎮圧によるものであった。 久安三年、清盛三十歳の夏には彼はふたたび昇って安芸守に任官していたが、祇園祭の夜、時忠が延暦寺の法師と酒の上で争い、これを撲りとばし更に馳けつけた叡山の僧も傷つけたことに端を発し、霊地をけがす地下人めらと、山王二十一社の神人たちは、時忠を渡せと神輿をかついで強訴の挙に出た。世にいう神輿振りである。が、数千の荒法師や神人が、隊伍を組んで入洛し、たとえそれが横車であっても、しゃにむに自己の要求を押しつけ、摂関はおろか朝廷ですら、その求めに応じさせる権力を持っている、その頃の「絶対なるもの」の標識である。 山門を下った衆徒はひと先ず祗陀林の感神院に神輿を置き、名うての大法師等が先ぶれとして鳥羽院に押しかけたが、院はこれを却下された。二千名に余る荒法師らは時をうつさず日吉山王の神輿をかつぎ、強訴にうつそうとした時「兇徒共、待てッ!」と彼らの前に立ちふさがったのは今日の因をなした時忠と、家僕の平六二人を従えた清盛だった。彼は、昔より喧嘩は両成敗、したがって、この二人はそちらに引渡すが、こんなつまらぬ事にかつぎ出されて、多くの人々を悩ます日吉山王の神輿こそ怪しからぬ!と叫ぶや、目にも止まらず持っていた弓に矢をつげると、ハッシと神輿に射ち込む。 神輿に矢の立った例しはない。また、もしその威徳を冒す者があれば、矢は地に落ち、射手はたちどころに血ヘドを吐いて死ぬと信じられていたが、清盛は死ぬどころか、ピンピンとしている。惚ち阿修羅の如き闘いがそこに展開する -。 映画では、この辺をラストのクライマックスとして、第二部への興味を次ぐものと思われる。この事件があってから清盛の姿は一段と大きく都にうつし出されるのだが、大映の『新・平家物語』は、さて、どのように絢爛たる世界を生み出して行くことであろうか。括目して期待しよう。 |