その黒板のセリフを雷蔵さんが一心に見入っている。「じゃ、もう一度やって見ようか」と、溝口監督が声をかける。
木に通した竹竿に、赤、青、黄などの美しい染糸がかけられている。その前の池で、久我美子さんの時子とその妹滋子役に抜擢された中村扇雀さんの実妹玉緒さんが、染糸を濯いでいる。
その久我さんがふと顔を上げ、軍鶏を抱いて門口へ行こうとする林成年さんの時忠を「時忠・・・」と、はげしい口調で呼びとめる。そして、林さんの方へ馳け寄り「また、そんなものを抱いて行って・・・お寄越しなさい」「いいじゃないか、姉さん」「いけません・・・そんなものを蹴合わせたりして、お父さまのお名にかかわります」と、久我さん、林さんの手に持つ軍鶏を奪いとる。
藤原氏一門とは云っても、正しく生きることを信念とする時子や時忠の父時信は、巧言を用いて栄耀栄華をすることをいさぎ良しとしないため、舘もくち果て、男まさりの時子が衣を縫って一家の生計をたすけているという状態だが、弟の時忠は軍鶏の蹴合せに夢中になっているのである。
その時信の館のセットがあまりにも綺麗に出来過ぎたので、凝り性の溝口監督の気に入らず、またわざわざ所々壊したり、汚したりして感じを出したというエピソードもあるくらいである。
そのシーンのリハーサルを終ってホットした顔の林さんに、「大変ですね」と、声をかけると、「いやあ、前から時代劇を演らしていただきたいと思っていたので、とても張り切っているんですが、ただ天然色の作品なので、陽焼けしては困るので、昼間の外出を厳禁されているのがいささかつらいですよ。もっとも夜出掛ける口実にはなりますけどね」と、学生気分の抜けきらない林さんは、いつも若々しく朗らかである。
「今度の時忠の役ね、いわば平安時代の不良青年って云ったところですからね、どうも僕の地じゃあないんですけどねえ。僕はどちらかと云うと真面目一方の学生でしたからねえ」と、成年さん、このオープン・セットの猛烈な暑さにも、いささかもひるまずこんな冗談を飛ばしている。
原作者の吉川英治氏も気に入ったという清盛の雷蔵さんは、太くつり上ったようなつけ眉毛もよく似合って、いかにも男性的な豪放な性格の清盛らしい。
その雷蔵さんのメーキャップした顔に麦わら帽子といった奇妙なアンサンブルのまま、門からつかつかと入って来て、糸を濯いでいる久我美子さんの時子の手に、父の忠盛からことづかって来た時信への手紙を渡すまでの動きを研究している。 |