流転有情(一)

 今までは、時代劇のしかもチャンバラ二枚目というレッテルをいただいていた市川雷蔵が、三島由紀夫の『炎上』に、はじめて現代劇に主演した。これは、彼の新しい芸域の分野として、彼の演技の上の、一つの大きな試金石でもあった。

 何しろ生れてはじめての、現代劇であり、しかも、その役が溝口吾市というドモリの青年僧なので、なかなかむつかしい役であった。ところが彼は、そのドモリの青年僧の、劣等感の強い、内向的な性格を、ものの見事に演じとげた。

 『炎上』に対する世評は

 「眼だけの、所謂“眼技”のすばらしさを見せたこの一作によって、雷蔵は、グンと大きくおどり出た感じである」というところであった。

 たしかに『炎上』によって、彼の演技は一段と深みを加え、五十八年度の演技賞スターとして、三船敏郎、仲代達矢とともに、トップ候補に加えられているのも宜なるかなである。これこそ、たゆまぬ今までの努力と、仕事に対する異常な彼のファイトの賜ものであろう。

 彼のそれまでの演技では、デビュー作である[ママ]故溝口健二演出の『新平家物語』の青年清盛がなんといっても最上とされていたが、こんどの『炎上』は、清盛をしのぐものとして、高い世評をかち得たのである。

 この『炎上』について、彼の心やさしい一面を物語る一つのエピソードがある。

 それは、現在、大阪に住み、京都の大原野をふる里に持つ、生れつきドモリの不幸な一女性がいて、今夏ふる里の大原野に帰省した時、はからずも『炎上』のロケを見た。

 大原野小学校の校庭で、一人しゃがみ込んでいる吾市を取りまいた友だちが

 「こいつはドモリだぞ」

 とはやしたてて、大声で笑うシーンであった。

 彼女は、まざまざと目の前にその光景をみせつけられて、一人で走って帰ると、裏山に登って大声で泣きつづけた。

 「映画までがわたしを馬鹿にする」そう思った少女は、くやし涙があとからあとから出て仕様がなかった。

 そして、この映画が封切られると、まっ先に飛んでいって見た。

 吾市の役を立派にやり遂げた雷蔵を見て、彼女はもうじっとしておれず、生れてはじめてのファンレターを雷蔵に送った。それは、およそほかの甘いファンレターとちがい、真心のこもった真剣な手紙であった。

 「わたしは、『炎上』を見て、もっともっと強く、もっともっと堂々と世の中を生きて行こうと決心しました。雷蔵さん、あなたはきっと吾市の役で苦しまれたことでしょう。あなたが、あの吾市を思い出される時、わたしたち不幸な人間のことも思い出して下さいね。雷蔵さん、吾市の役を立派にやり遂げて下さって本当にありがとうございました」