さて、右の挨拶にもあるように、市川雷蔵が映画界に入ったのは昭和二十九年である。処女作は前にも書いた『花の白虎隊』だが、この稿を書くために雷蔵君に会って、映画入りの動機を聞いたら、

「サンデー毎日に、その頃“我が家は楽し”ちうグラフが出ていましてん。それに親父さん(市川寿海)と一緒に写ってるのを見て、酒井さん(酒井箴、大映常務取締役)が、映画に来い、言うて来やはりましたんや」

 ということだった。無精者の私は、彼の、そして勝新太郎にとってもデビュー作となった『花の白虎隊』を実は見ていない。だから、当時の印象を語るべくもないが、第三作か四作目の『次男坊鴉』というのは見た。この時の雷蔵君は、一本ドッコの股旅者で、勇ましく颯爽としているはずの主人公が、何ともひよわで、肩や腰のあたりがいかにも心細く、覚束なく思われたものだった。しかし、あおの次あたり、京マチ子の『千姫』に、秀頼で共演して、演技というよりもその気品と風格で初めて認められた。

 この秀頼が機縁となって彼は大映の人となった。爾来、十年の間に、最近の『無宿者』に至るまで百十五本の映画に主演してきているが、その間、他社出演は美空ひばりと共演の『お夏清十郎』(新東宝作品)一本きりというのだから、純粋の大映マンといっていい。

 それだけに彼は随分言いたいことを言う方である。何か新しい作品にかかるたびに、彼は楽屋着のゆかたから毛脛を出して、「雷」の字の刻印のある下駄をガタンガタンと引きずって、二階の企画部に上がって来て、年取ったのや、若いのや、いろンな企画マンを掴まえては滔々と(とは少し違うが)論じている風景をよく見かけたものだ。

 

美空ひばりと共演した『お夏清十郎』