中国の聖賢孔子のカッパしたように“男女七歳にして席を同じゅうすべからず”という言葉が現実に守られていないかぎり、およそ男性と女性がともにいるところでは、それが学校であれ、オフィスであれ、恋愛とか情事は必然的に起こるものだが、それがこと映画界ともなれば、ガゼン大きく取り扱われ、赤新聞や週刊誌のトップ記事にされてしまう。

 映画俳優だって人間なのだから、恋もすれば結婚もしなくてはならない。しごく当然のことが、ジャーナリズムでやかましくとりあげられるのである。 

 もっとも俳優同士がたとえ演技ではあれ恋人同士を演じ、ラブシーンを熱烈にやればやるほど、情がうつってくるのもふしぎではなく、こうした恋人コンビをやっているうちに結ばれた例もすくなくないが、半面、セット以外は全然お色気ぬきのサバサバした例もまたすくなくない。

 品川隆二のように“イヤな女優さんとのラブシーンをする前夜には、ギョウザをたくさん食べてきて、ニンニクのにおいをプンプンさせてやるんだ”というのは極端だが、週刊誌のトップによくサカナにされる市川雷蔵なども“どうして東京の俳優さんは、すぐベタベタくっつくんだろう”と義憤をもらすほどの硬派NO1.。

 その雷蔵が、若尾文子、中村玉緒、金田一敦子、小野道子らとのまことしやかな結婚ばなしがひとしきり週刊誌をにぎわしたあとで、某週刊誌の記者が“これまでのデマをふんさいする意味で真相を発表したい”という意図のもとに彼にインタビューをして、開口一番の“ああいった映画界の悪質デマに対してどう感じますか”の質問に対し、雷蔵は“ぼく自身も被害者のひとりなんだが、汽車にのるとつい一番に買ってしまうのが実話ものなんで、大きいことはいえないが・・・”とみずからその愛読者であることを披露したので、相手はア然としたという。

 とにかく、昨年から今年にかけての、結婚ブームに映画界もごたぶんにもれずつぎつぎと婚約や結婚が行われたが、ホントの意味の職場結婚では、石原裕次郎・北原三枝、川口浩・野添ひとみ、江原真二郎と中原ひとみくらいで、ほかは菅原謙二にしても、小野道子にしても、林成年にしても、仁木田鶴子にしても、それぞれ違った世界の人を相手に選んでいるのを見ても、映画人同士の恋愛も思ったほどでもないことがわかるというもの。

 独身スターの堅塁?を誇っていた池辺良がゴールインしたのに対し、一方の根上淳も八方から水をむけられた形だが、彼の弁がふるっている。

 “この間からつぎつぎと映画スターの婚約が発表されているから、ここでぼくが発表するときっとその見出しが「根上淳も」になって面白くないですね。「も」でなくて「が」と書かれるチャンスをねらって発表しますよ”(サンケイスポーツ 11/06/60より)