まえにも書いたとおり、戦前には内務省の映画検閲というものがあって、邦画、洋画を問わず、芸術的価値の有無にかかわらず、接ぷんその他お色気のある個所は、遠慮えしゃくもなしにハサミを入れていたものだが、戦後はこれがなくなり、そのかわりに映画界が自主的に考慮する意味で、映画倫理規定委員会(通称映倫)が組織されている。そして、まず撮影前に脚本を検討して、キワどい場面になりそうな箇所にあらかじめ注意を与え、また映画になったから、もう一度見て、会社側と討議のうえで、いかがわしいところをカットすることになっている。

 東映京都といえば、そういったお色気のほうでは健全?で映倫にひっかかったのは皆無といっていいほどが、その兄弟分の第二東映時代の時代劇で、藤田佳子が湯あがりの半裸体でラブシーンをやったが、めずらしく映倫でカットになってしまった。

 その理由は商売女が同じようなことをやっているのならかまわないが、藤田の役が清純な娘だったのでいけないというのである。

 せっかく思い切ってハダカになり、芸術的なラブシーンを熱演したのにと、藤田佳子大フンガイの巻だったが、あとのまつり。

 大映の『月の出の血闘』でも、撮影前に北上弥太郎と中村玉緒がいっしょにフロへ入るところを、男女混浴は困るからご遠慮ねがいたい、との申し入れがあった。映画の中では二人は夫婦なのだから、混浴でもおかしくないはずだが、と撮影所側が頭をひねったが、結局その申し入れをいれて、玉緒のほうに下着を着せて撮影した。

 ところが、同じ大映京都でとった『安珍と清姫』では、市川雷蔵の安珍と若尾文子の清姫とが、フロではないが谷川で、全裸(とはいっても、水面から上に見えるところだけだが)のラブシーンを演じて無事にパスしているのだから、その微妙な解釈なかなかスタジオマンの頭にはいらないらしい。

 同じ『安珍と清姫』では、映画を見た人なら記憶があるだろうが、雷蔵の安珍が激コウして若尾の清姫の着物をはぐところで、あまりいきおい込んだためか、肩から胸元まではぐだけでとまらず、若尾の乳首がポロッ とのぞいた。ホンの一瞬で、フィルムのコマ数にして数コマ程度だが、映画館で封切りされているプリントにちゃんとのこっているのだから、このあたり映倫の解釈はどんなぐあいだったか、とにかく複雑微妙で凡人には解しがたいところがある。

 これは余談だが、なんせホンの数コマなんだから、封切りはまずいいとして、三番、四番、五番と封切りの番線がさがるに従ってどこかでこの貴重なコマが少なくなりおしまいにはなくなってしまうだろう、と余計な心配をする者や、また封切り中、そのシーンになる時間を見はからって、何回も見に行ったという、キトクなヒマ人もあったというか、いろいろブツギをかもした名場面?だった。(サンケイスポーツ 11/09/60より)