映画でうら若き男女の心をうっとりさせるのに、接ぷんシーンがある。

 洋画の場合、外人はこども時からしつけているので、きわめて自然に、そして芸術的に、さらに官能的に行うが、日本ではむかしは“口を吸う”といって、寝室以外ではやらないことだったので、戦前の映画ではごハット。いまでも映画ぐらいしかなかなか人目に立つところではあまり見かけないようだ。

 だから、それが時代劇ともなると、さらに、よほどうまくやらないと不自然さが目立ってしまう。もっとも映画では実際にクチビルとクチビルとを合わせないで (俳優同士が実際に恋人同士なら、そうでもないかもしれないが、この場合、見ている現場のスタッフはいいツラのカワというわけになる)たいてい一方がうわクチビルの上、すなわちハナの下あたりにクチビルを当て、相手が下クチビルのした、あごのあたりにクチビルを当てるかあるいは右か左へずらしてやるようだ。それがカメラのアングルのとりようで、美男美女がうっとりとキスしあっているように見えるのである。

 ところで、最近の時代劇でのキスシーンの一番印象的だったのは、伊藤大輔監督の『弁天小僧』で、市川雷蔵と青山京子とのものだと思うが、これはえんえん二十三秒にわたる熱烈?なもので、しかもすこしも不自然をかんじさせず、かえってギリギリに追いつめられた情感の激しさをあらわしていた。

 ところが、同じ伊藤監督の『切られ与三郎』でも、市川雷蔵と中村玉緒のキスシーンがあったが、 本番になるといつも熱演するたちの玉緒が、夢中でそれをやっているうち雷蔵のハナの下に、口紅がベットリとついてしまった。

 伊藤監督は“それもかえってリアリティがあって面白い”といってよろこんだものの、結局はとりなおしになったが、クチビルとクチビルとが合わさってない見本みたいなものといえばいえるかも知れない。

 その中村玉緒と、やはり伊藤監督の『月の出の血闘』で接ぷんすることになった勝新太郎は『切られ与三郎』の前例もあることなので、あらかじめ玉緒に聞いたことが

 “玉緒ちゃん、そのお歯黒ってすぐにとれるものなのかい”

 玉緒の役は人妻なので、映画用のお歯黒をつけていたのだがいざ接ぷんの場合、それが自分の顔については心配だったのである。

 ところが、いざ撮影になるとふたりが抱き合い、顔がかさなった。と、見る間もなく離れてしまう演出で、それでは口紅もお歯黒もまったくつくひまもなかった。こうして勝の心配(楽しみだったかは知るよしもないが・・・)は取り越し苦労に終わったわけだが、その伊藤監督のいいグサが、与三郎もどきでふるっていた。

 “そりゃア、キスシーンと申しましても二十三秒が一分かかることもありゃア、一秒、半秒でも十分に効果のあることもありましてね”・・・ザンネンでした。(サンケイスポーツ 11/12/60より)