企画から撮影に入るまで - 『二十九人喧嘩状』スタッフ・リレー -
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配役ができるまで |
企画が生れ、シナリオが完成すると、それを中心にして各部がそれぞれ活発な動きを見せる。まず最初の、そして最も重要な位置を占めるのが、配役を決定することである。
シナリオが出来ると、本読みがあり、通常それに続いて行われるのが配役会議である。これには、所長、俳優部長、監督を中心にして、各部長、関係課長らが出席し、これらの人々の合議制によって配役会議は運営されている。しかし、これに先だって、俳優部ではその時の製作状況、従って各俳優の出演状況をにらみ合せた上で、あらかじめ主要な役柄を第一案、第二案、時には第三案までもこしらえた腹案を会議に提出する。それを中心にして配役を完成するのである。このように、企画が出来、脚本が出来上ってから役の性格に合った配役を見るのが、映画に限らず演劇にしても当然の事である。 ところが現代劇はまだしも、時代劇になるとこういったことは常識ではなく、一・二の主演スターを中心にして一つの企画の生れることの方が常識である。『二十九人の喧嘩状』の場合もそういった意味で例外ではない。
若手俳優陣を総動員した、集団やくざの颯爽篇を作ろうというのが『二十九人の喧嘩状』である。ここしばらく大映にやくざものがなかった。市川雷蔵の場合も、『大阪物語』では番頭に、『朱雀門』では有栖川宮、そして『浮舟』では匂宮と、ここしばらくは若々しい颯爽とした役どころがなかったのである。
時代劇俳優にとって、颯爽とした、痛快味にとぼしい役どころが続くということは、俳優の人気に影響すること必ずしも小ではない。時代劇俳優の寿命が長いと云われる一つの大きい原因が、こういった所に見出されるのであってみれば、やくざものの主人公も大切なのである。そこから出されたのが、雷蔵、勝、成年以下によって吉良の仁吉を取り上げようという企画である。
どこの会社にしてもそうなのだが、一つの作品を作る場合、配役は手持ちの俳優で編成したいのが理想である。しかし、主役俳優はともかく、バイプレイヤーになってくると、各社とも手持ち不足であるし、その絶対数も少ない。有能なるバイプレイヤーが、次々と台頭する傾向も見られないのが現状であるから、貴重なバイプレイヤーは、各社の取り合いになり、需要と供給の不均衡からギャラの吊り上げ、製作の混乱をもたらしてしまう。何しろ、撮影というものが半分は天気相手の仕事であるから、短期間の、無理を承知で組まれた外部俳優の出演スケジュールはくずれがちになってしまう。こういった映画製作の苦衷をよそに、『二十九人の喧嘩状』は長谷川一夫さんを除く大映京都撮影所の持ち駒で、理想的なキャストを組むことが出来たと云えよう。