師走の雨

 「やっぱり決心しよう、お前も肚をきめてくれ、明日にでも二人で寿海さんをお尋ねしよう、こういうことは、思い立ったら早いほうがええ!」

 九団次は暗闇の中で、とつぜん隣の寝床の妻へいいかけた。きっぱりと、迷いを断ち切った口調だった。妻のはなもやっぱり眠れないでいるのを、九団次は気配で知っていたのだ。なにも今夜ばかりではない、夫婦はここ幾夜となく、眠られぬ夜を重ねてきているのだ。

 「・・・」

  はなはすぐには返事ができなかった。いざとなると、また母としての未練が決心を鈍らすのだ。だが、嘉男の将来を思えば、思いきって手放すのが親の愛情というものや・・・と、危く思いなおす。

 「なああんた、朝になったら、もういっぺん嘉男の気持をきいとおくれやす。それであの子の気持が決っていあるのんやったら、わてはもう、何もいうことはおまへん」

 しのびやかな雪まじりの師走の雨の音が、急に耳につく。二十年間育ててきた愛し子を、他家へ養子縁組させようと、たったいま決心したばかりの父と母の胸に、さびしくそれはしみいってくる。

 柱時計が二時をうった。

  九団次が息子の嘉男を市川寿海の養子にしてもらいたいと本気で考えるようになったのは、半年あまり前の二十五年五月、文楽座の関西実験劇場第二回公演で、義男が「妹背山道行」の求女を演じて好評を浴びたときからだった。関西実験劇場というのは、戦後大阪で歌舞伎の演出に乗り出した武智鉄二が、単なる様式的なものにとどまっている歌舞伎を、今日の演劇に通じるものにしたいという目的のもとに、関西歌舞伎の若手俳優を集めて行う実験的な公演で、実川延二郎、中村扇雀、坂東鶴之助、嵐鯉昇(後に映画入りして北上弥太郎)、それに市川莚蔵を名乗る嘉男らが、厳しい指導と訓練を受けてきた。

 いつも実験劇場公演では芸質のよさを評判される嘉男も、本公演では役らしい役ももらえず、あたら才能を持ちぐされにするしかなかった。「妹背山」の成功を目の前に見るにつけても、九団次は嘉男をここまま埋もらせるのはたまらないと思った。

 「なんとかして一人前の立派な役者にしてやりたい。しかし、門閥のないわしには、どうしようもないやないか・・・」

 昔から歌舞伎の世界には派閥というものがあって、名門以外のものは、たとえ実力があっても、一生、分相応以上には上れないのだ。いくら立派な役者になろうと技を磨いても、九団次の子は九団次としての地位以上にはのぼれない。九団次は関西歌舞伎の名脇役として活躍してはいるが、しょせん名門の出ではなかった。

 「いかん、このままではいかん、誰ぞええ家柄の人で、嘉男を貰うてくれる人があったらええのや・・・」

 九団次はすぐ市川寿海の顔を思いうかべた。名門市川寿海には、実子も養子もなかった。九団次が希うまでもなく、養子縁組の縁談はふるほどもちかけられてくるのだが「役者は自分一代で充分、この苦しい道を、なにも子供まで貰って継がすことはない」という固い信念を持っている寿海は、全部断わってきているのだった。

 「いや、なんとしても貰うてもらう!寿海はんに貰うてもらう!」

 九団次は求女を演じ終った息子の後を追うように、文楽座の楽屋の廊下をせかせか行きながら、その夜固く心の底で決心したのだった。だが、嘉男にはまだ何もいわなかった。 

    

 

寿海が