「寿海はんに、嘉男の芸を認めてもらうことが、まず第一や」
という九団次の念願を叶えるためでもあるかのように、それから半年目のついこの間のこと、うますぎるような機会がおとずれた。名古屋御園座での関西歌舞伎師走興行のとき、本公演の夜の部が閉演たあとの、九時半から一時間半を、武智歌舞伎で技を練る嘉男たち「つくし会」のために、特別公演が行われたのである。演しものは「修禅寺物語」で、嘉男は将軍頼家の役を振り当てられた。
大役だ。昔から頼家を当り役としている市川寿海に審査役を依頼し、採点してもらうことになった。九団次はひとしれず固唾をのんで、成りゆきを見守った。
「お父さん、なんでそないいらいたしてはりますのや。僕の初舞台のときかて、もっと落着いてはりましたで」
頼家の化粧をしながら、嘉男は傍らの父親をかえりみた。
「なんしろな、頼家役者の寿海はんが審査役やさかい、お前の頼家のあらばっかりが目につくやろしな」
九団次はつい本音をを吐いてします。
「しょむない。お父さん、心配せんあkてよろしいが。僕は寿海はんかて誰かて気にしとりまへんで。点数なんぞ、どうでもええのや。ただな、頼家の気持にどこまでなりきれるか、役の性根にどこまではまりこんで、どこまで観客のこころに頼家としてうったえられるか、いうことでいっぱいや」
嘉男の若い瞳が、鏡の名kでキラリと光り、声音が熱を帯びていた。寿海はんなど眼中にない、という息子の言葉が、ただも寿海の目に認められるようにと念じる親の胸には、むしろス0ッとするような快さだった。
「そうやとも、それでええのんや」
息子に導かれた思いで、大きく頷く父に
「なあお父さん、名門の子でもない僕に、立派な将軍の気持が出せたら、役者として本望や思います。どうせ僕ら一生うち、こんや役を本公演でやらせてもらうことはないよって、一世一代や思うて一生懸命やります」
「そうやな、たのむで」
九団次はふっと涙っぽい気持になった−お前にそんな家柄のない悲しさを味合わせまいと思えばこそ、お父さんはこない心配しとるんや−
いっそ、今夜の舞台にはお前の将来がかけられtいるのだ、といってしまいたかった。しかし、なまじしらせて気持が乱れてもと、九団次はそれをおさえて息子の部屋を出た。
客席へ廻ろうとする楽屋の廊下の角でもんだいの寿海とバッタリ出あった。
「ごくろさんだす」
と九団次は会釈して、やはりこれから客席に行くらしい寿海の後に従った。
「えらい冷えますな」
と寿海を振りかえっていった。
「また雪になるのんかもしれまへんな」
何気ない受け応えとは反対に、九団次は気もそぞろだった。今夜の寿海の採点によって、嘉男が寿海の養子になれるかなれないかの岐れ路がきまるような気がする。「嘉男がお世話になります、なにぶんよろしゅう」と、ひと言いいたいのが親心だったが、とうとう九団次にはいえなかった。
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