名古屋公演からもどるなり、九団次はもじりコートに中折帽子のまま長火鉢の前に坐りこんで、呼吸をはずませながら、はなにこう報告した。
「なんせ寿海はんが、まったく感心したいうて俺の肩を叩かはるんや。なんしろ嘉男の頼家が最高点の八十点でな、九団次さんはいい息子さんをもたれましたなあ、こんなときには、つくづく子供のないことがさびしい、とな、こない寿海はんがいわはるのや」
「へえ、子供のないのんがさびしいとなあ・・・」
その日から、今夜雪まじりの雨の音をききながら最後の決心をつけるまで、夫婦はまる五日間、嘉男を手放すために眠られぬ夜々を重ねてきたのである。
嘉男は初めて父から養子話を持ち出されたときも、両親たちほど深刻になったり感傷的になったりはしなかった。
「お父さんやお母さんの反対を押し切ってまで、役者の家柄を掴みたい気持はないけど、養子に行くことがお父さんたちの希望なんやったら、僕は行かせてもらいます。同じ大阪やし、逢いたいときは逢えるんやもん」
さすがに野心に燃える若い者だけあって、むしろ乗気だった。
いまもその言葉に変りはなかろうが、翌朝もう一度息子の気持を確めてから、九団次夫婦は寿海を訪ねた。もとより即答が得られるとは思わなかったから、その後の二度三度の訪問も苦にはしなかった。諦めもしなかった。そしてとうとう、
「九団次さん、では嘉男さんをいただかしてもらいます」と寿海のほうから来宅を求めてのうれしい返答だった。
「じつはいまだからいいますが、あなたからこのお話がある前に、私は嘉男さんを養子に貰えないものかと思ったことがあるんです。役者稼業は一代でけっこうという主義が、嘉男さんの頼家を見たとき、じつはぐらついたんです。しかし、その後幾度か思いかえし、お話があってからも、随分考えました。そして昨夜やはり養子はもらうまいと心に決めました。ところがどうでしょう、心を決めてホッとしたはずなのに、今朝は妙にさびしくなって、嘉男さんを諦めきれない気になったんです。やっぱり本心は嘉男さんがほしかったんだと気がつきました」
寿海夫妻もまた、幾夜となく眠られぬ夜をおくっていたのである。
その翌くる朝、九団次夫婦は起きぬけに京都へ出かけ、楽屋入りまでにはもどってきた。「ちょいと用があってな」といったきりで、嘉男に行き先は告げなかったが、じつははなの弟夫婦の墓参のためだった。何のための墓詣りか、はなの瞼は泣きはれていた。
「お父さんたち、やっぱり僕がよそへ行くのがさびしいんやろ?・・・考えてみれば一人っ子やもん、当り前や。僕かていままでどおり、お父さんとお母さんの子でいたいわ。親子の情を殺してまでええ役者になったかて、それがなんで生甲斐や。もう僕はどこへもいかんで」
老いたる父母をいたわるように、嘉男は白い歯をこぼしてやさしくほほえむ。甘えて育った一人っ子の、幾つになってもとれない気弱い一面だった。
「ばかはいわんもんじゃ。ええ役者になることだけ考えたらええのんや。それが親孝行ちゅうもんや。そらわしたちかて一時はガクンとまいるかもしれんが、じきに馴れてしもうわい。ここまで運んだお父さんの苦労がわかっとるんやったら、ばかは二度と口にすんな」
神妙にうんと頷いた嘉男も、母親にはやはりこういい添えずにはいられない。
「僕がよそへいったかて、それで生みの親子の縁が切れるわけやないし、お母さんがこさえてくれるもんが食べとうなったら、いつでももどってくるで。な、お母さん」
「そうやとも・・・生みの親子やさかい・・・」
はなはたまりかねて袖口を目に当てた。嘉男は、はなの腹を痛めた子ではなかった。
|