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日本映画好敵手論 中村錦之助・市川雷蔵 |
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ここで、彼の過去をふりかえってみると、、彼は、歌舞伎界の大立者故中村時蔵の四男である。いうなれば、恵まれた環境に育った少年といって差し支えない。四歳のときに初舞台を踏んで以来、歌舞伎の伝統的教育を受け、多分その世界での将来を約束されていたのだろうが、映画という新しい世界進出してきて、たちまちに、少年たちの偶像になった。どこまでも、恵まれた男である。この環境が彼に与えたおおらかな素直さ、しかも、人情的要素が支配するいわゆる江戸っ子気質の竹を割ったような向う気の強さ、この二つが、たとえ僅かの期間ではあったが、大川橋蔵などの後からくるものに追われる苦難の時期を経ながら、少しも失われなかった。彼は負けん気自負する。大体自負というものは、逆作用して性格をへじまげる危険性がるが、その自己破壊的なくもりのないことが、彼の長所である。
森の石松にしろ、一心太助にしろ、もし暗いかげりのある俳優が演じたなら、イヤ味なものになる。自分の天性の明るさを、負けん気そのものの人物に分身させえたところが、錦之助の演技の伸びであるのである。しかし、その反面、この演技の伸びは、あくまで、彼の単純な素直さと負けん気の表面的な交差点上での出来ごとであって、深度という点では、まだまだ疑問である。これはいいかえると、彼には、この面で再びオブジェ化される危険が残っているということである。
内田吐夢の『浪花の恋の物語』は、この点で彼の第二の試金石だったが、力演はしてはいたものの、結果は、彼の素直さが、忠兵衛の苦悶を、あまりに形だけでえ捕えて、迫るべき情感にかける。これは、内田監督の演出が、やや観念的で、忠兵衛の性格描写が表面的だったことにもよるが、人間表現の複雑さが不足していたことの罪は、錦之助の演技の振幅の狭さでもある。しかし、ぼくは、これを深くとがめようとは思わない。まだ二十七歳の青年である彼に、そう貪欲な注文は無理である。それより、彼の天性の素直さを、尊重して、それが、優れた監督の指導で、単に天性的な面だけでなく、多角的に花ひらくことを期待したい。というのは、演技において貴重な原石であるからである。彼の立場は、きわめて受動的であるといってよい。それだけに、東映首脳部の彼を育てる努力を望むのだ。