「好色一代男」のシナリオの第一稿があがったあと、氏はさまざまな意見をのべたが、それはすべて、自分の役を少しでも良くしようという単純なエゴイズムから発想されたものではなく、作品全体を、より深いものにしようとする巨視的な発言だった。私は内心、舌をまき、この男は今に、途方もない大物になるぞ、と思った。俳優の器からはみだした何かが、感じられた。それが何だったのか、俳優のまま、死んでしまった今となっては、分るすべもない。
「好色一代男」の数度の打ちあわせの間に、氏も又、私に好感をもったのか、氏は1931年、私は32年生れという同じ世代の親しみからか、おそらくその両方と思われるけれど、東京へ出てくるたび、氏は、私に電話をかけてくるようになった。「炎上」や「破戒」のプロデュサーで、氏のよきアドバイザーであり、又、私のシナリオ第一作の企画を担当してくれたのが縁で、私の素晴しい友人となった藤井浩明氏と三人で六本木や新宿や赤坂を、夜が白々と明けはじめるまで、さすらった。といっても、雷ちゃんも藤井氏も、きわめてストイックだから、乱痴気騒ぎをしたことなんか、一度もない。私には、破滅型の要素があって、周期的に突如、その要素が爆発し、女性や睡眠薬に惑溺したりする。けれども、その頃の私は、丁度「静」の周期のなかにいたから、両氏と行をともにすることが、とても、楽しかった。
平常の雷ちゃんは、まことに地味なので、どこへ行っても、まず気付かれることはない。キザなことをいう氏ではないから、これは私の勝手な臆測だが、顔が売れすぎてしまって、滅多な場所に出没できず、食事をするにしろ、酒をのむにしろ、きまった所へしか行かれなくなるスタアたちは、自然、庶民の生活感情から遊離し、その結果、演技にリアリティを失うという事態を招く。雷ちゃんは、向上心にみちあふれていた人である。化粧を落し、眼鏡をかけ、背広にきしんとネクタイをしめると、まるで目立たなくなる自分をよく知っていて、地下潜行をし、巷の中から俳優市川雷蔵の栄養分を吸収しようという目論見を、常に持っていたのではないのだろうか。
アメ屋横丁を駆けめぐったこともあった。ゲイ・バーのはしごもした。当時、全盛だった六本木族に接触しようとかれらのアジトに潜入して、ねばった。
ぶっつけに入った銀座のクラブで、映画狂の若いホステスが、
「こちら、なんだか、市川雷蔵さんみたい」
といったとき、氏はキョトンとした顔で
「それ、誰ですか?」と答え、その態度があまりに自然なので、ホステスはコロリとだまされ、
「映画スタアよ。知らないの?イヤあねえ」軽蔑しきって、鼻にシワをよせた。
私と藤井氏は、笑をかみ殺すのに、往生したものである。その晩は、初夏の甘美な空気がただよう気持のいい夜で、私たちは、変に陽気になっていて雷ちゃんが、宿もとらずに、飛行場から、そのまま銀座へ直行してきていることを、うっかりと忘れていた。気がついたときには午前三時で、アワをくった藤井氏が、片っぱしから、ホテルへ電話をかけて問いあわせたのだが、あいにく、どこも満室であった。
丁度、私は、神田の“山の上ホテル”にこもって仕事をしていて、そこへ電話でよびだされ、出てきていたので、もしよかったらぼくの部屋で寝ていきませんか、と提案した。誤解を招くとといけないので書いておくが、私はシングルの部屋にいたのではない。当時は、映画界もかなりゆとりがあり、私はツイン・ルームを一人で借りていたんのである。べつだん、雷ちゃんと、ひとつベッドで寝たかったわけではない。
部屋に落着き、藤井氏が帰ったあと、雷ちゃんと私は、しばらく、雑談にふけった。
不眠症と、胃腸が弱くてすぐ下痢をするという二つの肉体的ななやみを氏に訴えてから、寝酒にウイスキーを注文しようと電話をとった私を雷ちゃんは、おしとどめていった。
「ぼくも、胃腸がスッキリしなくてなあ。でも、ブランディをのむようになってから、調子が、かなり、よくなった。ウイスキーなんかやめて、ブランディにきりかえなさい。よう眠れるし、胃腸にもいい」
忠告にしたがって、私は、その晩から、ジンやウイスキーやビールと縁をきり、ブランディ専門でいくことに決めた。
あの夜ふけの会話が、妙に、心に残っている。
ブランディ党になってから、私は滅多に下痢をしなくなった。後日、そのことを、報告したとき、氏は、嬉しそうに微笑して、何度もうなずいた。
私の弱い胃腸は、多分に神経症のものであったが、雷ちゃんの場合は、おそらく、私と事情がかなり異っていたのではないかと思われる。あの頃から、ガン細胞はもう、氏の体内で、ひそかな活動を開始しだしていたのではないのだろうか。
−翌日、昼近くになって、ようやく目を醒ました私が、隣のベッドを見たとき、すでに氏の姿はなかった。
午後から、京都のスタジオ撮影があるといっていたから、午前中の飛行機にのって、帰ったのだろう。
ベッドは整頓され、白い毛布の上には、きちんとたたまれた浴衣が、置かれてあった。