映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

 今の若い人は知らないかもしれませんが、番頭役で出てもらった音楽グループ、和田弘とマヒナスターズの人気は当時、絶頂期だったんです。ヒット曲も多かった。会社は、彼らの人気にあやかろうという狙いもあったのかもしれません。脚本段階では旅芸人の役でした。しかし、読んでてどうも面白くない。撮影に入り急遽、番頭役に変えました。登場するのは、増水で川を渡れなくなった旅人でにぎわう宿の二階に、おちょうしを持って上ってくる場面です。確か、時代劇出演は初めてのはずです。

 ちょんまげ姿で現れ、裏声で歌い始めるマヒナに、映画館のお客さんは驚いたかもしれません。当時、どんな反響があったか、覚えていないんです。前日までに録音しておいた歌と演奏をセットしに流し、それに合わせてキャメラを回しました。撮影は予定より早く、昼までに終わり、マヒナが喜んでくれたのを覚えています。彼ら、忙しかったですから。

 同じことは喜多八、弥次郎兵衛役の漫才師、中田ダイマル・ロケットにもいえます。第一作の『化け猫御用だ』に続く出演でした。ダイ・ラケの人気はすさまじく、高座のスケジュールがびっしり詰まっていました。漫才のうまさはいうまでもありませんが、演技もよかった。私が撮影現場で「こういう意味のことをしゃべって」と注文すると、面白いせいりふがぽんぽん飛び出したものです。彼らの場面だけ、脚本は最初から無視しました。

 二人の大阪弁、いいでしょう。捨てぜりふがいいんです。大阪弁を使う作品はたくさんありますが、しっくりこないものも多い。それは、捨てぜりふが生きてないからです。エスプリの利いたせりふがないと、ほんまもんの大阪弁とはいえません。だれにでも即座に言えるものではない。ダイ・ラケ漫才のうまさの秘訣がうかがえるのではないでしょうか。

 余談になりますが、テレビの衛星放送の番組でこの作品の山場の一つ、谷川での立ち回りの場面を見ていて、えらい冗漫やな、と思いました。もっと短くすべきでした。私にとって、監督になってまだ三本目。どのカットにも苦労があり、愛着がある。編集段階でつまむ(捨てる)のが惜しかったのでしょう。まあ、若気の至りですな。