映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

 大映のお正月映画といえば「たぬき」ものが定番でした。私がてがけた『花くらべ狸道中』は1961年1月3日に封切られました。ちょうど39年前の今日です。出演は市川雷蔵さん、勝新太郎さん、若尾文子さん、小林勝彦さんらのほか、五月みどりさん、スリーキャッツ、赤坂小梅さら、当時の人気歌手が歌って踊るお正月らしい、にぎやかな作品です。

 内容は「弥次・喜多どたばた道中のたぬき版ミュージカル」。実にたわいのないものです。お客さんは演技というより、スターの歌や踊りがお目当てですから、それでよかったんです。当時、会社の宣伝部が作ったPR文には“数あるお正月映画の中でいちばん楽しく、いちばん華やかな内容を持つタヌキ・ミュージカル映画”とあります。私の七作目ですが、まだ「新進気鋭の監督」になっています。

 「たぬき」ものは大映のお家芸といってよく、年末、年始向けに多く作られました。雷ちゃん主演では59年12月から60年1月にかけて『初春狸御殿』が上映されました。歴史は古く、ルーツは合併(42年)前の新興キネマで、木村恵吾監督が手がけた『狸御殿』(39年)あたりにさかのぼります。流行歌手やコメディアンが登場するスタイルはこのころ固まったはずです。いずれにせよ、いわばファンへのお年玉みたいなものでした。

 ミュージカル映画は助監督時代、木村組で、携わった経験はありますが、監督としては初めて。「モダンに作ろう」と、私の発案で音楽は当時、売れっ子だった浜口庫之助さんに依頼しました。前年(59年)スリーキャッツの歌でヒットした彼の「黄色いさくらんぼ」は当時、とても目新しく、彼なら面白いメロディーをつけてくれるだろう。と狙いをつけたわけです。映画用に作ってくれたのは十数曲でした。場面に合わせ、すべてオリジナルです。おかげで映画はテンポよくにぎやかになり、期待通りの仕事をしてくれました。

 雷ちゃんの歌ですか。かなりレッスンを受けさせた記憶があります。可もなく不可もなく、といったところではなかったでしょうか。対照的に上手だったのが勝ちゃんです。長唄の師匠のせがれですから、当然といえば当然でしょう。楽譜は読めないけれど、下手な歌手よりうまかった。劇中、二人がデュエットしているので、ぜひご覧になって下さい。

 せっとづくりは、昨年11月、京都で座談会をした美術の内藤昭さんとの共同作業でした。時代劇なのにシャンデリアや金髪のかつら、アメリカのミュージカルにみられるような階段を使っています。最初から遊んでやるつもりで二人とも笑って乗ってました。大映の「たぬき」ものは確か、これが最後のはずです。作られていたとしても、客は入らなかったでしょう。当時、テレビで似たような番組をやってましたから。昔なら映画館に行かなければならなかったけれど、このころにはお茶の間でスターを見られるようになっていました。だから、やめてよかった。

 <浜口庫之助:昭和30〜40年代を中心にヒット曲を生み出した作詞、作曲家。代表作に「僕は泣いちっち」(守屋浩)、「バラが咲いた」(マイク真木)、「夜霧よ今夜もありがとう」(石原裕次郎)など。90年12月没。>

 <映画館の入場者は、58(昭和33)年の11億2745万人をピークに減り始める。60(昭和35)年にはNHK、民放のカラー放送が本格的に始まり、映画産業の斜陽に拍車をかける。>

 昨年一年間、邦画界は久々に活気がありました。それも時代劇。友人でもある篠田正浩監督の『梟の城』、大島渚監督が久々にメガホンをとった『御法度』、黒澤明の遺稿シナリオを、残った黒澤組で撮った『雨あがる』などがそれです。市川崑監督の新作『どら平太』も今年封切られると聞いています。これほどの時代劇が一年に作られるというのは近年になく、画期的なことです。時代劇を作り続けてきた一人としてはとてもうれしい。

 時代劇が作られなくなった大きな原因は、現代劇の何倍ものお金がかかるからです。技術的にも熟練したスタッフが少なくなり、ロケ撮影も困難になってきている。篠田監督から聞いたのですが、『梟の城』はコンピューターグラフィックスを多用しているそうです。この技術を応用すれば、大きなセットを組まなくても撮れる。時代劇復興に直接、つながることはなくても、追い風にはなることは、間違いないでしょう。

 映画化できるような時代劇の素材はたくさんあります。今年もいい作品が作られ続けることを期待しています。