映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

 「映画づくりは甘くない。現場で貪欲に学び、プロに徹せよ」田中監督は今月12日、松竹京都映画撮影所(京都市)で開講中の「KYOTO映画塾」(西岡善信塾長)の特別講師として教壇に立ち、映画人を志す若者に助言した。

 二年制で、現在、9・10期生計32人が監督や脚本家などを目指し、指導を受けている。この日、10期生を対象にした約三時間の講義で田中監督は、大映入社から下積みの助監督時代、演出作品にまつわる思い出を語り、「意欲を持ち続け、夢を追い求めてほしい」と激励した。内容を二回に分けて紹介する。

◆ 助監督時代 ◆

 学生時代は映画青年をきどっていた。『戦艦ポチョムキン』(25年)で知られるエイゼンシュタイン監督(1898〜1948)の“モンタージュ理論”などを訳知り顔で論じていました。そんなものは何の役にも立たないことを、大映入社三日目に悟りました。

 一月四本の映画を作っていました。大変、勉強になっただろうと思われるかもしれませんが、演出についても教えてもらったことは一度もありません。監督は教えるのが商売ではありませんから。

◆ カメラマン ◆

 映画づくりには美術、大道具、小道具、いろんなスタッフの協力が必要です。その中で、監督にとりカメラマンが一番重要だということには異論がないでしょう。監督の意図を表現するのはカメラマンしかいません。

 チーフ助監督を務めた『炎上』(58年)で印象深い出来事があります。市川崑監督とカメラの宮川一夫さんが対立して、約一時間、札家がストップしたのです。演出上の意見の対立だったのでしょうか。主役の市川雷蔵さんが気を利かせて「先生方、ぼちぼちやりまひょか」と一言。やっと再スタートしました。宮川さんでいえば、溝口健二監督とは最高のコンビでした。溝口監督は宮川さんに限らず、スタッフや俳優には一切、指示らしい指示はしない人でした。

 自分勝手に撮るカメラマンもいないことはいない。私も二、三人経験しました。そんな人は自分の仕事を真剣に考えたことがないのでしょう。監督との意見の疎通が大切です。

◆ 照明 ◆

 人数でいえば、最も多いのが照明さんです。大映には気性の荒い人が多かった。厳しい批評眼も持っていました。撮影中、「徳さん、あんな芝居させたらあかんで」などとアドバイスしてくれました。役者が下手な芝居をすると、ライトをあらぬ方向に向けたこともあります。経験を積んでいるから、目が肥えているんです。理屈っぽいことは一切いわず、陽気で粋で、昔ながらのカツドウヤ精神が満ちあふれた人たちでした。

◆美術◆

 撮影が始まるまでに、一番重要な役どころです。監督と相談しながら、シナリオに沿ったセットの設計図を描きます。セットだけでなく、衣裳や小道具、髪型など、すべての時代考証も担当します。カメラに写りそうにない細部にまで気を配るのです。図書館で調べたり、大学の先生に取材することもある。ロケ現場を探すときには、監督、カメラマンと同行します。私は、塾長の西岡さんや内藤昭さんら、一流の美術さんと一緒に仕事をできる幸運に恵まれました。

 

ロケハンの様子

 市川崑監督と宮川一夫カメラマン