映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

 市川雷蔵と一緒に仕事をしていて、もっと雷ちゃんらしいものを撮りたくなりました。彼の持ち味は、哀愁であり、つやっぽさです。立ち回りでも、どこかその雰囲気が漂う。個性を最大限に引き出す作品ができないものかと思っていました。

 彼の主演で『手討』(63年)を撮った直後のことです。週刊誌で連載していた柴田錬三郎さんの小説「眠狂四郎」を読みました。内容は、それほど面白くなかったけれど、タイトルがよかった。名前を聞くだけで主人公のイメージが浮かび上がるでしょう。「これや」とひらめきました。

 雷ちゃんに話を持ち掛ける時、気がかりなこともありました。眠狂四郎は以前、鶴田浩二さん主演で作られていたのです。東宝だったかな。人がやったもんで受けるやろか、と不安がちらつきました。 

 「あんたに似合うと思う。やってみる気があるか」とぶつけると、雷ちゃんは「わかった。いいよ」とあっさり引き受けました。彼も眠狂四郎のことは知っていたようです。

 さっそく、プロデューサーの辻久一さんに「雷ちゃんがやると言っている。ぜひ撮りたい」と企画を出しました。辻さんんも「プロット(筋)を書こう」と乗ってくれました。京都撮影所の企画会議に通り、永田雅一社長の承認も得られました。

 映画化では、原作者の承諾が欠かせません、柴田さんの家族が雷ちゃんのファンだったため、スムーズにOKがもらえたと聞きました。これは企画者の役割ですが、交渉は「だれで撮るのか」「雷蔵です」「好きにやってくれ」と簡単に運んだそうです。『眠狂四郎殺法帖』(63年)の準備は整いました。

 ところが、残念なことに、渡された脚本は私の狙いと違っていた。打ち合わせの際、ライターの星川清司さんには「眠狂四郎のイメージを最優先してほしい」と注文していました。しかし、内容は事件のつながりばかり。二ヵ月後の封切りに間に合わせなければならず、よくできたとは思えないホンのままクランクインしました。63年9月のことです。

<星川さんは著作「カツドウヤ繁盛記」(97年刊)でこの脚本について、「原作の設定を決して変えてはならぬ、という条件付きの仕事を引き受けたことを悔んだ」と回想している>

 眠狂四郎といえば「ニヒリズム・エロチシズム・剣」です。この一作目では、その特徴を陰影深く出せなかったきらいがある。雷ちゃんにしても、狂四郎像をつかみ切れてなかったんじゃないかな。私自身、どこかでこの作品を「失敗作」と書いてしまいました。でも、興行成績は悪くなかったはずですよ。なぜなら、翌年一月にはシリーズ第二作(『眠狂四郎勝負』)が封切られ、結果的には雷ちゃんを象徴するキャラクターになったんですから。

 あんなこと、書かなきゃよかったな。