映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

 眠狂四郎の父親は外国人の転びバテレン(キリシタン)、母親は大目付の娘という設定です。企画の段階で。「髪の毛を赤くしたほうがそれらしく見える」という発案もありました。結局、私の『殺法帖』(63年)では見送りました。回想場面のある後年の作品では、少し染めていたはずです。

 時代劇に限らず、映画作りでは撮影前に衣裳調べと扮装テストをします。すべての場面での主要キャストの衣裳を決める作業です。たとえば、複数の女優が登場する場面があるとします。脇役の衣裳が主役より目立ってはいけないし、似たような柄や色ばかりではつまらない。時代考証も必要です。とりわけ大事な場面向けには五種類ほど準備し、その中から選びます。大映京都には膨大な数の衣裳がありました。

 ふさわしいものがないと、主役級なら特注で作ることも珍しくなかった。衣裳や美術さんと、ああでもない、こうでもないと意見をぶつけ、深夜になることもしばしばありました。狂四郎のスタイルもこうして決りました。額に「むしり(前髪)」が下がり、黒の着流しにぞうりばき。典型的な浪人の姿です。でも、本当は不自然なところもあるんですよ。彼は山中の旅でも同じ装束。本来あんな格好ではできません。虚無的でダンディーなキャラクターを優先し、時代考証は犠牲にしたわけです。

 狂四郎のトレードマークともいうべき円月殺法は、私と雷ちゃん、殺陣師の三人のいわば合作。下段の構えからぐるっと刀を回すうちに、敵が引き込まれ、斬られる。当時のポスターには“宙に円月を描けば鮮血一条!”とあります。原作の柴田錬三郎さんの小説に図解はないから、いろいろ試して決めたように記憶しています。何本か後の作品では、じわりと回す刀に影が残る技術が導入されました。緊張感を高める効果です。池広(一夫)ちゃんの作品だったかな。

 1968(昭和43)年に私が撮ったシリーズ第十作『女地獄』でも使っています。現像の段階で加工するのです。コンピューターグラフィックスの発達した現代では、なんでもない技術でしょう。

 余談になりますが、作品の冒頭や中盤に、狂四郎の命を狙う伊賀忍者については、助監督時代から考証の必要上、調べていました。しかし、実際に伊賀の地を訪ねたことは一度もなかった。私にとって、忍者といえば伊賀だったけど、どんなところか知らなかったのです。赤目の滝、江戸川乱歩くらいだった。今から十年前、妻が「名張にいいとこ(家)見つけた」と引っ越しを提案したときには、「名張ってどこやねん」と、地図を広げたほどです。

 雷ちゃん主演で撮った『忍びの者・霧隠才蔵』(64年)も伊賀者の物語。映画での縁は深かったけど、自分が忍者の里に移り住むことになるとは、思いもよりませんでした。