その次に雷蔵君に会ったのは大阪歌舞伎座の坂東蓑助君の楽屋でした。蓑助君は若い役者の教育に熱心で、ひまさえあればゆかた一つになって、口三味線を唄いながら、すっとこすっとこ、大ぜいの役者をあつめて、踊りの稽古を、蓑助君自身汗水たらしながら、先頭に立って、つけているのでした。雷蔵君もその中にまじって踊りの稽古をしている一人でした。初夏の西日のさしこむ楽屋で、ニキビだらけの顔を汗でテカテカ光らせていたのが、何とも言えず印象的でした。

昭和25年9月大阪歌舞伎座公演「涼み船」

その頃の雷蔵君のニキビというのは盛大なものでした。しかし、そのニキビの中から浮かび上がる顔の輪郭は端麗そのもので、よく通った形の良い鼻、近眼鏡の奥に輝く切れの長い瞳、引き締まっ艶の良い唇は、若鹿を思わせるスラリとした姿態と共に、典型的な二枚目役者の相を備えていました。

その年の末に、蓑助君と私とが指導者格になって、若手歌舞伎の訓練を兼ねた歌舞伎の実験公演を持つことになりました。