3月27日ホテル・ニュージャパンで晴れて挙式

殺人的だった婚前スケジュール

 結婚式は午後3時から、赤坂のホテル・ニュージャパン3階の結婚式場で行われた。出席者は、媒酌人の藤山勝彦氏夫妻、雷蔵の父の市川寿海、永田雅一大映社長夫妻、恭子さんの母遠田光子さんら、近親者ばかり18名。報道関係者はおひざもとの大映カメラマンさえもシャットアウトという厳重さだ。

 しばらくは、おごそかなショウ、ヒチリキの音が、断続して廊下にもれてくるばかり。

 3時半には式が終って、新郎新婦が姿を現わす。雷蔵は黒のモーニング、恭子さんはレース模様の純白のウェディング・ドレスに純白のベール、白い花束を胸のところへ捧げて新郎に寄りそっている。黒と白ばかりの中で、恭子さんの上気した頬のバラ色がいかにも美しかった。

 雷蔵もきょうは一点の非の打ちどころのない若ムコぶりだが、きのうまではひどかった。

 京都で撮影中の『破戒』のうち、雷蔵の出場(でば)だけは式の日の前々日までにあげてしまわなければならないというので、22日から猛烈な追いこみに入ったのだ。雷蔵は、撮影所内の俳優会館に布団を運びこみ、部屋のドアに「面会謝絶」の札を掛けて、ひまさえあれば倒れ込むようにして眠るのだが、それでもこの五日間の睡眠時間の合計がわずか10時間。

 26日には、スタッフを四つに分けて、主演の雷蔵をタライ回しにするという“決死的撮影”で、午前中に5カットを撮り上げ、これでようやく雷蔵の出場は終った。撮影所から伊丹空港へ直行する雷蔵を、市川崑監督をはじめスタッフ、共演者一同が拍手で送った。彼の敢闘をたたえ、かつ明日の結婚式を祝福する拍手である。共演の長門裕之の言葉を借りると「送り出したとたん、ヘナヘナとなった」そうだ。

 その日の3時40分、羽田空港に降り立ったときの雷蔵は、髪は伸びほうだい、無精ヒゲの生えた顔は土気色で、市川雷蔵というよりは、瀬川丑松そのままだった。オーバーのポケットに両手をつっこみ、みけんに深い立てジワを寄せて、うつ向き勝ちに歩を運ぶ。

 その疲れ切って憂うつそのものの雷蔵の顔が、一人きりでひっそりと出迎えにきていた恭子さんの顔を見たとき、はじめてホッとなごみ、近づくにつれて明るい笑顔に変っていった。いつか恭子さんが「嘉男さん(雷蔵の本名は太田嘉男)が笑うと、ふだんの大人っぽさが消えて、ずっと年下のわたしですが、かわいいと思います」といった、その笑顔である。

 二人はそれから京浜国道名物の交通マヒにヤキモキしながら退庁時間寸前の外務省旅券課にすべりこんで、新婚旅行のための旅券の手続きをすませる。その足で大映本社へ回って永田社長と同秀雅専務にあいさつ、その他ニ、三カ所のあいさつ回りをすませてホテル・ニュージャパンに入ったのは夜8時すぎだった。

 しかも、当日の朝には、ふたたび恭子さんといっしょに小伝馬町の身延別院(永田社長の。というより大映の守護仏であり、遠田さん一家も信仰している身延山の“東京出張所”)へ結婚の報告にいっている。何ともあわただしい式前のスケジュールだった。

落ちつきはらったプリンス

 だが、記念撮影を終って記者会見の席に臨んだ雷蔵は、そんなあわただしさは少しも感じさせず、いつもの通り落ちつきはらっていた。

 実は、記者会見は初めはやらない予定だったのだが、急に10分間だけ時間を割くことになったのだ、インタビューの中でその理由を聞かれて、雷蔵はこう答えた。

「ぼくは、こういう場合に記者会見をやるということを、いつも不思議に思っていたのです。結婚はあくまでも私事ですから改まって発表したり宣伝したりすることではありませんし、披露宴にはジャーナリズムの方もお招びしてあり、そこでご質問にはお答えするわけですから、いわば二重にもなるわけです。それで記者会見はやらない予定にしていたのです」

 これもいつか恭子さんが、許婚者のクセを聞かれて、「しゃべり方が少し切り口上ですね。だから感じが悪いというわけではないんですけど・・・」といっていた、その“切り口上”で、理路整然と答える。

 混雑をさけるため、記者会見中はカメラは遠慮するという報道陣の申し合わせができていたのに、やはりニ、三人のカメラマンがシャッターを切り始める。すると、世話人より先に花ムコの雷蔵が、「みなさんにおこられますよ」と、笑いながらたしなめるという落ちつきぶりである。

−式を終っての感想を。

雷蔵 映画では数回やっていますが、本ものはやはり芝居とちがって厳粛な感じでした。

恭子 体が引きしまるような思いがいたします。

−お互いの呼び名は?

雷蔵 やはり“恭子さん”と名前を呼びます。“さん”はなくなるかもしれませんが・・・

恭子 “嘉男さん”と・・・

−奥さんの学校(日本女子大児童科)は?

恭子 いちおう三学年で退学いたしました。

−新婚旅行は?

雷蔵 アメリカへ行ってきます。ハワイまではいったことがありますが、アメリカは初めてです。

 恭子さんは、大学一年の夏休みにアメリカへ旅行している。「では案内できますね」と聞かれて、黙ってうなずいていた。

 ここで新婚旅行のスケジュールを紹介すると・・・

 3月28日午前11時59分発のパン・アメリカン機で羽田発。29日8時40分サンフランシスコ着(二泊)、31日朝ニューヨーク着(四泊)、4月4日ワシントン着(一泊)、5日朝ロサンゼルス着(三泊)、8日ホノルル着(二泊)、4月11日午後6時50分羽田着。

 ロサンゼルスの三泊の中に、念願のハリウッド見学が含まれていることはいうまでもない。最初は、永田社長に代ってドジャース球場の球場開きに出席するはずだったが、スケジュールの関係で、これは残念ながら中止になったそうだ。

 記者会見の最後に、これからの決意を聞かれた雷蔵は、「うまくいきかどうか分りませんが」と慎重に前置きして、「俳優としての完成と、よい家庭そ作ることの二つをこころざします。できれば、この二つが即ち一つえおいう方向に持っていければと思います」という。

 恭子さんは、「すべて嘉男さんの気持ちにそっていきたいと思います」と、それまでうつ向き勝ちだった顔をあげて、はっきりこう答えた。

 そんな恭子さんを、けんめいに育て上げてきた母の光子さんが、目をうるませてみつめていた。