☆座談会

切られ与三郎 映画と舞台

                                                                             <出席者>

市川 寿海
市川 雷蔵
伊藤 大輔
司会・民門 敏雄

源氏店をそっくり

民門 切られの与三郎と云えば、先代の羽左衛門さんの十八番だったんですが、雷蔵さん、知ってますか。

雷蔵 知らないんです。戦争中に、顔見世でやっていたのは憶えているんですが。

寿海 市村の兄さんのは、羽左衛門が与三郎か、与三郎が羽左衛門かってぐあいでしたからね。あたしも羽左衛門さんのしきゃしらないんです、与三郎は。

民門 伊藤先生、こんど「切られ与三郎」を撮られるのは、先の「弁天小僧」が良かったからなんですか。

伊藤 これは雷蔵君の企画なんだよ。

雷蔵 なんかやりたくってしょうがなかったんです。まあ、「弁天小僧」と一連のものと云えますね。

民門 源氏店がそのまま映画にも出てくるそうですが、お父さんに習われましたか。

雷蔵 いいえ。

民門 与三郎というのは、黙阿弥のものなどと較べると、あまり有名でない人物で、江戸のものには、有名な泥棒などが多いのに、貫禄としては最低ですね。

寿海 最低ですね。この話は、八代目団十郎のために瀬川如皐が書いたんですが、実際にあった事件をもとにしてるんですね。与三郎のモデルになったのは四世芳村伊三郎といって長唄の三味線弾きで、この人がお囃子にきていて、如皐がその体験を聞いて書いたんですね。九代目団十郎もやってますし、だから、家のものなんです。品川のなんとかいうお寺でしたか、雲右衛門の銅像のある寺に、この芳村伊三郎さんのお墓があります。

伊藤 私、こんど映画の脚本を書きますんで、木更津へシナリオハンティングに行きました。すると与三郎の墓があり、おまけに別の寺には蝙蝠安の墓もあるんです。(笑)海岸には、お富与三郎、見染めの松までありましたよ。

寿海 ありますね。

伊藤 地形なども、使えればロケ地にしたかったのですが、あの辺は埋立地で、昔日の面影が全くありません。木更津名物に、証誠寺の狸囃子があるんです。証誠寺ディを取り入れたくて探したんですが、どうしてもないんで新しく作曲したんです。それと、木更津甚句を使うんです。

民門 これは有名ですな。

伊藤 しかし、原作はひどいもんですね。通し狂言のを読んでみますと。

民門 九幕くらいあるんですね。鎮西八郎為朝の夢なんかが出てきたりして・・・。

寿海 いまは、源氏店を中心として、一幕か二幕しきゃ舞台ではやりませんね。

雷蔵 どういう通しか知りませんが、終戦後に菊五郎劇団が、“与話情浮名横櫛”として通してやったのを、おぼえていますよ。

伊藤 全部やればたいへんなことだよ、与三郎、実はお家重代の香炉を探していて、善悪入り乱れて、源氏店のあと、八丈島へ流されて、鎮西八郎為朝の夢を見て、島を脱けて帰ってくると、お富は又別の男に囲われている。ひょんなことでこれと会うと、その男が実は与三郎の生家の忠僕で、辰の年月日刻の生まれ、この男が自ら刺して、この血とこの薬をまぜて飲めば、金瘡古疵たちどころに直るという、それを飲んで、与三郎は元通りのいい男になってめでたしというんだから。

民門 そんなつまらないとこもあるんですか。

伊藤 だからいいのは、源氏店を中心としたところですよ。雷蔵君が通しといったのは時代でない世話のところだけを引き抜いた通しなんだね。