起源は戦前にまで遡る「股旅映画」の系譜。だが、ここではあえて、雷蔵や錦之助による古典的名作股旅モノの60年代から「木枯し紋次郎」に到るまでの流れに、アウトロー活劇としての股旅映画の魅力を再確認しようと思う。 |
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股旅モノというジャンルを、というより「股旅」という名称自体を創作したのは作家の長谷川伸である。光文社の「木枯し紋次郎」4巻に収録されている菊地仁の解説にも引用された、長谷川伸の「身辺語録」というエッセイの一節によれば、「股旅という名は、私の戯曲「股旅草鞋」から出たものである。私は明治期の人などが口にしていた“旅から旅を股にかける”というのからとって股旅としたのである。私の知っている限りでは、股旅芸者といういい方が明治の中期過ぎまであった。旅芸者とか山ネコとかいうのと、一つのことであった。が、私のつかった股旅はそれと違って男で、非生産的で、多くは無学で孤独で、いばらを背負っていることを知った者たちである」
以降、長谷川伸の原作モノを筆頭に、夥しい数の股旅映画が撮られ続けることになる。
三度笠を目深に被り、道中合羽を風になびかせた主人公が、長脇差を腰に差して街道を行く。それこそが股旅モノの基本スタイルには違いない。股旅モノ=「旅から旅を股にかける」「非生産的で、多くは無学で孤独で、いばらを背負っていることを知った」渡世人の映画。だが、ここで取り上げる作品はもう少し狭い範囲、つまり『木枯し紋次郎』によって提示された一匹狼としてのアウトロー像と、そこに至る源流としての股旅映画に限定したい。
特に『紋次郎』世代にとって、股旅映画、渡世人ヒーロー映画の在り方は『紋次郎』以前、以後という分け方になるのだが、『紋次郎』以前の股旅映画の代表的なものといえば、これはもっぱら東映の中村錦之助(萬屋錦之介)と大映の市川雷蔵が主演した数々の作品に尽きようか。それ以前にも、遡れば古くより数々の名作傑作が生み出されているジャンルなのだが、スペースの問題も含めてそれらの検証は次の機会に譲り、まずはこの両者を軸とする60年代の股旅映画のムーブメントについて。
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