股旅もの


 

 

股旅のヒーローたち

 アウトローの世界に足を踏み入れた男たちが股旅ものの主人公である。長谷川伸は、大正十二年に発表した「ばくち馬鹿」ではじめて渡世人を主人公とし、昭和四年の戯曲「股旅草鞋」で“股旅”という言葉を使い、これ以後、渡世人を主人公とする小説を股旅ものと呼ぶことになった。股旅とは旅から旅を股にかけるという意味で、長谷川伸の主人公が、アウトローの疎外感を基調にして陰翳に富む人物に造型されているのは、少年時代を仕出屋や出前持ちやドックの現場小僧、土工、石工等の職業に従事した作者の、社会の底辺に住む人たちへの共感がこめられているからだろう。

 長谷川伸は、自分のいっている股旅とは「男で、非生産的で、多くは無学で、孤独で、いばらを背負っていることを知っているものたちである」と定義しているが、彼が生み出した多くの主人公 − 一宿一飯の義理からやむなく斬った六ッ田の三蔵の女房子供を守って切ない旅を続ける「沓掛時次郎」(「騒人」昭和三年七月)をはじめとして、四歳の時、実母と生別した作者自信の体験をもとにして書かれた「瞼の母」(「騒人」昭和五年三・四月)の番場の忠太郎や、酌婦お蔦への恩返しに股旅姿で四股を踏む「一本刀土俵入り」(「中央公論社」昭和六年六月)の駒形茂兵衛、或いは「関の弥太ッぺ」(「サンデー毎日」昭和四年六月十五日)らはいずれもそうした思想の体現者に他ならないのである。

 長谷川伸は明治十七(1884)年三月十五日に横浜市太田日の出町に生まれ、本名は伸二郎、四歳で生母と別れ、五十歳のとき再会する。小学校は二年で退学、少年時代を仕出し屋の出前持ち、ドックの現場小僧、鳶の手伝い、土工、石工などを体験、ジャパンカゼットの記者から井原青々園の紹介で、都新聞に入社した。

 大正十一年はじめて長谷川伸のペンネームでサンデー毎日に「天正殺人鬼」を発表、大正十四年から「大衆文芸」の同人となり、以後十五日会(小説)、二十六日会(戯曲)の勉強を主催して、村上元三、山手樹一郎、山岡荘八、棟田博、長谷川幸延、鹿島孝二、大林清、玉川一郎、池波正太郎、平岩弓枝など多くの作家を育成し、菊池寛賞、朝日文化賞などに輝いている。昭和三十八年六月十一日歿、以来毎年六月下旬に長谷川伸を偲ぶ会が催され、いま尚多くの人々に追慕されている。

 一方、このようなアウトローの活躍を爽快感あふれた筆致で描き出したのが明治二十五年二月一日北海道生れの子母澤寛である。その主人公が、カラっとした威勢のいい快男児として描かれているのは、背後に彼をこよなく愛した祖父、梅谷十次郎(通称斎藤鉄五郎)への思いがあるからだ。彰義隊の残党で五稜郭でも官軍と一戦交えたこの祖父は、明治になってからはニシン漁場として活気づいた厚田に腰を落ちつけ、寛を育てる傍ら、漁家の用心棒をつとめるなど、かなり、伝法肌の人物であったらしい。「弥太郎笠」(「サンデー毎日」昭和六年八〜十一月)の主人公りゃんこの弥太郎のように、子母澤寛作品に御家人くずれの渡世人が多いのはこのためである。

 更に「游侠奇談」(民友社、昭和五年十月)で「侠客の話、古来里人の胸から胸に残されて、伝説口碑に聞くべきものは多いけれど、さてこれを文書にもとめて虚実を確かめんとすれば、その証拠の余りにも少ないのに困らされる」と記しているように、巷説の中から歴史の真実を掴み出す手法は一連の幕末維新もののルポルタージュに通じるものがある。このことは、「国定忠治」(「大阪毎日、東京日日新聞」夕刊、昭和七年十一月〜八年六月)や、清水の次郎長の実状に迫った「駿河遊侠伝」(「産経新聞」昭和三十七年五月〜三十八年十一月)等、実在の侠客を主人公にした作品が多いことからも首肯されよう。( 世田谷文学館刊 「時代小説のヒーローたち展」 縄田一男より)

股旅映画と長谷川伸

 長谷川伸(1884―1963)は大正から昭和にかけて活躍した劇作家・小説家であり、大衆文学界の巨匠。今ではその作品を書店で購入するのも難しい長谷川伸だが、実は彼が文学界・映画界・演劇界に残した功績は計り知れないものがある。

 その生涯で書き上げた小説は500作品以上。戯曲は150作品以上。彼が主宰していた“新鷹会”という文学学校の門下生には、池波正太郎・村上元三・山手樹一郎・山岡荘八・平岩弓枝ら、そうそうたる時代小説家が名を連ねている。また彼はその原作が映画化された本数のおそらく最も多い作家であり、その数は150作品以上にものぼる。衣笠貞之助・稲垣浩・マキノ雅弘・加藤泰・山下耕作などの名監督たちが長谷川作品の映画化に挑戦してきた。

 明治生まれの庶民階級出身であり、幼少時から苦労して育った長谷川作品の主題は、封建的世界の中で懸命に生きる人々の義理・人情・意地を描くことである。その主題が最も端的に現れたものが、いわゆる“股旅物”だろう。“股旅”とは“旅から旅を股にかける”という意味の長谷川伸の造語であり、“股旅物”とは、やくざや流れ者が、いわゆる一宿一飯の義理に従って人を殺めたりしつつも不器用ながら懸命に生きる姿や、彼らに関わる女性や子どもなど社会的弱者の悲哀を描く物語である。『沓掛時次郎』『瞼の母』など、長谷川作品の“股旅物”は、戦前から戦後にかけて、舞台・映画において盛んに作品化されたし、長谷川以降の作家も『次郎長三国志』『木枯し紋次郎』など、“股旅物”の系譜に連なる作品を描きヒットを飛ばした。

 そしてもう一つ、長谷川伸を語る上で忘れてならないのが“仇討ち物”だ。“股旅物”に比べると映像化された数は少ないが、長谷川は、“股旅物”と同時に“仇討ち物”も盛んに発表し続けた作家なのである。長谷川伸における“仇討ち物”には、封建的義理から、そうせざるを得なくて敵を討つという悲哀が漂う。討つ者も討たれる者も一生懸命に、義理を通し、人情に揺れ、意地を通して生きているのだ、と言わんばかりに。

 日本人の情感の根源を、見捨てられた者たちの義理・人情の中に見た長谷川伸。戦前・戦後の日本が貧しかった時代、庶民の圧倒的な支持を得た長谷川伸だが、70年代以降はその原作の映像化が殆どされておらず、映画に至っては1本も製作されていない。(時代劇専門チャンネル解説より)

アウトロー活劇としての股旅映画@ A B C

 

 

 股旅ものは、この後、村上元三の「次郎長三国志」(「オール物」昭和二十七年六月〜二十九年四月)等によって引き継がれゆくことになる。( 世田谷文学館刊 「時代小説のヒーローたち展」 縄田一男より)

   

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