『斬る』のユニークさ
ある藩にお家騒動があり、一人の腰元(藤村志保)が殿中で敵方の腰元を短刀で殺す。この立廻りがまず、盛装した美しい女性同士の必死の闘争という、意表をつく耽美的な殺人である。この腰元が処刑されることになり、首切り役に選ばれた侍(天知茂)は彼女の愛人である。この処刑の場面を、三隅研次は、木の葉をもれる太陽の光線が、水をうった日本刀に反射してキラリと光るという、ものすごく美しいショットを核としてつくりあげている。斬られる腰元は、信念を貫いて愛人に斬られるのであるから本望であるというような毅然としたたたずまいで、この日本刀の美しさと、莞爾と微笑さえうかべた藤村志保の表情のいさぎよさとが相まって、ここに喚起されるのは、死を見ること帰するが如し、とか、玉砕、とかいった、戦争中によくなじんだ右翼的、国粋的なファナティックな感動である。
しかし、こんなふうに、チャンバラという内容を、表現だけこれ見よがしに飾りたてることによって喚起される感動は、実質的な主張をともなわない形式だけ肥大したものであるという意味において、一種のデカダンスである。すなわちこの映画は、右翼的、国粋的な感情のデカダンスとして稀に見る面白さに達していたと言える。
この腰元は斬り手である男との間に一人の子どもをもうけており、里子に出されていたこの子どもが、やがてこの映画の主人公の青年剣士(市川雷蔵)になる。彼は剣一筋に修行をしてテロリストとして自らの生涯を終えるのだが、その生き方を支えるのは、自分の母をはじめとする三人の美しい女性の見事な死のイメージである。養父の娘、弟の身替りとなる行きずりの武家の女、などが、つぎつぎと、彼にいさぎよい死にざまというものを見せてくれる。それらに魅せられることによって、彼は、いさぎよく死ぬという耽美主義に憑かれてゆくのである。
この映画が、そうした主人公の心理をつうじてひとつの思想をまじめに主張しようとしているというようなものではないことは、たとえばつぎのような場面で明らかである。主人公が月明りの河原で刺客と向かい合う。ロング・ショットとなり、主人公の剣が振り下される。と、相手の体が頭から股まで真二つに割れて、ゆっくり左右に倒れる。昔の人形芝居の残酷場面でよくやったテだがこんなバカバカしく大向こうの喝采をねらった見世物的な趣向は、まじめに思想的な主題をうち出そうとする映画ならするはずがない。作者たちはあくまでも趣向を愉しんでいるにすぎないのである。のちに三隅研次は、おなじテを『狼よ落日を斬れ!』でも使っている。見世物としてのチャンバラ、ということがかれの映画作法だったわけであろう。
『剣』に見る危険な味わい
『斬る』とおなじく柴田練三郎の小説の映画化である『剣鬼』も、ほぼおなじ傾向のもので、花造りと剣道という文武両道の達人(市川雷蔵)が刺客として活躍したのち、自らのつくった美しい花畑の中ですさまじい立廻りを演じて死んでゆくという、日本刀による死と殺人の耽美的ショー・アップ映画である。
ただ、『斬る』や『剣鬼』では右翼的、国粋的感情はバカバカしいほど面白い見世物的趣向として利用されたにすぎないと言えるが、それがいちどだけ、かなりシリアスな内容に近づいたことがある。
三島由紀夫の原作による『剣』がそれである。これは現代劇で、やはり市川雷蔵が演じる主人公はある大学の剣道部の主将である。彼は、自らにも部員に対しても、さながらに武士道精神の権化のように禁欲を強いて生きている青年であり、夏の合宿訓練を神聖な行事として指導し、部員が彼の目をかすめて海水浴をすると、彼は、自らのいたらなさを恥じて自刃して果てる。
常識的に言えばこの主人公は武士道精神をマンガにしたような男であり、現代のドン・キホーテである。しかし三島由紀夫は彼をマンガにもドン・キホーテにもせず、一箇の理想的な青年として描出したし、三隅研次はその原作を忠実に映画化した。おそらく、三島由紀夫の小説の映画化で、その主題にもっとも忠実な表現を行っているのは、ベストテン入選の名作として知られる市川崑の『炎上』(「金閣寺」)や蔵原惟繕の『愛の渇き』よりも、この『剣』と三島自身が脚色・演出した『憂国』であろう。
『剣』の主人公は、その存在自体が現代に対する反語なのだが、反語だからといって滑稽に描いたりシニカルに描いたりすることはしていない。反語を、皮肉という卑小な枠におしこめることなく、現代に対する脅迫にまで高めること、それが三島由紀夫が自らの生涯をもって実践してみせたことである。三隅研次には、そこまで三島由紀夫に追随する気はたぶんなかったはずであるが、たまたま、剣によせる耽美主義という点で三島の目ざす方向と触れ合うものがあったというわけであろう。しかしながら、三島と三隅とは、前者は思想家、後者は見世物師と、全く次元の違う世界の住人であったと言い切ることもできない。両者はともに、日本刀に対するフェティシズムという日本の文化的土壌から育った芸術家に違いないのである。三島はそれをナショナリズムや天皇制と結びつけることによって思想化したのであり、三隅はそれを、チャンバラをいかに面白くショー・アップするかという大映京都撮影所スタッフ一同の職人気質の統合者として磨きあげていったのである。
三隅研次には右翼思想もナショナリズムもなく、あるのはただ、刀をつかってどれだけ美しい映像が作れるか、という関心だったと思うが、日本刀の美しさというような、実際的な意味を失った道具に対するフェティシズムというもののデカダンスに関しては三島と趣味を共有していたと言えよう。そして三島は、チャンバラ映画の撮影所のスタッフによって保持され、さらに劇画によっていっそうの大衆的な拡がりも獲得するこの趣味に自分の思索の土台をおいていたという意味においては、一見突飛な思想家のようではあるが、きわめて大衆的な好みをひとつの足場にはしていたのである。
古い思想は、新しい時代の論理によっては否定されても、趣味の世界においては、古い事物に対するフェティシズムとして生き残り、危機の時代にはそのフェティシズムの中に隠されていた象徴的な意味が再び猛然と狂い咲くのである。三隅研次の時代劇は、見世物的な細部の凝りようのなかに、そうした危険な味わいを見せるところに、ときどき、おやっと思わせられるものがあったのである。(1977年
じゃこめてぃ出版 君は時代劇映画を見たか 佐藤忠男 より)
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