凄さまじい響きで落下する七代の滝、白い着物姿と弧を描く白刃、そして、大菩薩峠のタイトル。甲州の山なみ見立てた乗鞍の山々が俯瞰され、青嵐の峠道を巡礼の親娘が歩いてくる。監督・三隅研司、机竜之助・市川雷蔵。大映渇f画京都撮影所製作の『大菩薩峠』ファーストシーンだ。続いて、峠の頂きに深編笠の影がさし、水を汲みに降りた娘を待つ老巡礼の後ろから“おやじ”の声。風が吹き荒れている。“あちらをむけ”声とともに巡礼に斬りつけた深編笠の武士は、黒の着流し、紋は放れ駒。血刀を拭った懐紙が谷底に舞い散って、小枝にひっかかった鈴がチリンと鳴る。猿が走る。ひょうびょうと風の音が聞こえる。ところでこの映画だが、猿がたわむれいる山の中、林道、幹だけの太い根っこの森、落ち葉までも、峠のすべてはつくりものだという。しかし、実際の大菩薩山嶺よりずっと竜之助も世界に近い風景だ。そこで、あまりにもすごいセットの自然に誘われて“映画では一度もロケしたりことのない”という大菩薩峠の麓まで出かけることにした。
まず『大菩薩峠』原作者中里介山の出生地であり、晩年を過ごした西多摩、羽村市禅林寺の墓に敬意を表することにする。ここら一帯は武蔵国青梅の里、江戸時代は甲府と新宿との中継地で、甲州裏街道の道筋として栄えた土地だ。また、新宿から青梅を過ぎて十六里、沢井村は竜之助の出身地になる。信仰の霊場御岳山の麓にあたり、立川からJR青梅線で四十五分。都民のハイキングコースとして親しまれている梅の名所だ。吉川英治記念館や玉堂美術館、館内には珍しい日本酒の蔵元もある。多摩川の渓流が美しい健康的な土地は、竜之助のイメージとはほど遠い。お浜との悪縁の発端水車小屋は、もちろん撮影所のセットだが、大菩薩峠への上り道、万世橋のそばというわけだ。竜之助と宇津木文之丞との奉納試合の場になる御嶽神社は、現在ケーブルカーでゆける。階段を登りつめた御岳山の頂上にある。ただし、映画は京都上鴨神社を使って撮影されたという。
大菩薩峠は多摩川と笛吹川の分岐点に当たる。昔は上り道を上求菩提、下りは下化衆生と呼んだ街道一の難所だったというが、今は新宿から日帰りエリア。富士山、南アルプスを望む魅力的な登山コースになっている。しかし、上級ハイカー向きだから、竜之助気分を味わうには相当な覚悟が必要。それにしても、素足に下駄ばき着流しスタイルではとても歩けない…。原生林の森はうっそうと茂り、稜線にそった大菩薩峠までの道は、樹間から奥秩父連峰が見え隠れして、峠の展望は素晴らしいということだ。何しろ、甲州、奥多摩、奥秩父につながる名うての山岳地帯。ロケ隊も敬遠したくらいの難儀道だから、イージーに峠を見あげ、険しい山にさようなら。日帰り旅にピリオドを打った。
なお、この『大菩薩峠』の中に“しおの山、さしでの磯にすむ千鳥、君が御代をば八千代とぞ鳴く”という尺八が聞こえ、竜之助の気持ちが久しぶりに落ち着く場面がある。“しおの山”山梨県塩山市。中央線で都心から近く、大菩薩峠への甲府側からの上り口になる。“あしでの磯”はお浜の故郷八幡村を流れる笛吹川の岸の地名。甲州路から八幡村、大菩薩峠を越えると竜之助の故郷沢井村だ。完結編のラストシーンは輪廻の糸にあやつられた竜之助が、伊勢古市、東海道から甲府と転々、わが子郁太郎の名を呼びながら笛吹川を濁流に流されてゆく、笛吹川の名に惹かれて、信濃路から流れにそって走ったことがあるが、林檎の里を流れる川は穏やかだった。
そこで、陽光燦々。時どき野猿の姿は見られるが、モノクロトーンの映画的色彩とほど遠い風景は、暗いムードの着ながしルックに似合いそうもない…。しかし、映画は上下八里のこの峠を中心に展開されるから、ロケ地ではなくても、ストーリーの地理的関係を把握するために、雷蔵『大菩薩峠』ファンとしては一度は尋ねたい場所だ。
映画は三部作だが、机竜之助の行動範囲は当時としてはかなり広い。『大菩薩峠』『大菩薩峠・竜神の巻』二巻でも、西多摩地方をふり出しに、青梅街道から江戸を経て、鈴鹿、京都島原、大和八木、三輪、竜神まで足跡を残している。だから、一回で旅しようなんてとても無理だ。そこで、“そうだ京都へ行こう”ということになった。
今回は島原。重要文化財“角屋”へ行こうというわけだ。第一部のクライマックス“御簾切り”の間のモデルルームということだが、映画の竜之助が幻影におびえたのは、御簾の絵の襖に囲まれた、緑がかかった墨色の陰気な部屋だ。風が吹いて、鈴の音。御簾の絵がいつの間にかほんものに変わって、四方からも鈴の音。三間つづきの奥の部屋という御簾の間は、色彩だけを変え、そのままセットに写したということだ。まるで、竜之助の深層心理を浮き彫りにしたようなトーンだった。しかし、抜き身をさげた竜之助の姿はスクリーンの中だけのこと。ま昼の角屋はあふれる見学客で盛況だった。“ウソがまことのつくり物”の迫真力に魅せられ、またも来てしまった角屋だったが、錯乱した竜之助の心象風景とは遠い。しかし、時代が偲ばれる建築は遊女屋の歴史を伝えてそれなりにおもしろかった。
京都まで来たなら、近江八幡市に近い石塔寺だ。映画では、大菩薩峠に安置するお地蔵様を和尚が彫っている場所というわけ。竜之助の故郷沢井村の寺だが、まるで、物語の渦中にいるような風景だ。石段がしんどいと云いながら三度も訪ねた。石仏に両側をはさまれた高い段々道を上ると、日本最古で最大という石造の三重の塔が『竜神の巻』そのままに現れる。杉木立に囲まれた境内には八万四千の石仏石塔、しんとした境内に立つと、無明の闇にもがく竜之助の悲鳴が聞こえてくるようだ。“こんなかわいい子を一人ぼっちにして…”、彫る手を休めた和尚と郁太郎を背負った与八の会話が聞こえる。映画では、青空に大きな石塔がクローズアップされて、地蔵和讃の歌声が流れていた。
そこで、ここまで辿ったのだもの。『大菩薩峠』次の旅路は絶対竜神だ。紀州白浜から車で竜神温泉を目指した。途中、天誅組が閉じ込められた小屋も残っていて、藤堂藩の追っ手に爆破された小屋から逃れた竜之助がたどりついた土地というのもうなずけた。昔は秘湯であったという日高川上流の鄙びた温泉は、深い木立に囲まれ、南高梅が特産というだけに梅林が多いのも、青梅の里に似ている。桜が咲く季節に雪がちらついて、龍神村の春は名のみ。さぞ、故郷が恋しかったろうと竜之助が哀れだ。今夜は創業百年以上を誇る老舗旅館に泊まる。まるで映画の旅篭“室町屋”のような佇まいだ。温泉に浸って、炬燵に温もっていると、お内儀のお豊があいさつに現れそうな気分になってくる。山菜類や椎茸、蒟蒻など山の味を箱御膳で供され、日本酒の盃を傾けていると、争う人のざわめき、半鐘の音やほら貝が響いて・・・、盲目の竜之助が“初めから心は闇だった”とつぶやく声、そんな錯覚も起る。『大菩薩峠』の闇にどっぷり漬かった夜だった。
お豊の夫金蔵が嫉妬に狂ったはずみに、ひっくり返った油壷が割れて、室町屋は火の海になる。そこで、不気味に夕空を掃いた清姫の帯雲、夜空に燃え続ける森。竜神村は山で業火に包まれ、燃えさかるわけだが、この火事シーンは鞍馬に作ったセットだということだ。また、ちょっと山を入った場所に竜神の滝は実在したが小ぶりで絵にならない。映画は那智の滝。修験者やお豊が水垢離をとる滝壷はセットだという。時代劇はファンタジーと云った市川雷蔵だが、画面を追いかけ、竜之助を追いかけ、まだまだ廻った土地々々。大菩薩峠の旅はファンタスティックだった。
こんな旅行を以前は月に一度か二度、ロケ地見学をかねて楽しんだものだった。ところが、ここ数年、地方の人に“市川雷蔵の映画を見てもらう”旅になった。つまり、“映画の中の・・・”ではなく“映画をひっさげて”という旅になってしまった。今年になってからも、福岡、北九州、山形と雷蔵映画のPRの目的で旅をした。土地ごとに出会う忘れがたい人情と風景だが、嬉しいのは、“こんないい映画をみられるなんて”“こんな映画なら何度でもやってください”と、名残を惜しむ人たちとのふれあい。フィルムとともに旅する風景だが、“たかが映画、されど映画”をしみじみ実感させられる。映画から生まれたご縁を喜びながら確かめる土地のあれこれ。気軽な一人旅もいいが、仲良く楽しむ“映画ひっさげ旅”も味わい深い旅である。