59年の『薄桜記』は、森一生監督の雷蔵時代劇における最高傑作(ちなみに現代劇なら67年の『ある殺し屋』)との呼び声も高い、大映時代劇を代表する名作のひとつである。

 雷蔵が演じるのは悲運の武士・丹下典膳。この「悲運」という言葉が、ことのほか雷蔵には似合う。「濡れ髪シリーズ」のような軽妙なタッチの作品にも魅力的な傑作は多く、必ずしもそれだけではないが、同時代を生きた時代劇俳優にあって、悲愴感を背負って雷蔵の右に出る役者はあるまい。

 逆恨みから、過去の同門に妻を犯された典膳は、武士としての筋を通すために愛する妻との離縁を選ぶ。納得できぬと憤る義兄に黙って片腕を斬らせ、それをもって離縁を通す悲痛なまでの典膳の覚悟と生きざまは、全くもって雷蔵に相応しい役どころといえよう。

 片腕に加え片足も傷つき、まともに歩くこともままならない典膳が、積雪の庭に横たわり、襲い来る敵を斬って斬り捨てるラストの大立ち回りは、そのダイナミズムもさることながら、徐々に傷つきふらふらになりつつ、それでも憑かれたように斬り続ける典膳の描き出す凄絶美が、降り注ぐ白雪に際立つ雷蔵映画屈指の名場面。

 また、典膳と対をなす存在として『血煙高田馬場』で知られる中山(堀部)安兵衛を勝新太郎が好演。安兵衛は『忠臣蔵』における四十七士のひとりであり、本作のドラマは時折交錯するふたりの対照的な人生を描きつつ、高田馬場の決闘に始まり、吉良邸討入りの瞬間で幕を閉じる赤穂浪士異聞という体裁。それを、安兵衛が討入りに向かう道中に回想するという構成の妙が楽しめる。

 生前、雷蔵は「はじめてのニヒルな役で、内心心配しながら丹下典膳を演じたが、まずまずの仕上がりで、後年の『大菩薩峠』の机竜之助につながった」と述懐。あくまで、この映画は典膳=雷蔵の映画だと思われる。

 60年から61年にかけて、雷蔵は『大菩薩峠』三部作で、秘剣・音無の構えで、並みいる敵を全く寄せつけぬ強さを持つ虚無の剣士・机竜之助を演じた。

 本作は中里介山の長編小説の映画化で、雷蔵以前にも、戦前に大河内伝次郎主演で二作(監督・稲垣浩)、戦後は片岡千恵蔵主演で三部作を二度(監督・渡辺邦男と監督・内田吐夢)、映画化された(雷蔵版以降は、東宝で仲代達矢主演、岡本喜八監督によって映画化された)ビッグタイトルである。

 この難関とも思える本作に挑んだのが三隅研次、大映きっての映像派監督で、そのこだわりが隅々にまで行き届いた画作りによって、重厚な作品に仕上げられた(『完結篇』のみ監督は森一生に引き継がれている)。

 この作品では三隅が最も信頼した美術の内藤昭が真価を発揮(三作目は西岡善信が担当)。一作目で竜之助が妻・お浜を手にかける場面においては、セットのうねる土塀が錯乱した竜之助の狂気をそのまま表現しているかのようで、その効果は特筆に価する。

 お浜を演じた中村玉緒は、シリーズ三作を通じて三役で登場。本作で女優開眼との評価を受けただけあって、いずれも印象深いが、インパクトにおいてやはり一作目のお浜に尽きよう。

 雷蔵もまた、『薄桜記』の典膳以上に徹頭徹尾ニヒルな竜之助を演じ切り、新境地を開拓。本作の成功が、のちの『眠狂四郎』シリーズにつながったことはいうまでもあるまい。