弁天小僧
1958年11月29日(土)公開/1時間26分大映京都/カラーシネマスコープ
併映:「白鷺」(衣笠貞之助/山本富士子・川崎敬三)
製作 | 酒井箴 |
企画 | 高桑義生 |
監督 | 伊藤大輔 |
脚本 | 八尋不二 |
撮影 | 宮川一夫 |
美術 | 西岡善信 |
照明 | 中岡源権 |
録音 | 林土太郎 |
音楽 | 斎藤一郎 |
助監督 | 田中徳三 |
スチール | 西地正満 |
出演 | 勝新太郎(遠山左衛門尉)、青山京子(お半)、阿井美千子(お吉)、近藤美恵子(お鈴)、島田竜三(赤星十三)、黒川弥太郎(日本左衛門)、河津清三郎(鯉沼伊織)、小堀明男(三池要人)、舟木洋一(忠信利平)、伊沢一郎(横地帯刀)、荒木忍(源之丞)、市川小太夫(松平左近将監)、田崎潤(南郷力丸) |
受賞 | 58年度キネマ旬報28位、58年度ブールリボン主演男優賞 |
惹句 | 『文金島田に緋ぢりめん!もろ肌ぬいで大あぐら!知らざあ云って聞かせやしょう!』『知らざあいって聞かせやしょう!・・・・・女にばけた雷蔵がさつとぬいだ緋ぢりめん!きったタンカは日本一!』『水もしたゝる若衆姿!女もほれるいい女!小姓と女装で暴れて惚れる雷蔵の新魅力!』『グッといかせるこの魅力!女とまごう雷蔵の弁天小僧菊之助!』 |
■ 解説 ■
★この映画は、昨年五月『地獄花』を発表以来、沈黙を守っていた伊藤大輔監督が、一年四ヶ月ぶりにメガホンをとる大映スコープ・総天然色の豪華大作です。製作酒井箴、企画高桑義生、脚本八尋不二、撮影は名手宮川一夫キャメラマンが担当します。
★弁天小僧に扮する主演の市川雷蔵は伊藤監督とは初のコンビで『新平家物語』『炎上』についで此の映画で三度目の演技的飛躍が期待され、雷蔵も非常な熱の入れ方で、歌舞伎の雷蔵、映画の雷蔵の全演技の結集をファンの方に見て貰いたいとハリ切っています。
★雷蔵の相手役には、これも初の東宝の青山京子が出演する他、別記のような顔合せで、五人男に雷蔵とともに島田竜三、黒川弥太郎、田崎潤、舟木洋一が、名奉行遠山左衛門尉に勝新太郎が強力出演のほか、阿井美千子が珍しく鉄火ぶりを見せ、近藤美恵子が初めてのお嬢さん役で異色の共演をする等花やかな話題を賑わしています。
★が何といっても本編随一の呼びものは、有名な浜松屋のユスリ場で、文金島田にもろ肌ぬいで大あぐら、肌一面の刺青を見せて胸のすくタンカをきかせる雷蔵初の女装に、文句なしのトドメをさすでしょう。
★伊藤監督も「理由なしに面白い時代劇にしたい」と語っており、久しぶりに時代劇の本当の面白さを満喫させる、伊藤調の興趣溢れる時代劇が期待され、ワイド画面せましと御用提灯数百を動員するラストシーンの屋上の大捕物は、けだし全編の圧巻でありましょう。( 公開当時のパンフレットより )クリックするとパンフレットの中身が見られます!
(59年1月10日発行 「あなたの市川雷蔵」より)
(毎日グラフ 06/14/92)
(映画情報58年12月号より)
(平凡別冊58年10月号より)
|
美男義賊
|
ユスリにおいてはひけをとらぬ御存知菊之助大活躍の巻!!
|
忘れられない台詞
第18回湯布院映画祭開催を、お祝い申します。又、今回は伊藤大輔監督の特集として、その前夜祭の野外上映では市川雷蔵さん主演『弁天小僧』は、昭和三十三年度の作品と記憶しますが、早三十五年の過去となりました。
クランクインの初日は確か、劇中劇の浜松屋の舞台でした。舞台前の下方に撮影用の長い移動レールが敷かれて、監督以下緊張したスタッフの面々の雰囲気でした。
流石、梨園育ちの雷蔵さん、自身満々の演技を目の当りして、監督の鳴物の挿入個所の打ち合せを仕乍ら、厳しい作業の中にも楽しい気分で録音していた事が懐かしい想いです。忘れられないことの中で職業上、特に忘れられず三十余年の歳月を経て、未だ脳裡に残る台詞。
日本左衛門の隠れ家が捕吏に包囲されたことを、左尉が云う一言「質は流れた」は洒脱で粋、そして次なる場面転換に最も効果的な台詞であった。それに今一つ、ラストシーン物干場の俯瞰の画面に、「弁天小僧!召し捕ったッ!!」の捕吏の声が、弁天小僧の生涯の終焉(最期)を告げる悲しい響きとして、印象的で大変効果のある台詞として今も忘れ去る事ができない。思い返しても尚、伊藤監督のシナリオの妙味が伺える。私は今も尚、大切に思う事象は、同監督の総てに当てはまることだが、「之が時代劇だ!!」の貴重なお手本を示されたと感じて居ります。
本年度の映画祭の御盛会を祈り、合せて時代劇の復興発展の為に、益々の御活躍を御願い申し上げます。(林土太郎、「弁天小僧」録音担当 第18回湯布院映画祭-8/25/93〜8/29/93-パンフレットより)
■ 略筋 ■
雲州公が小娘に手をつけようとして、噛みつかれ、座敷牢に押しこめているという噂があった。これをタネにユスろうと、悪旗本王手飛車連の鯉沼伊織・三池要人・横地帯刀らは、上野輪王寺の宮の御使僧に化けて雲州邸に乗りこんだ。が、一足先に、輪王寺の宮の使いと称する振袖姿の寺小姓がその娘お半を金まで添えさせて連れて行った。
寺小姓はユスリ・タカリが専門の、町のやくざ弁天小僧菊之助である。仲間には日本左衛門・南郷力丸・忠信利平・赤星十三がいる。弁天小僧は情婦お吉の家にお半を連れ帰って、お半を売り飛ばすつもりでいたが、その清純さにうたれ、金を持たせて、病気の父のいる長屋に送り戻してやる。
お半が父に叱られ金を返しにお吉の家へ来たとき、御用提灯が迫り、弁天小僧はお半を連れて逃げた。今は互いに別れがたい気持だった。振り切って別れた弁天小僧は百本杭で一人の釣客に会う。その男こそ。いれずみ奉行と噂の高い遠山左衛門尉だった。
雲州公ユスリの一件が老中に聞こえ、王手飛車連の首が危くなった。老中筆頭松平は甥の伊織に隠居届を出し、息子に嫁を貰えとすすめる。そこで、伊織は、舶来物の羅紗地をタネに、呉服屋浜松屋幸兵衛をユスリ、身代そっくりを持参金に娘お鈴を嫁によこせと吹っかける。
祝言の噂を聞き、白浪五人男は江戸を離れる最後の大仕事に、この浜松屋に目をつけた。弁天小僧が文金島田で女装し、万引きをよそおい、インネンをつける。一人の武士が女装を見破ると弁天小僧は双肌ぬいで大あぐらをかき、タンカをきって引あげた。浜松屋に身をおいていたお半が涙で見送る。さっきの武士は日本左衛門だった。奥に招じ入れられると、忍びこんでいた赤星・忠信と共に花嫁の持参金をよこせと居直った。幸兵衛はいう、「どうでもなされ。これも二十一年前赤子の長男を捨てたむくいか」。話をきいて日本左衛門以下は悪旗本から浜松屋を護ってやることにした。弁天小僧は実父が誰かを悟った。
祝言の夜、鯉沼邸へお鈴の身代りにお吉が現れる。弁天と鯉沼が争いかけると、遠山奉行が現れ、弁天を逃す。日本左衛門の家に捕方が迫っていた。船宿網十に隠れるお半とお鈴を要人と帯刀が襲っていた。弁天は捕方を逃れて屋根を飛びながらお半を求めた。やっとたどりつき、お半と実父と妹にひと目会う。浜松屋も弁天を我が子と知った。が、弁天はそれを否定し、そのまま捕方に捕まる。−息子を、父と妹と恋人が涙ながらに見送ったのである。( キネマ旬報220号より )
弁天小僧
黙阿弥の芝居を映画化してみせたいい仕事である。そこに大江戸への愛着と、不良児の親と子の感傷をこめて、ちゃんとまじり気のない伊藤大輔の世界になっているのが立派だ。
立派といえば、展開の妙が、手慣れた話術を見る思いで、愈々というクライマックスを劇中劇に仕立ててメリハリをきかせるところも巧い。その観客をつかんだリズムは、雷蔵が肌をぬぐや、後ろの若い観客が小声で思わず「知らざあ云って・・・・・」といったのがきこえたとき、私の心も中でそれを呟き、そのセリフをぴったり待っていたことに気付いたのでもわかる。
総天然色ワイドの枠の中に橋・屋根・水・石段・路地を配する構図の妙も手慣れた世界だからだ。やりて婆・弓場・子供のコマ遊びから、とりはずしの梯子、そして御用堤燈の灯の海と瓦の波とワイドスクリーンが、はじめて大江戸の世界に生きた。
赤い鳥居の並ぶ間に雷蔵が走る殺陣も、久しぶりに見ると、俗流時代劇にくもっていた目が洗われる。手ごめにする二階の部屋に赤い夕日が差しこんでいたりして御用堤燈の灯に囲まれた屋根の上で、父を前に子と名乗れずに自害して果てる不良児への感傷に、私はやはり泣いた。 (興行価値:娯楽作品としてはまずまずの出来。観客も宣伝如何では吸収出来よう。 キネマ旬報224号より)
詳細は、シリーズ映画、その他のシリーズ『歌舞伎の世界』参照。