1959年3月17日(火)公開/1時間37分大映京都/白黒シネマスコープ

併映:「情炎」(衣笠貞之助/山本富士子・勝新太郎)

製作 三浦信夫
企画 辻久一
監督 森一生
原作 大仏次郎
脚本 八尋不二
撮影 相坂操一
美術 内藤昭
照明 岡本健一
録音 林土太郎
音楽 斎藤一郎
助監督 黒田善之
スチール 西地正満
出演 金田一敦子(弥生)、青山京子(小萩)、高松英郎(林美作守)、北原義郎(平手五郎右衛門)、舟木洋一(勘十郎信行)、市川染五郎(平手甚三郎)、小沢栄太郎(平手中務政秀)、月田昌也(木下藤吉郎)、伊沢一郎(山口九郎二郎)、清水元(岩室長門守)、佐々木孝丸(大石寺覚円)、荒木忍(林佐渡守)、村瀬幸子(中務の妻 可津)、万代峰子(老女 菊野)、浜世津子(侍女)、香川良介(山口左馬之助)
惹句 『青年信長の全貌を描いて、本年度ベストワンを狙う痛快の文芸時代劇

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 戦国時代の一代の英雄の織田信長が、今川義元を桶狭間の合戦でさんざんに打ち破るまでの青年時代を描きます。信長に扮する市川雷蔵さんは、信長のはげしい豪快な性格を出すために、メーキャップにも苦心のあとをみせています。信長は中村錦之助さんも演ったことがあり「錦ちゃんには絶対負けられないよ」と激しいファイトをみせています。(平凡59年5月号より)

[ 解説 ]

 強きが栄え、弱きが滅びる、世はまさに戦国の乱世−地方に勢力を得た諸大名は、われこそは都に上って天下に号令を下さんものと、虎視眈々その時機を狙っていた。

 尾張八カ郡を手中に収め清洲城に拠る織田信長は、駿遠参三ケ国に十倍の勢力を誇る今川義元と相対した。人並み外れた奇行で知られた信長であったが、それは外見だけのこと、内に秘められたものは深慮遠謀の武将そのものの姿であった・・・・

 市川雷蔵の新しい魅力を求めて、大仏次郎の歌舞伎劇から、ベテランの八尋不二がスプタクルシーンなども効果的に加え、シナリオとして大巾に改作した格調高き文芸時代大作となっている。

 演出は、かって数多くの野心作を残す鬼才森一生監督が、絶好調の題材を得て、その真価を世に問うた意欲に満ちた期待の一作で、撮影は森監督とコンビをうたわれた相坂操一キャメラマンがあざやかなカメラ・ワークを見せるほか、製作三浦信夫、企画辻久一、照明岡本健一、美術内藤昭と何れ名作を手がけた粒よりのスタッフで、この異色作品にふさわしい精鋭の布陣をしき、戦国の動乱期に生れ、移り変る新しい時代の中で、たくましく成長していく青年信長の恋と野望に満ちた青春を格調高く歌い上げている。

 風雲児信長に市川雷蔵が扮し、奔放、豪快な青年の野性美を見せ、相手役の弥生には、金田一敦子、小萩に青山京子の女性陣のほか、梨園の名門市川染五郎が雷蔵の懇請により、平手甚三郎の役で大映初出演している。(公開当時のパンフレットより)

市川雷蔵の異色話題作

“炎上”における野心を時代劇で再現

 これは、歌舞伎に新しい息吹を入れようという意欲のもとに、大仏次郎が菊五郎劇団のために書き下ろした初の戯曲を映画化するもので、二十七年十月東京歌舞伎座における初演以来、市川海老蔵の信長は、彼の当り役としてしばしば好評を博したもの。大映では市川雷蔵の新たな魅力を求めて、昨年の『炎上』における野心を時代劇で再現しようという本年度上半期における意欲に満ちた異色話題作として製作するという。映画は、山口左馬之助の娘弥生が人質として清洲城に送られてくるところから、桶狭間の合戦まで。戦国の動乱期に生れ、逆境の中から、常にたくましく成長して行く青年信長の人間像を新鮮かつ格調ある時代劇として描くものだが、ことに桶狭間の合戦は、御殿場に数千の人馬を配し、豪雨、落雷をともなう大スペクタル場面を展開、ワイド画面の効果を遺憾なく発揮するという。

 雷蔵の織田信長のほか、平手中務とその長男、次男、三男、木下藤吉郎、弥生、覚円、林美作守とそれぞれ著名な個性ある人物が登場するが、舞台にはない名古屋城の密偵小萩の役を設けて、さらに興味を加えている。配役は目下慎重に選考中であるが、新劇、現代劇畑からも広く人材を求め、何れもユニークな個性あるスターが起用される予定である。

 監督の森一生は“私の監督生活をこの一作にかけたい”とまで云って、異常なファイトをみなぎらせているが、主演の雷蔵も何れ劣らぬ張切りようで「作品のムードからいえば、黒澤監督がおやりになるものに近いと思いますが、私としてはかっての青年清盛に大へん似た感じで受取っています。新しい時代の転換期に生れた一人の傑出した英雄、新しい感覚で時代の流れを見つめながら行動する青年−こんなところに同じ年ごろの青年として、すごく魅力を感じます。信長は、たしかに人の意表をついた奇抜な行動で知られた人物ですが、あながち野性的な男性であったとばかりいえないところがあります。それはとぎすまされた繊細な神経と綿密な計算がその背後にあったということ。そういう意味では大へん難しい役の一つだと思っています」と早くも意欲の一端をのぞかせている。(公開当時のパンフレットより)

 この映画には、歌舞伎界のホープ市川染五郎さん(松本幸四郎丈長男)が、
小姓平手甚三郎の役で出演しています。(平凡59年5月号より)

[ 略 筋 ]

 戦国時代。若き織田信長は、尾張八カ郷を収め、清洲城により、駿遠三カ国の領主、今川義元と対していた。日高城主、山口左馬之助は歴代織田家に仕えていたが、今川方の優勢に屈し、内応を約束した。娘の弥生を人質として清洲城に送ったのは、これを隠すためである。

 彼女を林美作守と平手五郎右衛門が出迎えた。美作守は名古屋の老臣林佐渡守の伜であり、五郎右衛門は信長の守役平手中務の長子である。信長は奇行で知られていたが、実は遠謀深慮の武将であった。

 林佐渡守が信長の弟信行を擁して、今川勢に降り、尾張の安全を計ろうとしていることも見抜いていたし、山口左馬之助の内通も承知していた。さらに、今度、弥生の世話係にされた腰元、小萩が織田に亡された一族の遺児であり、佐渡守と通じて信長を仇とねらっていることも。諸国に、間者たちを放ったのだ。この権謀術策には足軽の木下藤吉郎が一役買っていた。

−信長は信行をむりやり馬に乗せ、ケガをさせた。弟の体の弱さを憂えてのことであったが、いつもの乱暴とされた。先殿の三回忌法要に、信長は姿を見せなかった。

−美作守は弥生に恋を打ち明けたが、彼女は信長を慕っていた。小萩は平手中務の三男、甚三郎をあやつり、信長を刺させようとする。

−平手中務が自害した。信長の行動をいさめるためである。信長は遺書をつかんで男泣きに泣いた。

 今川の大軍が越境してきた。城門を開いた山口左馬之助は今川勢の手で斬殺された。そうなるように信長が手をうったのだった。甚三郎は盃をくむ信長のスキを狙ったが、果せなかった。中務の次男、監物はこれを知ると、小萩を斬ろうとする。そのとき、美作守などが救いに現れるが、五郎右衛門の槍に刺され、−裏切者は彼ら三兄弟に成敗されたのである。

 信長は弥生からその慕情を告げられた。彼は彼女のうつ鼓に合せて謡をうたい出陣の舞を一さし舞った。豪雨の中を、数十騎を駆った。今川勢は敗走し、信長は義元の首級をかかげた。( キネマ旬報より )

                     

 大仏次郎の原作戯曲は、奇行をもって鳴った若い信長が、実はその奇行を戦国時代の弱肉強食と陰謀にそなえた仮面で、本性は遠謀の知将であったという設定。後年部下に暗殺される彼を、こういうさわやかな解釈だけで描くことに一応疑問を感ずるが、大仏の書いたすべての歌舞伎がサラリとして自然に流れる新鮮さは、この作にも類書だ。

 従って大仏は、信長の人物の貫禄を、扮する俳優にまかせ、むしろそれをねらっているのだが、残念ながら、映画化されたこの作品に登場する雷蔵には、それがない。奇行がわざとらしいように、その大胆な知謀を支える逞しさもつくりものの類型を出てない。

 だが、これを若い彼に責めるのは酷で、歌舞伎の横の舞台では奇行と知謀の表裏をうまく見せる構成が、タテの映画では、逆にそのギャップを拡げたとみてよく、罪は、脚本と演出にある。その証拠には、舞台では出陣のサッソーたる信長の姿で幕を引いてもよいが、同じように、桶狭間に急ぐ、マナジリを決した信長の馬上の姿で終るのは、少し物足りない。森一生としては、気を利かしたつもりだろうが、文学青年らしい好みである。

 だが、それもいい。しかし、この映画の救うことのできぬ欠陥はそれでなくとも、貫禄と気力に乏しい雷蔵を助けるはずの助演が、逆に彼の演技をカラまわりさせる空白状態を無残にさらけ出していることだ。筆者は、何度もこの欄で大映時代劇の俳優の層の薄さと大部屋連中の気のぬいた演技を指摘したが、形だけでなく、性格を要求するこの映画では、一そうこの欠点が露呈しているようだ。現代劇から輸入した北原義郎、高松英郎、金田一敦子、青山京子は、性格どころか形さえそなえずに、ウロウロする。

 雷蔵が、様式的に硬化し、同時に内容的にも固定しきった時代劇に、何とか新風を吹きこもうとする熱意は買いたい。だが、この映画の桶狭間の奇襲は失敗に終った。芸術に奇襲作戦はない。ジックリと、腰をすえて、頭だけでない、人生体験を深めることだ。

興行価値 人気最高の雷蔵ものだけに、都市、地方の区別なく、強い。『情炎』との二本立はヒットした。(キネマ旬報より)

 

(フクスポ 03/27/59)

 

時代性格を浮彫り

雷蔵が好演『若き日の信長』

 原作は大仏次郎が菊五郎劇団のために書いた舞台劇で、これまでに数回映画化されている。尾張の青年城主信長(市川雷蔵)は剽悍な気性から山野をとびまわり、人たちからバカ殿扱いされている。こどもと戦ごっこをして遊ぶ反面、敵の間者の裏をかいて、同士討ちさせるほど深慮遠謀の持主だが、お守り役のじいや(小沢栄太郎)にも、その才能が見抜けない。じいやは死をもって主君をいさめるが、それを知った信長は「なぜ俺を捨てて死んだ」と号泣する。脚色八尋不二、監督森一生。

 一種の性格劇である。骨肉が争う戦国の世に、自分を支えるものは自分でしかない信長の孤独が、雷蔵の熱演でひとつの時代性格として浮びあがる。さきに東映でやった同じ作品は、活劇的な動きを主としていたが、これは舞台劇調。じいやの遺骸を前にした長丁場など雷蔵としては精一杯の努力といえよう。だが、全体にもう一歩物足りないのは脚本や演出に無駄が多く、信長の強烈な個性の面白さが、うすめられているからだろう。共演の金田一敦子はまずい。準佳作。ワイド1時間35分。大映(人見嘉久彦)

03/21/59付の新聞より

 

 

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 NHK大河ドラマ「太閤記」で信長を演じた高橋幸治が、一躍お茶の間の人気者となった様に、戦国の風雲児織田信長は、男性的気迫に満ち、若手時代劇役者の登竜門的な役どころもといえる。中村錦之助(萬屋錦之助)は『紅顔の若武者・織田信長』(昭和30、東映)と『風雲児織田信長』(昭和34、東映)の、山岡荘八原作による二作品で信長を演じ、特に後者では進境著しい演技を見せた。また大仏次郎の戯曲を映画化した『若き日の信長』(昭和34、大映)での市川雷蔵の若武者ぶりも強く印象に残る。

 こうした視点から見ると、戦前の片岡千恵蔵主演の『風雲児信長』(昭和15、日活)は未来への可能性を秘めた若者というよりは既に出来上がった感じで魅力に乏しい。また特異なキャラクターで印象に残る信長といえば『忍びの者』(昭和37、大映)の城健三朗(若山富三郎)が演じたそれで、凶悪で残忍無比、これほど敵役に徹し切った信長は他にはなかったろうと思われる。( 縄田一男 別冊 太陽 「時代劇のヒーロー」より )

 

若き日の信長 (わかきひののぶなが)

 戯曲。3幕4場大仏次郎作。1952年10月東京歌舞伎座初演。おもな配役を、九世市川海老蔵(のちの十一世市川団十郎)、平手中務を二世尾上松緑、弥生を7世尾上梅幸、木下藤吉郎を三世市川左団次ほか。

 信長は父の三回忌法要の日だというのに寺に近い丘の上で村の子供らと柿を食べたりして遊んでいる。織田家の人質となっている山口左馬之助の娘弥生はそんな信長をひそかに慕っているが、今川の間者覚円と今川方に内通している林美作守の密談を立聞きする。覚円は弥生を殺そうとするが、弥生に気のある美作守はそれを止める。信長の守護役の平手中務は信長が法要に出席しないことなどに責任を感じ、死をもって諫めようと三人の息子に後事を託して切腹する。

 駆けつけた信長は中務の遺体に向かって、自分の苦しみを本当に知ってくれなかったと絶叫する。おりから山口左馬之助が寝返り、今川勢が攻め入ってきたという知らせが入る。城中では評議が開かれ、どう対処するかが決しない。信長は意を決し木下藤吉郎に命じて出陣の用意をさせる。そして弥生に鼓をうたせ幸若舞の《敦盛》を舞い桶狭間へ出陣する。作者が十一世団十郎のために書き下ろした最初の作品であり、団十郎の魅力を十分に引き出すのに成功した。以後この両者の好提携を生むきっかけともなった。晩秋、冬、初夏という季節感にあふれ、多彩な人間像をちりばめながら、終局へ盛り上げていく手法はすぐれている。
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 原作は、歌舞伎に新しい息吹を入れようという意図のもとに、大仏次郎が菊五郎劇団のために書き下ろした初の戯曲で、九代市川海老蔵が青年信長に扮し、昭和二十七年十月東京歌舞伎座における初演以来、当り狂言としてしばしば好評を博したものである。尚、同じ大仏次郎の「炎の柱 織田信長」は、徳間文庫で読める。

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