『薄桜記』−雷蔵愛惜
ヒロインの真城千都世は、この『薄桜記』でデビューしたのですね。
ええ。本社から女優がなんとかかんとか言うてくるんですけど、なかなか本人がこないんですよね。きてみたら、なんと鼻の大きい、あんまり別嬪じゃなくてね(笑)。「これは弱ったなあ、芝居ができるのか」と思って、坐っている位置とか画のなかの位置、空間をどう置くのかとか、芝居を助けるのだいぶ考えましたけどね。でもまあ、新妻らしい感じは出て。いつかテレビでまた見たときは、わりあいやっているなという気はしました。
そのあと、また市川雷蔵と『濡れ髪喧嘩旅』(1960)にも出ましたね。
勝ちゃんの『悪名市場』(1963)にも出てますな。それから舞台に行ったんです、あの人は。大映にくるまでが松竹歌劇にいたんですね。あとで聞いて、へええと思いました。これがね、いまだにくれますよ、年賀状と暑中見舞。人がよくて欲がないから、スターになれんでしょうな。だいたいスターちゅうのは、他人を跳ねのけていく人が多いから(笑)。
『薄桜記』はさっきの夕焼けとか雪とか、画面がきれいですね。それから、紙のお雛様が素晴しい、雷蔵の典膳がこれから出張の旅に出るというときに、新婚の妻に別れを言って、そのあと抱き上げて部屋へ入ってゆくと、画面には紙の男雛と女雛だけがうつるという、いいシーンがありますね。ラブシーンになるわけですが、それをもろにうつさないで、一対の紙雛だけをポンとうつす。とっても情感のあふれる描き方ですね。
あれ、ききましたね、人形が。
で、ラストで、立回りのあと、典膳の胸元から紙雛がちらりと見える。そこで最後の最後まで別れた妻を愛していたとわかる。紙雛がみごとに用いられていました。
もう人間、ラスト、死ですよね。全部の自分の花を散らしちゃうというか。もうこれで終りだっちゅう気がありましたからな、あの人物に。だからあれは、立回りで殺されることで自分を生かしたんじゃないかですかな。そういう感じに撮りました。立回りは、自分の生涯を描いてるような感じでやったんですがね。
雷蔵は片腕がなくて、片足も短銃でやられていて立つことができない。で、戸板で運ばれて、雪の境内を片手片足のまま地面を転げ回りながら、すさまじく闘う。ですから、むごたらしいといえば、とてもむごたらしいのですが・・・。
しかし、むごたらしいというふうには感じないでしょう?あまり。キャメラの位置とかを考えて、わりあいきれいに撮ったんですよね。歌舞伎でいう所作とか踊り、それに近いもんでしょうね、あれは。もう雷ちゃんも「うん、俺はここで死ねる。よし!」ちゅう勢いで、やってました。
それから、倒れた二人が手を取り合うところは、たしか脚本にはなかったと思うんです。いやあ、あったかな。死んでから、女房と手をカッと握り合うとこです。あれは、女のほうが寄ってったのかな。ああいうもんは、やっぱし、まだあんなかに自分が行きてるような気がするんですな。あのシャシンは、ほんとうにそうですね。