中山七里
1962年5月27日(日)公開/1時間27分大映京都/白黒シネマスコープ
併映:「ソーラン渡り鳥」(加戸敏/成田純一郎・小桜純子)
企画 | 財前定生 |
監督 | 池広一夫 |
原作 | 長谷川伸 |
脚本 | 宇野正男・松村正温 |
撮影 | 武田千吉郎 |
美術 | 太田誠一 |
照明 | 中岡源権 |
録音 | 海原幸夫 |
音楽 | 塚原哲夫 |
助監督 | 友枝稔議 |
スチール | 藤岡輝夫 |
主題歌 | ビクターレコード 作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正 歌:橋幸夫 |
出演 | 中村玉緒(おしま・おなか)、大瀬康一(徳之助)、柳永二郎(総州屋安五郎)、荒木忍(吉五郎)、滝花久子(お鹿)、沢村宗之助(儀十)、富田仲次郎(虎太郎)、杉田康(藤八)、近江輝子(かね)、伊達三郎(弥七) |
惹句 | 『別れて三年流れて七里!長脇差にあづけたこの命!恋の夜風が追いすがる!』『飛騨をめがけて三度笠、恋もからむよ旅合羽!』 |
〔 解 説 〕
長谷川伸の同名小説を映画化したもの。 死んだ恋人に瓜二つの女の幸せを願って命を賭ける旅烏・木場の政吉が恋と喧嘩で綴る股旅もの。この『中山七里』は、長谷川伸の三大名作のひとつ、「中山七里」よりアダプトしたもので、颯爽、市川雷蔵が、『沓掛時次郎』『鯉名の銀平』以来、久々ぶりに痛快無類な立ち廻りを見せる本格的な股旅時代劇です。
内容は、気っぷで生きる江戸は深川のの名物男、木場の政吉が、死に別れて今猶忘れ難い恋人おしまと全く瓜二つの女、しかも許婚者まであるおなかの幸せのために、生命を賭けて斗かうといったお話で、報われざる孝に対する男心の悲壮美を鮮烈に描き出そうとするものです。
市川雷蔵のやくざものは「股旅姿はやっぱり雷さま!」といわれるほど定評のあるものですが、この、『中山七里』は、先ごろ華燭の典を上げ、ますます意欲の出てきた雷蔵の初仕事であるだけに大いに期待されます。また、彼が芸能界にデビュー初舞台を踏んだのが、矢張りこの「中山七里」といえば、話は少々因縁めきますが、これもひとつの話題です。それから、市川雷蔵とはお馴染みの橋幸夫が結婚祝いに、主題歌をプレゼント、レコードの発売に先立って全国ファンに披露するのも待ち遠しい限りです。
更に、もう一つの話題は、昨年、矢張り市川雷蔵とのコンビ作品『沓掛時次郎』で才気溢れたメガフォンを縦横に駆使、京都市民映画祭の新人賞を獲得、このところ沈滞気味の時代劇の壁をブチ破るホープと目されている池広一夫監督が再び好素材・好キャストを得、どんなメガフォンを見せるか大いに楽しみとするところです。
キャストは、木場の政吉に前述の市川雷蔵、その恋人おしまと、おしまに瓜二つの女おなかの二役を、これも結婚後初仕事と大いに張りきる中村玉緒が演じ、おなかの許婚者徳之助に大瀬康一、これらトリオを助けて、杉田康、富田仲次郎、沢村宗之助、柳永二郎等、多彩な演技陣が顔を揃え作品に厚みを加えています。
スタッフには、演出に前述の池広一夫監督がシャープな感覚を閃かせれば、ベテラン武田千吉郎が流麗なキャメラワークを誇り、照明に中岡源権、美術に太田誠一、音楽に塚原哲夫、録音に海原幸夫と、大映京都撮影所が誇る若き俊鋭がガッチリとスクラムを組んでいるだけに、またまた話題の中心になる作品が生まれそうです。( 公開当時のプレスシートより )
市川雷蔵の結婚後最初の作品、大映京都の『中山七里』(監督池広一夫)がこのほどクランクインした。これは長谷川伸の名作の一つで、詩情豊かなマタ旅もの。死んだ恋人とウリ二つの女のしあわせのために、悪人と戦うひとりのやくざを描いた物語。
主人公政吉には雷蔵がふんし、恋人のおしまと恋人にウリ二つの女おなかの二役を、これも結婚後間もない中村玉緒がやる。新婚旅行でアメリカへ行ってきた雷蔵は「非常に進歩したアメリカから日本へ帰って、こうしたマタ旅ものをやると、ちょっと時代錯誤に陥りそうです」といいながら、かつらをつけてセット入り。
セットは結婚間近い政吉とおしまが政吉の家で差し向かいにすわっているところ。政吉が「こうして一つ部屋に差し向かいになっていると夢のようだ」、おしま「あたしだって同じ」と目を合わせ、手をにぎり合う。新婚ホヤホヤのご両人のこと、たちまち気分が乗り、セット内はお熱いムードがたちこめる。つめかけた見学者たちもこのムードにのまれた格好だった。(西スポ 04/24/62)
[ 略 筋 ]
江戸は深川の名物男、木場の政吉は材木商の元締、総州屋の安五郎の若い衆で、材木の目利きにかけては並ぶ者がないほどの腕だ。勝負事の好きな彼は今日もある料亭でサイコロの最中、岡っ引に踏み込まれ、困ったところを女中のおしまに救われた。
それ以来、すっかりおしまが好きになった政吉は、やくざな生活から足を洗うことを条件に彼女と結婚の約束をした。だが、おしまに気のある安五郎が力ずくで彼女を女にしたため、政吉は彼を刺し殺してしまった。一方、おしまも安五郎とのことを苦にして自害した。
それから一年、旅鴉となった政吉は道中、病に苦しむおなかという女を助けた。彼女がおしまと瓜二つなのを見た政吉は、胸が高鳴るのだったが、彼女には徳之助という恋人がいるのを知ってあきらめるのだった。
その頃、徳之助があるやくざに金を借りたため、借金のかたにおなかは無理矢理彼らに連れ去られた。事の次第を聞いた政吉は彼らの本拠に乗り込み、無事おなかを救い出した。徳之助、おなかを伴った政吉は、知人の吉五郎を頼って飛騨高山へ向かった。
途中、二人の仲を疑った徳之助は殺気を帯びてきたが、どうすることもできずに従うのだった。ようやく一行が吉五郎のもとにたどりついたころ、政吉を追う岡っ引の藤八が例の一味とやって来た。月明かりの中山七里谷には、たちまち血しぶきがとび散った。そして数刻、おなかと徳之助に幸せにと言い捨てたまま、政吉は足早に立ち去るのだった。( キネマ旬報より )
中山七里
作詞:佐伯孝夫 作曲・編曲:吉田正 歌:橋幸夫
中山七里の お地蔵さんに あげる野花も かなしい供養
仇は討ったぜ 成仏しなと 合す両手に 他国の風が
きょうも きょうも きょうも冷たい 急ぎ旅
似ている 似てるぜ 助けた女 おしまおまえに ほつれ髪までも
看病一つに つい身がはいる 抱いて女房と 呼びたい宿で
きけば きけば きけば亭主を たづね旅
長脇差一本 草鞋をはいて 土足裾どり おいとましやす
好いて好かれて 手に手を引いて 木曽は掛橋 仲よく渡れ
これが これが これが政吉 置土産
中山七里
村上 忠久
長谷川伸の戯曲の映画化。主人公の政吉が、女房おさんを、親分の非道のために死なせて、そのために親分を殺して旅に出るまでが前半で、後半は、おさんと瓜二つの女おなかとその許嫁徳之助を、悪人の手から政吉が救うという物語だが、初期の長谷川伸物の常道の組立が見られる。
股旅物プラス女房と生き写しの女プラス主人公の義侠という図式が、そつなくまとめられた『中山七里』は、この種の物としては、先ず何よりも筋の骨組みに一本通ったもののあるのが長所である。その代りに、主人公は甚だ単純な性格として登場する。心理に陰影が無い訳ではないが、その行動には割り切った一つのパターンしかない。それだけに、見る側には判り易さがあり、それが股旅物に甘さを加えた筋の展開と共に、人々に喜ばれる原因でもあろう。従って、こうした物の映画化は、何より大事な事は、脚色と演出の技術的な練達さである。
筋を面白く見せ、原作が持つ喜怒哀楽を、画面に浮かばせるためには、スタッフは技巧的で無ければならない。その点、脚色はまだ平板に過ぎる部分が多いが、池広一夫の演出は、一応、技巧的にも見るべき点があるといえる。例えば、政吉が賭場で一稼ぎする場面 - これは、彼と徳之助を結びつける契機になるのだが - のカット構成や、ラストの殺人の場面などでは、池広はこの種の物の常套を出る効果を示していたし、被写体をロングに捉えるカットの使用にしても、割合にねらう効果を出していた。池広としては、特に良い出来とまではいえないが、股旅物の映画化としては、レベル以上にはなっている。変に原作をいじりまわした新解釈の無いのも、かえって良い。どう描いても、筋の根底は動かないこの種の物は、こうした行き方以外には無かろう。
出演者では、市川雷蔵と中村玉緒が軽く演技しているが、中村玉緒は二役ではおしまの方がやや良かった。他では、徳之助の大瀬幸一が、演技は固いが、悪くない。(興行価値:新人の作品らしい若さを持った股旅物で、すがすがすがしいが、その反面時代劇のアクの強さに欠け、観客吸引力を弱めているのが難点。宣伝でこの点に親切なテコ入れがほしい。キネマ旬報より)
長谷川伸の股旅ものは名の売れた親分でもヒーローでもない。義理人情に脆くいつもテメェひとり貧乏くじを引いているようなうらぶれた渡世人だ。だからこそ大衆はそれに共感をよせ、時に涙するのである。詳細はシリーズ映画、その他のシリーズの『股旅もののヒーローたち』参照
Wikipediaより |