西鶴と『大阪物語』 吉村公三郎
かねて西鶴には多少の興味を持っていたが、本気で西鶴を好きになったのは戦争後のこと。これには織田作之助などに負うところが多い。
西鶴を映画にしたいと思っていたが、どうにもまとめられずに過すうち溝口健二監督の『西鶴一代女』が出た。この映画は西鶴の簡潔さ、乾いた調子はなく、寧ろ重厚な悲劇になっていたが、たしかに力作であった。溝口監督の『近松物語』が出ていたく感動し、そのとき溝口監督は西鶴より“近松”に近い作家ではなかろうかと思った。ふたたび『大阪物語』で西鶴をとりあげられることになり、脚本を拝見し、前作の『一代女』よりもずっと西鶴調なのに大いに期待していた。
ところが残念なことには製作にかかられる寸前他界せられ、われわれは偉大な大先輩を失った。そして巨匠の残された仕事を、私ごとき若輩がおひきうけするまわりあわせになったのは、まことに感慨無量である。 『大阪物語』のシナリオはこういう物語がそのまま西鶴にあるわけではなく、「日本永代蔵」「世間胸算用」「万の文反古」等のあちらから一行、こちらから二三行と集めて来たものを、程よくつぎ合せたり、そこから話を作り出したりして苦心の末、一つの物語にまとめあげられたものである。興味のあることには西鶴がもし現代に生きていて、シナリオを書いたら
-実際シナリオに興味をもったに違いないような人物だが-
やはりこうしたものを書いたであろうと思われるぐらい西鶴的である。 これを監督演出する私も、今はなき天才太宰治が西鶴を脚色した「新釈諸国噺」の序文に書いているように「いささか皆さんに珍味異香を進上しようと努めてみるつもりなのである。西鶴は世界で一番偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ、私のこのような仕事によって、西鶴のその偉さがさらに皆に信用されるようになったら、私のまずしい仕事も無意義でないと思う」との言葉をかりて置こう。(パンフレットより) |