大坂に生まれる
寛永19(1642)年 −元禄6(1693)年

代表作品

■好色一代男 (1682年刊)
■諸艶大鑑 (1684年刊)
■西鶴諸国ばなし (1685年刊)
■好色五人女 (1686年刊)
■好色一代女 (1686年刊)
■本朝二十不孝 (1686年刊)
■武道伝来記 (1687年刊)
■懐硯 (1687年刊)
■武家義理物語 (1688年刊)
■日本永代蔵 (1688年刊)
■世間胸算用 (1692年刊)
■西鶴置土産 (1693年刊)
■西鶴織留 (1694年刊)
■万の文反古 (1696年刊)
 

 井原西鶴は江戸時代前期に上方で活躍した、俳人、浮世草子作者です。寛永19(1642)年、彼は大坂の裕福な町人の家に生まれました。15歳の頃から俳諧に親しみ、のちに、談林派の西山宗因のもとに入門します。談林派の俳諧は通俗的な目新しい詠みぶりが特徴で、西鶴は談林派の代表的俳人として活躍しました。特に、京都三十三間堂の通し矢にならい、一昼夜かけて、できるだけ多くの句を詠む「矢数俳諧」が有名です。

 西鶴は、延宝3(1675)年に妻を亡くした折、追善のために、一人で一日千句詠むという「独吟一日千句」を成し遂げます。このパフォーマンス性が受け、談林派の名前を広めました。これより後、西鶴を含め、多くの人が矢数俳諧に挑戦し、記録が更新されてゆきます。一時は大いにもてはやされた談林俳諧でしたが、次第に飽きられ、宗因が没する天和2(1682)年より少し前頃から、談林派は衰えの兆しをみせました。西鶴も、俳諧から浮世草子へと活動の中心を移しました。

 天和2(1682)年、西鶴は小説「好色一代男」を刊行します。これを始まりとし、江戸初期に上方中心に出された娯楽的な通俗小説のことを浮世草子と称します。浮世草子は大流行し、西鶴はその第一人者として活躍しました。

 元禄6(1693)年8月10日、西鶴は52歳で亡くなります。没後、弟子の北条団水らが西鶴の遺稿を整理編集した、「西鶴織留」「西鶴置土産」などが刊行されました。
 西鶴の作品は、江戸時代は勿論、明治時代以降も、多くの作者に影響を及ぼしました。井原西鶴は、延宝から元禄期の文化形成に大きく貢献しており、江戸時代前期を代表する人物といえるでしょう。(京都大学電子図書館より)


  

 

 『好色一代男』(こうしょくいちだいおとこ)は、江戸時代前期の文芸作品。井原西鶴の処女作であり、浮世草子の嚆矢とされる。

 1682(天和2)年、大坂の荒砥屋可心から大本8巻3冊で刊行された。

(Wikipedia)

 

 

 裕福な町人と高名な遊女の間に生まれた世之介は、7歳で侍女に戯れかけ、8歳で年上の従姉に恋文を送り、9歳には女の行水をのぞき見し、10歳で美少年を口説く。11歳で伏見の遊里で見出した浪人の娘を親元へ帰し、12歳で風呂屋の湯女、13歳で茶屋女と契る。


 

 14歳で仁王堂の飛子と戯れ、15歳で京都の後家と契り、子どもができると逃げる。(この子どもが『諸艶大鑑』の世伝となる。)16歳で人妻に恋慕して手傷を負い、17歳で木辻の遊里に遊ぶ。18歳、若狭・若松に馴染み、うどん屋を開くが落魄。19歳、色好みを理由に勘当されて出家するが、長続きせず、20歳で大坂に戻って裏長屋の娘と結婚する。


 

 21歳で謡うたいとなって富豪楽阿弥に拾われ、22歳で九州に下り、23歳で大坂の蓮葉女にうつつを抜かす。24歳で大原の女と契り、25歳で佐渡に向かう途中の寺泊の遊女に戯れる。26歳で坂田へ出て、27歳で塩竃へ行き、舞姫を口説くが、その夫に片小鬢を剃られる。


 

 28歳、信州追分で咎められて入牢。隣の牢の女と恋仲となる。29歳、女を連れて逃げる途中、女の親族と争って失神。女は死亡。30歳、かつての念友の家に泊まるが、女達の怨念に苦しめられる。31歳で奥女中の慰み相手となり、32歳で京都に上って色遊びを楽しみ、33歳でで島原に行くが太鼓女郎にまで振られる。34歳、泉州佐野で船遊びの途中で遭難。父の死によって大々尽となる。


 

 35歳、吉野太夫を妻とする。36歳で大津芝居を見学し、37歳で室津の遊女に心惹かれ、38歳で滝井山三郎と僧侶との恋を取り持ち、39歳で堺袋町、40歳で安芸宮島の遊里を見学。41歳、旧友と楽しみのない一夜を過ごす。


 

 42歳、三笠と馴染む。43歳、夕霧と忍ぶ。44歳、藤波の一途な思いを知る。45歳には遊女の裏面を知り、46歳には初音の座配に感心し、47歳には吉田にやり込められる。48歳、2人の男を鮮やかにもてなす野秋に感心する。


 

 49歳、高橋を愛し、50歳には京都中の末社を集めて豪遊。51歳、料簡の悪い遊女を懲らしめ、52歳で高尾太夫と忍び、53歳で和州と親しくなり、54歳で吾妻と契る。55歳の菊の節句には新町・島原と遊ぶ。


 

 56歳、岩清水への厄神参りの夜宮に趣向を凝らし、57歳、小柴に逢う仕立物屋十蔵に同道、58歳で新町から島原へ移った吉崎の水揚を引受け、59歳には丸山で豪遊。60歳、ついに女護ヶ島へ船出する。