雷蔵さん主演の歌行燈、御覧になりましたか?美しいそして、悲しい映画でしたね。この作品は皆様すでに御存知のとおり雷蔵さんが五年振り、『薔薇いくたびか』が三十年の四月ですから・・・まあそんな詮索はともかくとして・・・。去る四月二十一日、大雨の中をついて空路上京、五月十六日までの間、雷蔵さんは文字どおり仕事、仕事、に追いかけられ雷蔵さんのお好きな東京をゆっくり味わうと云う事がなかった様子でした。お気の毒にね・・・。

 撮影に入ってから封切られるまでが短期間のため、雷蔵さんが撮影所入りした時は、雷蔵さんの出番だけを残しているのみという状態では大変、ついに徹夜徹夜という事で、“もうホテルに帰っては困る、どこか撮影所の近くに宿をとる様”と通達があったそうです。お忙しいし、馴れない東京でのお仕事ですから、お訪ねするのは、ひかえた方がいいと思ったが、そうそう今度は集いの延期等で、東京撮影所見学が中止になった事を思い出し、見学に行けなかった会員さんのためにも・・・と考え直して取材に出掛けてゆきました。

  ご存知の方も多いと思いますが、大映東京撮影所は新宿より京王線で京王多摩川下車徒歩二分、多摩川の清流を横に見る静かな東京郊外、調布市にあります。正門で名前をつげて、待つことしばし、午後のセット入りする雷蔵さんといっしょにセットへ行く森本マネージャーと今日の目的を話し、気ままな取材にかかった。この撮影所は公共道路をはさんで右、左、第一から第六までのステージが広々と建ち並んでいる。

 その日のセットは第四ステージ、中に入ると鬱蒼とした原始林にとりかこまれた中にぽっかりと浮んだ池、森の黒い中にひときわ白い芝生、実にすばらしいセットです。このシーンは、お袖の山本富士子さんが、喜多八の雷蔵さんと待っているいるうちに、池のそこから聞こえてくる様に静かな謡曲が流れ舞いはじめると云った幻想シーンの撮影でした。ステージ一杯に立ちこめたスモーク(人工で起す)あやしげに立ちのぼる池の霧、その霧(スモーク)の中で、木の間よりもれる光が二筋、三筋まさに最高です。

 そうした雰囲気の中での撮影ですが、山本富士子さんが雷蔵さんの足を抱いて泣くシーンですが、衣笠監督の入念なる演出振りには見ている方が草臥れて来ました。このカットでは、雷蔵さんの顔は写りませんが、テストの時、冗談を云ったり、笑ったり、にぎやかでしたが、本番の声がかかると雷蔵さんの顔は急に哀愁を帯びて来るのには感心しました。顔がうつらなくてもちゃんと感情をだしているのにはさすがだなあと思って・・・。このカットはすぐに終り、中に入っているとスモークでのどを痛めるし、山本さんのカットがあるので、一寸雷蔵さんと共に外へ出ました。

 雷蔵さんは、ステージの入口の所に椅子を出してすわると、待ちかまえていた見学者がサイン帳を持って、三人、五人・・・と集って来る、そのうち一人ひとり交代で写真を写し出す。それにも心よく応じていらっしゃる雷蔵さんです。 そのうち一人の女学生が、もう一度、一緒に写すと云って側へ行くと「一枚写しておけば百枚でも二百枚でも焼増出来るんだからいいでしょう」と云ったものですから、側にいた外の人達もいっせいにはなれ、遠廻しにして雷蔵さんを見ているという一幕もありました。雷蔵さんには、それからが、春の日は暖かく、辺りに人なく、のんびりとした休憩時間の様でした。

 

 再びステージに入ると、今度は山本さんが、ぐるぐる廻りながら倒れる所に、雷蔵さんが出て来て仕舞を舞うと云った動きの多いカットです。セットでは、スモークが立ちこめているだけで現実的な感じでしたが、映画になると、美しいシルエットになっておりました。動きが多いだけにテストも五回、六回とくりかえされ、演技がいいと思うと、謡曲の録音がうまく行かず、録音がOKになると、スモークが晴れてしまう、と中々タイミングが合わないカットでした。雷蔵さんは足袋を二枚はき本番がかかると一枚をぬぐ、なにしろ芝生にじかなので足袋がたまらないとは森本さんの弁、その後一カット、雷蔵さんの手だけのアップがあって、その日は珍しく五時で撮影終了。

 この撮影中、雷蔵さんはさかんに「お江戸は生き馬の目をぬくとこさかい」を連発。わけですか?まあやめておきましょう。又、スタッフの方に「市川さん(東京のスタッフは皆こう呼んでいました)もうすこし調布より」とか「多摩川よりですよ」と云われるたびに良くわからないらしく、まごまごして「調布よりはこっちやね」と念をおしておりました。ステージの外へ出ると一目散に控室へ行かれる雷蔵さんの後姿の嬉しそうな事、やっぱり早くお仕事が終ったせいでしょうね。