歌行燈は泉鏡花が1910年に発表した小説(明治43年 1月「新小説」初出、明治45年 1月『歌行燈』(春陽堂)所収 )。映画化もされた。鏡花は元来能に深い造詣があった。

 月の夜、桑名に着いたふたりの老人、能役者の恩地源三郎と小鼓師辺見雪叟が湊屋という宿へ向かう時、車の音にまじって博多節を唄う声が響いた。声の主は叔父源三郎に勘当され門付けに落ちぶれた恩地喜多八である。

 うどん屋で喜多八はその勘当の顛末を按摩相手に物語る。三年前、もと按摩で芸におごった謡の師匠宗山を懲らしめたため、宗山は「七代まで流儀に祟る」と書いて憤死したのだった。

 いっぽう湊屋の二老人の前には芸のできぬ芸者がいた。宗山の娘お三重である。唯一できるという娘の「海人」の舞に源三郎らは甥の手を見た。娘は仔細を語る。父なき後、鳥羽の廓に売られ冷たい海の巌の上で「こいしこいし」と泣いたこと、古市で芸者になった後、三味線ひとつできぬお三重に門付けが鼓ヶ嶽の裾の雑木林で舞を教えてくれたこと。「舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ背後から背中を抱いて下さいますと、私の身体が、舞いました。」語り終えた娘はふたりの鼓と謡でふたたび舞を舞う。その響きに誘われて宿の外、謡を唱和する喜多八と、喜多八に引き敷かれるように蹲る形なきものの影。

月の夜、複数の音の響きがたくみに縫い合わされていく小説。

 

 

 

  

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