終った作品はみんな不満だらけです

 彼は昭和六年八月京都に生れた。間もなく二十七歳になるが、この坊主頭になった顔をみていると、二十一、二くらいしかみえない。家庭的な愛情には恵まれなかったそうだ。そのかわり、激しい性格を身につけたんだから、家庭に恵まれて、ヤワな性質になるより遥かにいいだろう。

 初舞台は昭和二十一年、市川莚蔵と名乗り、五年後に市川寿海の養子になって現在の芸名になった。だから歌舞伎の世界では、きわめて名門である。市川団十郎の血統になるからだ。

 京都に生れて大阪と京で成長したんだから純粋の関西人の筈だが、彼の感じや、たたずまいをみていると、どうも関東人の雰囲気が感じられて仕方がない。ぼくだけの錯覚だろうか。

 彼のいろいろな好みを聞いてみても、東京の青年とまったく同じだ。たとえば音楽ひとつをとっても、クラッシックからロカビリーにいたるまで愛するらしい。ただし歌謡曲というものだけは別のようだ。もっとも、この好尚も、全国の青年たちに共通のものかも知れないが。

 「とにかく現代劇は今度が初めてでしょうから、いろいろな点で面白いでしょう」

 「ええ、今までのところまァ五分の一くらい撮り終ったというところで、ほんの象の脚の一本くらい撫でたようなもんですから、はっきりしたことは云えませんが、面白いですねえ、とても面白い・・・そりゃァ、辛いことも辛いですがやり甲斐のあることで辛いのは、辛さの性質がちがいます。市川(崑)先生のものはいろいろ見てるですけど『満員電車』なんかとても好きでした」 

 「そうでしょう。第一コン・コクトー先生(市川監督のアダ名)にしてからが、二年くらい待ったモノですからねえ。ほんとうは、去年の今ごろ、かかる予定だったんでしょう」

 「ええ、それが、いろんな事情で今年まで伸びたんだそうです」

 去年の夏、大映東京撮影所で市川崑に逢ったとき「残念だ」とぼくに云っていたのを思い出した。何でも、京都の寺の坊主から反対が出た、という噂を聞いたが、原作やシナリオを読んだかぎりではどこにも反対理由があるとも思えない。不思議である。

 「修行僧吾市、という性格は面白いですよ。たしかに・・・ちょうど、この吾市くらいの年のころが、一番、美しいものに憧れる年ごろでしょう。私にも、そんな経験があります。人生も美しくなければならない、美しいものは永遠の生命を与えてやるべきだ・・・それが、次第に汚れたものが多すぎる、といった幻滅にかわってくる・・・吾市にとっては、その幻滅がたまらなかった。金閣寺じゃない驟閣寺の金堂は、汚れた中に在るよりも、灰の中で、永遠の命を保たせてやれ、という、何ですか、美の極致みたいな感じ方・・・」

 「映画になりにくいものと、とり組んだ」

 「それで、画面の中には、幽玄の美しさを出したいって、宮川さんが云っておられましたが、きっとそのようなものが出るだろうと思います」

 カメラの宮川一夫技師は稀代の凝り屋である。黒白の『千羽鶴』や『雨月物語』さては『近松物語』のおさん(香川京子)と茂兵衛(長谷川一夫)の湖の小舟の中さまざまな場景の美しさは忘れられない。驟閣寺炎上のシーンは、いまから期待しておいていいだろう。

美にあこがれる青年の激しい性格を描いて