浅太郎鴉

1956年3月28日(水)公開/1時間26分大映京都/白黒スタンダード

併映:「腰元行状記」(天野信/阿井美千子・峰幸子)

製作 武田一義
企画 高桑義生
監督 三隅研次
脚本 比佐芳武
美術 上里義三
照明 伊藤貞一
録音 奥村雅弘
撮影 武田千吉郎
音楽 上原げんと
助監督 西沢利治
スチール 松浦康雄
出演 嵯峨三智子(おみよ)、黒川弥太郎(国定忠治)、浜世津子(お栄)、水戸光子(おこと)、杉山昌三九(土手の喜太郎)、千葉登四男(三ッ木の文蔵)、富田仲次郎(岩間の長八)、舟木洋一(金井の徳二郎)、小川虎之助(御室の勘介)、羅門光三郎(百々村の紋次)、荒木忍(茂兵衛)
惹句 『度胸も男も日本一美男雷蔵の恋と喧嘩の痛快、長ドス道中』『赤城しぐれに閃く恋と仁義の一本刀』『啖呵長ドス恋の股旅がらす、浅太郎!美男、雷蔵が扮して颯爽の登場

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 親分国定忠治の命によって人を斬り、旅に出た浅太郎が、行方知らずだったいとこと再会。説得して故郷に帰そうとした矢先、いとこが殺され、浅太郎は悪徳一家に殴り込む。

 興行的価値、雷蔵も人気が出て来た。相手役は嵯峨三智子だから興行的には安心できる。宣伝も新奇な手を用いず、親しみある内容を平凡に生かした方法はかえって効果的だろう。最近の時代劇としては水準以上の入り。『赤線地帯』の二週目に乗せた番組もよかった。

 大映京都『浅太郎鴉』は、このほど三隅研次監督でクランクインしたがシナリオはやくざ物に定評のある比佐芳武が初めて市川雷蔵のために書きおろしたものである。また雷蔵としてはやくざ物はこれがはじめての作品だというのでその感想を聞いてみると

“やくざ物は舞台でもやったことがない、まったく手がかりがありません。もち論やくざといっても、国定忠治とか笹川の繁蔵とか名の通った親分衆は、お客がそれぞれイメージをもっている。タイプもちゃんとできているので、私のように年齢的に若く、体にボリュームのないものには、貫禄といいますか、風格といいますか、そういう幅はどうしたって出ません。”

“私がやくざを演るとなれば、どうしたってこんどのような板割の浅太郎といったところが一番ピッタリしているだろうと思われます。比佐先生もそれを考えて私の柄にはまった人物にあてはめて書いて下すったんだろうと思うんですが、問題は格好よりもセリフだといえるでしょう。”

“格好だけは先輩のいろいろな作品も見ているので、見よう見真似で、それらしく動けるとしてもあの歯切れのいいセリフは、特に私なんか上方の生れだから難しいですね。それに比佐先生のシナリオのセリフは、調子というものが非常に巧く書かれてあって、それがちょっとでもくずれると、ちょうど建築でいえば要所々々のマス組のようなものですから、全体のバランスがガタガタになってしまうのですからこの調子の流れによどみが出来ないようにと、それに苦心しています。”  と語った。

                                   

★ ものがたり ★

 親分国定忠治の命令で、二足わらじの博徒百々村の紋次を殺した板割浅太郎は旅に出た。浅太郎には十手を預る伯父勘介があり、勘介の子で浅太郎にはいとこに当る徳二郎はイカサマ賭博に身を持ち崩し、一子勘太郎を残して行方不明であった。

 以前忠治が世話をしたことのある親分土手の喜太郎を尋ねて松代の宿場に入った浅太郎は、喜太郎の子分につきまとわれる百姓娘おみよを救った。喜太郎の家に着いた浅太郎は、徳二郎が、近く須坂の山寺で開かれる賭場に現われることを知った。当日、徳二郎に会った浅太郎は帰郷をすすめたが、徳二郎は十日後の再会を約して去って行った。だが、帰郷の金を作るため喜太郎と共謀でイカサマ賭博をやった徳二郎は、もうけを独占しようとする喜太郎一味に殺された。怒った浅太郎は喜太郎を斬ったが、自分も傷を負い、山中に逃れて気を失った。その浅太郎を助けたのは、折よく通りかかったおみよであった。

 浅太郎の傷がいえるころ、忠治が赤城山に立篭ったという報せが入った。浅太郎は後を慕うおみよと涙の別れをして赤城山に向った。だが浅太郎を迎えた忠治の態度は冷かった。かねて見知りの勘介が自分を召捕ろうとしたというのである。決心した浅太郎は山を下り勘介の家に向った。勘介は浅太郎の用向を察し、孫の勘太郎を浅太郎に托して自殺した。山に帰った浅太郎は忠治の前に勘介の髪を出し、勘太郎のためにやくざの足を洗いたいといった。忠治は金を与えて浅太郎を下山させた。勘太郎を背に山を下りた浅太郎の前に、彼の後を追って来たおみよの明るい笑顔があった。

                                                                                      浅太郎鴉                           滝沢一

 「赤城の子守唄」でおなじみの板割の浅太郎が主人公である。忠治が叔父勘介の首を斬ってこいというエピソードは最後にちょっぴり出るだけ。全体が浅太郎旅日記風に構成されている。浅太郎を坊ちゃんやくざに仕立てて、ストーリーを努めて明るくしようとしたシナリオの苦労はよく判る。

 だが旅日記のなかに、例によってあこぎな二足のワラジの親分などが現れ、斬ったはったの事件になると、どうにも話が陰湿になっていけない。勘介殺しのエピソードも、浅太郎を主人公にした映画の場合にはやはり省略出来ないと見える。ここでは勘介が自殺し、浅太郎も首をはねず、遺髪だけを忠治の前にさし出す、ラストも勘太郎とともにやくざの足を洗うハッピーエンドになっているが、それでもやくざの仁義、親分子分の義理といったもののうそにストーリーが成立っているので、陰湿である。今日の若い観客層がこういうストーリーにどれ程共感するものであるのか、私にはずい分疑わしく思える。

 比佐芳武の脚本らしく、随所にドスのきいたセリフや場面が飛出す。三隅研次もシナリオに助して忠実に撮っている。松代の宿場での、さんど笠を巧く使った立廻りなど。しかし彼の持味はもっと抒情的なものにより多く発揮されるのではあるまいか。

興行価値:雷蔵も人気が出て来た。相手役は嵯峨三智子だから、興行的には安心できる。宣伝も斬新な手を用いず、親しみある内容を平凡に生かした方がかえって効果的だろう。最近の時代劇としては水準以上の入り。「赤線地帯」の二週目に乗せた番組のよかった。(キネマ旬報より)

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 国定忠治は清水次郎長、新門辰五郎などと並んで、幕末に名を馳せた侠客である。しかし他の二人と違って、忠治は生涯を全うできず、刑死している。捕まったときは四十一歳で、脳出血で半身不随となっていた。

 やがて磔のうえ獄門にかけられており、やくざ者に当然の末路を辿っている。それが義賊、義侠心に富んだあかしとみられている。すなわち、水不足に悩む村民のため私財をなげうって尽くした。飢饉のおりには自分の刀、一説によると備前長船国定という業物、を売って村人たちに与えた。・・・・などの忠治美談とあわせ考えると、幕府権力に逆らい、村民のためにつくし、最後はその権力によって悪党の汚名を着せられ無惨な最後を遂げた、民衆の英雄、ヒーローとなる。

 清水次郎長は“最後の幕臣、山岡鉄舟”と、辰五郎は“最後の将軍、徳川慶喜”とかかわりをもって、判官びいきの庶民はいささか満足させられるが、国定忠治のように反権力的人物として持て囃すところまではいかない。

 また忠治にはただ一人子があって、寺に入っていたが勤皇の志士となって大谷刑部国次と名乗ったという。慶応三(1867)年、二十七歳で斬首されたという伝説がのこっている。

 忠治は今の群馬県佐波郡で、上州佐位郡国定村の旧家、長岡家に生まれた。子孫も現存しているという。富農の総領からやくざに身を持ち崩したということになろうか。縄張りは生家の近くの小さなものであった。

 忠治の凶状は縄張りを接する島村の伊三郎殺しから始まる。子分の三ツ木の文蔵とともに信州に逃げ、そこでも賭場荒らしなどの悪事を働く、忠治二十五歳、天保五(1834)年であった。

 翌年には上州に帰り、赤城山中に籠もるようになる。これ以後、忠治は捕まるまでの十五年間、事件を起こしては信州に逃げ、ほとぼりをさまして赤城山に帰るという行動を何度か繰り返している。

 今に残る美談はその間のことである。勢力を誇ったときで子分は三百五十人を数え、関東取締り出役、八州見廻りの役人も手をだせなかったという。しかし凶状も重ねていて、山形屋藤蔵退治、子分の板割の浅太郎(浅次郎ともいう)が伯父、三室の勘助を殺、一家は関所を、得物、鉄砲、槍をかざして堂々と破って信州に逃げた。関所破りは、やくざ同士の事件よりも大罪である。勘助殺しは「赤城の子守唄」で有名だが、忠治の隠れ場所を密告したとみられた勘助を、身内の恥として、板割の浅太郎がこれを殺す。勘助の残した乳飲み子を浅太郎は背負い赤城山中の忠治のもとに戻る、というものだが、実際には子もろとも殺したらしい。(稲木新、別冊太陽、時代劇のヒーロー100より)

子母沢寛、長谷川伸ともに「国定忠治」と題する作品があり、他に笹沢左保「天保・国定忠治無頼録」等がある。

詳細はシリーズ映画、その他のシリーズの『股旅もののヒーローたち』参照。

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