炎上

1958年8月19日(火)公開/1時間39分大映京都/白黒シネマスコープ

併映:「消えた小判屋敷」(天野信/梅若正二・美川純子)

製作 永田雅一
企画 藤井浩明
監督 市川崑
原作 三島由紀夫(「金閣寺」より)
脚本 和田夏十・長谷部慶治
撮影 宮川一夫
美術 西岡善信
照明 岡本健一
録音 大角正夫
音楽 黛敏郎 (邦楽)中本利生
助監督 田中徳三
スチール 西地正満
出演 仲代達矢(戸苅)、中村鴈治郎(田山道詮師)、浦路洋子(洋館の女)、中村玉緒(五番町の女)、新珠三千代(花の師匠)、舟木洋一(鶴川)、信欣三(副司)、香川良介(桑井禅海)、北林谷栄(吾市の母あき)、浜村純(吾市の父承道)、水原浩一(検事)、伊達三郎(護送する刑事A)、寺島雄作(護送する刑事B)
受賞 第32回キネマ旬報ベスト・テン4位、男優賞(市川雷蔵)/第13回毎日映画コンクール男優助演賞(中村鴈治郎)/第9回ブルー・リボン賞ベスト・テン3位、撮影賞(宮川一夫)、男優主演賞(市川雷蔵)、男優助演賞(中村鴈治郎)/NHK映画ベスト・テン2位 シナリオ賞/ベニス国際映画祭シネマ・ヌボウ男優演技賞(市川雷蔵)
惹句 『何が彼に放火させたのか、信じるものを失った青年の怒りと反抗』『三島、、雷蔵この異色トリオが放つ、本年度ベストワンを約束された文芸巨篇』『金色の国宝に放火してまで、若い魂が反逆し続けたものは・・・』『誰も知らない誰も解ってくれない何故おれが国宝に火をつけたかを・・・』

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☆作品解説☆

 三島由紀夫が雑誌「新潮」に連載好評を博し単行本として新潮社より出版されるやたちまちベストセラーとなり、読売文学賞を受賞した、名作「金閣寺」よりの映画化であります。しかし「金閣寺」に材を得たとはいうものの、この『炎上』は全然架空の物語となっております。

 『ビルマの竪琴』『処刑の部屋』で鮮烈なタッチをみせた鬼才市川崑監督が一年の構想。機熟して演出にあたっています。市川監督が、自己の作品系列で常に試みて来たエゴの追求の一つの究極ともみられる作品だけに『炎上』への意欲は並々ならぬものがあり、早くも本年度のベストワン候補と目されております。

 和田夏十、長谷部慶治共同執筆のシナリオは回想の形式をもっていますが、市川監督はこれを単なる回想でなく、主人公の意識の流れとしてドラマを進めてゆくことになっています。

 最近娯楽篇に徹底していた大映京都が、グランプリに輝く名誉に賭けて、久々に放つ異色文芸巨篇であります。時代劇に颯爽の剣をふるい人気沸騰の市川雷蔵が、現代劇に初主演し、作られた魅力から生地の魅力へと脱皮しようとしております。

 スタッフは製作には永田雅一自らあたり、企画は大映多摩川の新鋭藤井浩明、監督市川崑、脚本は和田夏十、長谷部慶治の共同執筆であり、撮影には日本映画界きってのシャープな技術を示している宮川一夫が起用され、照明には岡本健一、録音には大角正夫、編集には西田重雄、美術には西岡善信と大映京都が誇るベスト・スタッフが顔を揃え、音楽には映画音楽に異才を放つ黛敏郎が起用され、この作品で新しい実験を試みようとしております。

 主なキャストは現代劇初主演の市川雷蔵を始め、その不倫な母に北林谷栄、信頼を裏切った老師に中村鴈治郎、不具者でありながらも超然と世間を見下している学友戸刈に仲代達矢、驟閣寺の執事として主人公に冷たく当る副司に信欣三、美しい花の師匠に新珠三千代、洋館の令嬢に浦路洋子、五番町の遊女に中村玉緒とズバリの適役を随所に配した多彩な顔触れであります。(公開当時のパンフレットより)

 

金色の国宝に放火してまで、若い魂が反逆しつづけたものは・・・

 日本映画界のジャン・コクトオといわれている市川崑監督が、日本のレエモン・ラディゲといわれる三島由紀夫の読売文学賞作品「金閣寺」を素材に、野心的なメガフォンをとった『炎上』は、主演に大映人気時代劇スタア市川雷蔵を得て、仲代達矢、新珠三千代、中村鴈治郎、浦路洋子、中村玉緒、信欣三らと共演する完璧の布陣を固めています。

 一青年が何故国宝に放火しなければならなかったのだろうかという、主人公の心理にポイントを置いて、その女達の宿命と異常な欲望とを描くもので、沈うつな雰囲気と、ラストシーンの古都の夜空を焦がして華やかに炎上するシーンとを対照的に描出するため、ことさらに色彩をさけ、黒白にしたものです。

 ドモリやビッコの青年が登場し、自尊心だけの女だとか小心な老師、さらに汚れた母親などと醜い人間憎悪の絵図をくりひろげるという至難な演技を、各出演者が果してどう表現するかが興味の中心となっています。

 中でも市川雷蔵は、今までの作品とは根本的に異なって、淡々とした生地のままの演技が要求されるわけで、彼自身にとっても今後の方向を決定づける重大な作品といえましょう。

 『炎上』を製作するため、一年有余の準備期間を置き、国宝そっくりのミニチュアを製作し、雷蔵、仲代、鴈治郎らが惜しげもなく頭髪を切ったり、市川監督が製作意図を明確にするため、宗教学専攻の大学生と討論するなど、慎重にして意欲的な気構えが感取されます。(大映No26より)

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☆梗概☆

 溝口吾市が父の死後、その遺書を携えて京都の驟閣寺に現れたのは、昭和十九年の春のまだ肌寒い朝であった。父から口癖のように、この世で最も美しいものは驟閣であると教えこまれ、信仰に近いまでの憧憬の念を抱いていた溝口は、父の親友で、現在この寺の住職を務めている田山道詮老師の好意により徒弟として住むことになった。美しい驟閣で生活できることが溝口の心に何よりの光明をさしこんだ。この溝口に対し副司は事毎に冷たく当った。これを庇ってくれるのは、同じく徒弟の鶴川であった。溝口は初めて親友を得たのである。昭和二十年夏、古い都にも、戦争の影響が見られるようになった。そんな一日、溝口の母あきがモンペばきのうらぶれた姿で、息子に会いたさ一杯で驟閣寺にやってきた。だが、溝口は何故か、この母の訪問を喜ばず、驟閣に近づこうとする母を突き飛ばすのだった。

 昭和二十二年、戦争の悪夢から覚めた驟閣には進駐軍の将兵をはじめ観光客が潮のようにおしよせた。驟閣は一変した。静かな信仰の場から、単なる観光地になり下がってしまったのである。寺の経済はうるおい、老師の生活も変った。この変転を溝口だけが悲しくみつめるのだったが、老師はそしらぬ顔であった。溝口はますます、驟閣に対する愛着を強め、内面的になっていた。或る日、米兵と訪れ、戯れる女を驟閣の美を汚す者として引きずりおろした。

 昭和二十五年、古谷大学に通うようになっていた溝口は、ひどい内足を誇示して超然としている学生の戸刈を知った。戸刈は、驟閣の美を批判し、老師の私生活を暴露した。老師を全面的に信頼している溝口は、それには動揺した。

 溝口の母あきは生活苦から、老師の好意によって驟閣寺に住みこむことになった。溝口は母の住込みに極力反対した。父が肺病で療養中、母は姦通していた。この汚れた母を美しい驟閣に近づけることは、彼には到底出来なかったのである。意外なことを子供の口から知らされ、あきは黙ってうなだれた。

 母との口論の挙句、街にさまよい出た溝口は、芸妓を伴った老師に出会った。棒を呑んだように突っ立った溝口に、老師は「馬鹿者ッ」と鋭い一喝を与え立去っていった。

 溝口の心は大きく揺らいだ。戸刈のいっていたことが真実であった。彼の心の一角がガラガラと崩れていった。

 溝口は老師の反省を求めようと、買い求めた芸妓の写真を新聞紙に包んで、老師の机の上にのせた。この溝口の配慮も老師には通ぜず、逆に、老師からひねくれ者、馬鹿者と罵られる始末であった。溝口は悄然とうなだれた。その夜、街に出た溝口は、小刀とカルモチンを買い、戸刈から金を借りるや旅に出た。

 烈風吹きすさぶ生れ故郷成生岬の断崖に立ち、荒波を見つめるうち、溝口の瞼に、妻に裏切られ淋しく死んでいった愛する父の荼毘の青白い炎が浮んできた。

 挙動不審のため警察に保護され、連れ戻された溝口を出迎えた母あきの「親不孝者、恩知らず」の叫びも溝口は白々しい気持で聞き流した。寺側の冷たい態度も溝口の心を強く刺した。返金を求めに来た戸刈を前にして老師は、もうこんなことを繰り返すことがあれば寺には置けないと断言した。溝口は信頼していた老師から、今や完全に見捨てられた自分を見出し、絶望のどん底へつき落された。

 折から訪れた高僧で父の友人でもある桑井禅海に、自分の正体を見抜いてくれと迫ったが「見抜く必要はない。何も考えんのが一番良い考えだ」と軽くいなされ、がっくりとした。

 溝口は明藍池のほとりに佇み、黒々と聳え立つ驟閣をふり仰いだ。涙がとめどもなく頬を伝ってくる。誰も自分を分ってくれないのが悲しかったのである。やがて、自分に残されているのはただ一つのことをするだけだと、狂気のように、自分の部屋へ駈けこんだ。

 深夜、寝静まった驟閣寺は物音一つしない。漆黒の闇の中にマッチの小さな焔に浮彫りされて溝口の顔が現れた。溝口はふるえる手で三たびマッチをすった。白煙がたちのぼり、その中から赤い透明の焔が吹きあがった。溝口は煙にむせながら、虚脱したように焔を凝視していた。美しくそそり立つ驟閣が夜空をこがして炎上する。その美しさに溝口は魂を奪われた。

 西陣警察署取調室で、国宝放火犯人として検挙された溝口は警官の鋭い追及を受けたが、頑として答えない。実地検証に焼跡を訪れ、そこで溝口が見出したものは無惨な焼跡だけだった。溝口の心に絶望がもたらされた。

 京都駅から汽車に乗せられた溝口は、便所に立った。少しの油断を見て、彼は自らの体を車外へ投げ出した。あれ程美しいと信じこんでいた驟閣の見るも無惨な姿を見て、この世の凡ての望を失って、自らの命を絶ってしまったのである。(公開当時のパンフレットより)

1958年度 キネマ旬報作品賞

1. 楢山節考(木下恵介/田中絹代・高橋貞二・望月優子) 
2. 隠し砦の三悪人(黒澤明/三船敏郎・上原美佐・千秋実)
3. 彼岸花(小津安二郎/佐分利信・田中絹代・山本富士子)
4. 炎上(市川崑/市川雷蔵・仲代達矢・中村鴈治郎)
5. 裸の太陽(家城巳代治/江原真二郎・丘さとみ・中原ひとみ)
6. 夜の鼓(今井正/三国連太郎・有馬稲子・森雅之) 
7. 無法松の一生(稲垣浩/三船敏郎・高峰秀子・芥川比呂志)
8. 張込み(野村芳太郎/高峰秀子・田村高広・宮口精二)
9. 裸の大将(堀川弘通/小林桂樹・三益愛子・青山京子)
10. 巨人と玩具(増村保造/川口浩・野添ひとみ・高松英郎)

 

 三島由紀夫の小説「金閣寺」の映画化作品である。映画化にあたってモデルとされた寺側の反対によって題名を「炎上」と変えた。通称金閣寺、正式には禅宗鹿苑寺は、もともとは、1397年に室町幕府三代将軍足利義満が建てた豪奢広壮な別荘であり、彼の死後に寺になったものである。その舎利殿は金箔をおしてあったので金閣と呼ばれ、後年、日本の伝統美のひとつの模範とされ、国宝となった。ところが敗戦後の1950年の夏、この寺の学僧の青年によって放火され、焼失したのである。現在ある金閣は1955年に再建されたものである。

 放火事件当時、人々は、なぜそんなバカなことを!と思って驚いた。常識では考えられない事件だったからである。犯人は「美に対する反感から」と告白した。理解し難い言葉なので、人々は彼を狂っているのだろう、と言った。犯人は間もなく病死した。

 彼の異常な心理は誰にも分らなかったが、少なくとも彼と同時代の若者たちには、かすかに理解する手掛かりはあったと思う。彼らは戦争中に徹底的に軍国主義と国粋思想を叩き込まれた世代である。判断力の豊かな知的な青年なら、相当に苦悩したはずである。私など、敗戦時に14才でまだ判断力もなかったが、それでも相応に苦しみながら国粋思想に従った。そして敗戦である。さんざん苦しんだからこそ、こんどは国粋思想はすべて憎悪のまとになった。

 たとえば禅の思想など、いまでは西洋人がやたらと日本人の哲学の核心であるように言って賞めそやすので、なんとなくわれわれもそれに誇らしい気持を持つようになっているが、戦争中にそれが、自分の欲望を抑えて黙って死を受け容れるための軍国主義的な訓練の手段に使われたことを知っているわれわれには、禅と聞いただけで胸糞が悪くなるような時期があったものである。国粋思想に利用された全ての伝統文化が自分たちを抑圧した憎い敵のように見えたのである。

 そう、金閣寺は禅宗の寺であり、伝統文化の権化である。放火犯人の気持が全く見当もつかないと言ったら嘘になろう。

 三島由紀夫は犯人についての綿密な調査の末、事件の六年後にこの小説を書いた。そこでは青年の吃音の劣等感が重要な原因のひとつとして詳細に追求されているが、それだけではなく、犯人の言った「美に対する反感」をそれと結びつけて見事な心理の堀り下げを行なった。そう、伝統美がたしかに青年たちの反感のまとだった時代があったのである。

 とはいえ、言葉ではその微妙で複雑な心理を表現することが可能だったが、はたして映像でそれを表現することが可能であろうか。例えば小説では、主人公の溝口が女を抱こうとする瞬間に金閣寺のイメージが現れて彼を性的に不能にするといった設定がある。緻密な心理描写の中にそういう記述があってはじめて理解できるので、いきなりそういう場面を映像で示されても何がなんだか分らなくなるであろう。

 この小説の映画化を依頼された市川崑監督は、そこで大いに悩んだそうである。そして改めて三島由紀夫から小説を書く前の詳細な取材ノートを借り、実際の犯人の生い立ちや環境をたどり直し、脚色したそうである。基本的には原作に忠実な映画化であるが、原作の観念性を、なるべく事実の具体性に近づける脚色が行われたと言っていいであろう。

 市川崑監督には、それまでにすでに多くの野心的な才気あふるる作品があるが、この作品でついに巨匠の風格を得たと言える。

 主人公の溝口に誰を配役するかは困難な問題であった。市川雷蔵は歌舞伎の名門から映画界に迎えられて、大映の時代劇で当時、人気急上昇中の若手の二枚目のトップ・スターであった。凛然たる貴公子タイプであることが売りものであった。芸術大作の主役とはいえ、吃音の劣等感に悩むみじめな犯罪者の役など、いつも颯爽たるポーズで魅力的なヒーローを演じる彼のイメージ・ダウンになりかねない。しかし市川崑は彼に固執したし、市川雷蔵自身も単なるスターから名実ともにそなわった本格的な演技者に成長するためにこの役を希望した。結果は大成功であり、彼は以後、単なるスターから名優のひとりに数えられる俳優になる。

 老師を演じる中村鴈治郎も歌舞伎から来た人で、すでに舞台でトップ級の名声を確立していたが、彼のホーム・グランドである関西歌舞伎の地盤の低落のため、しばらく舞台を離れて映画に専念していた時期の名演のひとつである。

 溝口の劣等感をさらに煽りたてる学友の戸苅を演じるのは仲代達矢。新劇で注目されて映画でも重要な役を演じるようになりはじめた頃のフレッシュな好演技だった。

 撮影の宮川一夫、照明の岡本健一、美術の西岡善信などの技術スタッフは、技術陣が充実していたことで有名なこの時期の大映京都撮影所のベスト・メンバーである。(佐藤忠男 LD解説より)

純粋なるが故に滅び去った青年の悲劇

学生服姿の市川雷蔵に演技を指導する市川崑監督

 三島由紀夫の小説というのは美しい言葉で色どられた宝石のようなものである。中でも『炎上』は宝石をちりばめたような小説で、読売文学賞の栄誉を受け、ベストセラーとなった。内容が美しい金閣寺をシンボルとして、主人公の心理を追う一人称小説のため、映画化は困難とされていた。この困難な素材に意欲を燃やしのは、『ビルマの竪琴』『処刑の部屋』『満員電車』等の作品で、常に人間の自我の追求をしつづけて来た、日本映画界の鬼才市川崑監督である。市川崑監督はこの作品が徹底した人間の自我と対決している点にすっかり惚れこみ、自己の作品系列の一つの究極点としてこの作品に取りくむことになった。

 まず、脚本は長谷部慶治が第一稿を書き、これに和田夏十が手を加え、ちょっとしたメロドラマとして書きあげた。下手をすると難解な心理劇となるものを、手際よく、主人公の行動を追う、人間ドラマとして『炎上』という題名のもと撮影に入ることになった。

 社会が悪いから、このような平凡な青年が、国宝に放火するという大それたことをしたんだ、というような社会をテーマにした、いわゆる社会劇ではなく、何故、このような青年が生れ、育って来たかにポイントを置き、その青年があまりにも純粋な心の持主であるため、世の中の変遷、推移について行けず、遂に国宝を焼き、自分もこの世に絶望して命を絶ってしまうという人間ドラマになっている。映画といえば最近は、エロかアクションのどぎついものと相場がきまっている中で、この種の純粋な青年の問題を取りあげたものは珍しい。この点からも日本映画の一つの良心として、大きな問題をなげかけることであろう。

 この純粋なるが故に世の中と闘わずして滅んでいった主人公溝口吾市には、時代劇で颯爽の剣をふるっている市川雷蔵が、ガラリ変って、現代青年の苦悩を表現せんものとはりきっている。原作者三島由紀夫も、雷蔵の坊主頭をみて、イメージにぴたりだと感嘆しているし、この話題作に取組む雷蔵の意気には当るべからざるものがある。雷蔵自身がこの『炎上』に対して、その主演を買って出、長年蓄えた長髪をも未練なく切りすてる程の意気込みで、彼が単なるスタアの座から演技者への飛躍をせんものとの意欲がうかがえる。

 この雷蔵に対して彼の考えに影響を与えるニヒルな学生に仲代達矢が扮している。特異な風貌とたたきあげた演技力で、最近メキメキと売りこんでいるこの仲代と雷蔵の異質の顔合わせが、何といってもこの映画最大のポイントである。又原作の金閣寺は映画の方では驟閣寺となっており、主人公の絶対の信頼を裏切る住職には中村鴈治郎が扮している。長年舞台で鍛えた演技力とその体臭が、この役柄にぴたりで高僧の人間味と苦悩をあわせて表現している。この他、この作品で、主人公の心に大きな影響を与え、ラストで驟閣寺に放火させるにいたる一つの道程になる女性として、母親に北林谷栄、京都一番の美女としての己惚れをもちながら一皮むけば意地悪を秘めている花の師匠に新珠三千代、美しく高慢ちきな女性もたあいない醜い存在であることを主人公に知らせる洋館の令嬢に浦路洋子、あどけない赤線の女として主人公に決定的な動機を与える女に中村玉緒と適材を適所に配したキャスティングぶりで、大映がこの作品にかける力のなみなみならぬものがうかがえる。

 この作品で一番の見世場はもちろん驟閣寺の炎上シーンである。この物語が架空のものとされているため、実在の金閣寺を使用することは出来ない。このため市川崑監督は美術担当の西岡善信と共に京都市近郊の寺院を廻り、いろいろと資料をあつめた末、驟閣寺という一つの建造物を創造することになった。映画の中で主人公がたえず絶対の美しさと憧憬を抱いているものだけに、それにふさわしいものを作ることは並大抵のことではない。国宝建築ということを言葉でなく視覚的に表現しなければならない映画の宿命を担って市川崑監督は研究の結果、二層の建物を京都嵯峨大覚寺の境内、大沢ノ池の畔に建てることになった。高さ15メートルの堂々としたもので、時代感覚を出すために工夫がされてある。しかし、この場所が風致地区であるため火事場シーンをとることは出来ず、別に同じものを桂川流域につくり、炎上シーンをとることになっている。

 撮影以来既に一ヶ月、異色文芸作品に出演している市川雷蔵はさっぱりした丸坊主の頭をさすりながら次のように語った。

 「野心作とか異色篇に出演するので大変でしょうネ、とよくいわれるのですが、ぼくとしては別に何も意識しておりません。ただ時代劇とちがって、現代劇の場合は、自分の日常生活がズバリ演技の上で現われるので、その点、いかに俳優の生活というのが大事なものか痛感しています。主人公溝口はアプレの青年でなく、平凡な何処にでもいるというタイプの青年だと思うんです。ただ、家庭が貧しく父は肺病で長く患い、母は若い男と姦通するという家で育ち、驟閣寺はこの世で最も美しいものだと信じこみ、驟閣寺にいれば、すべてが満足されると思っていたのに、そこでもまた失望を見出すだけだった、という一人の青年の悲劇だと思うんです。ぼくはこの青年になりきって、淡々とスムースにやっていければ成功だと思います。スムースにやれない限り、駄目でしょうね。時代劇の市川雷蔵が、現代劇に出演する以上、みなさんからその意義があると認めて頂けるものに出演したいと思っていたのです。この『炎上』は、何といってもぼくの特異性を訴える作品だと思うんです。まア出来るだけやってみるつもりです。俳優としてこんな作品にぶつかると何となしに力が入るものですよ。みなさんの今まで持っておられた市川雷蔵のイメージとまた違った人間としての市川雷蔵の魅力が打出されれば、ぼくが、この映画に出演した意味もあるというものでしょうネ」

 撮影は京都市内、及び近郊をはじめ、舞鶴付近にロケを敢行、七月頃に完成の予定である。(映画ファン58年9月号より)

 金閣に模して作った京都大覚寺の境内の「驟閣寺」は、さすがに大映京都が巨費を投じて作っただけに見事な出来です。

 悲劇の主人公ドモリの青年溝口にふんする雷蔵さんは、はじめての現代劇とあって、まさに体当りの熱演です。

 イガグリ頭もまた捨てがたい雷蔵さんの新しい魅力です。

(平凡別冊58年8月号より)

 

 大覚寺の境内は涼しい木立の下で、特製のお弁当をおいしそうにパクつく雷蔵さん  石の羅漢さんが見守るなかで、市川崑監督のメガホンは快調そのもの、このカットでお昼です。

現代劇に初出演 雷蔵さんの最近作(炎上)

 三島由紀夫の評判小説「金閣寺」は今度大映京都撮影所で、『炎上』という題名をもって映画化、目下クランク中である。昨年の春頃から企画されていたのだが、いよいよ、六月の初旬よりスタートの運びとなった。和田夏十、長谷部慶治の脚本で市川崑が監督に当り、キャメラは宮川一夫が担当。現代劇スターが時代劇出演という当世映画界の流行を反映してか、時代劇の市川雷蔵が初の現代劇に出演するというので話題を呼んでいる。

 主役の溝口を演る雷蔵さんは

 「市川先生の作品に出るのは勿論初めてです。先生の作品は昔から好きで、最近作『満員電車『は大変面白く観る事が出来ました。現代劇に出るからには、単なる二枚目的な役柄でなく、特異な性格を演ってみたいというのが常日頃抱いていた希望なのですが、それが実現したわけなのです」と語る。

 『新・平家物語』以来の大作とあって、そのハリキリ方も尋常ではない、続けて雷蔵さんは、

 「溝口というドモリを上手に行けるかどうか心配です。ドモリのタメに、会話のテンポが落ちるので気をつけなければと思っているのです。内攻的な人間ですけど、それだけに淡々とした味を出して行きたいですね・・・」

と、クランク前からその抱負を述べてくれる。

 物語は双円寺住職の息子として生れた溝口吾市が父の死後、臨済宗双円寺徒弟に入り、大谷大学三年の時、驟閣寺を炎上させ、それにからむ刑事事件を取扱ったものである。「この作品はあくまでも物語であって歴史の一断片ではない。したがって登場する人物及びその背景はすべて完全に架空のものである」と、いうシナリオの巻頭から、モデルとされた金閣寺はシナリオでは驟閣寺となっている。ロケは京都府下の舞鶴、宮津、間人海岸、小橋海岸、代村海岸、綱町取引浜などの風土を背景にして行われる。

 雷蔵さんはシナリオの内容について次のように語ってくれる。

 「僕の演る溝口というのは普通のどこにでもある人間です。美そのものより、愛というものがテーマになっているんです。愛を求める男なんです。求めるけれど、求められず自滅するという溝口は内攻性の男で、それだけに内面的な芝居が要求されるわけなのですが・・・」更に続けて、

 「今度は現代劇なので本当の自分がでるのではないでしょうか。いずれにしても皆さんの期待にそうよう一生懸命やってみます」

 時代劇のヒーロー市川雷蔵を始めとして、仲代達矢、舟木洋一、中村鴈治郎、中村玉緒等が出演、市川崑監督が慎重なるメガホンを握る今年度初秋に贈る野心作で、それだけにファンから寄せられた期待も大きい。(近代映画58年8月号)

『炎上』シナリオ

 三島由紀夫の代表作「金閣寺」の映画化。静かな信仰の場から、たんなる観光寺になり下がってゆく寺の、永遠の美を保つため、彼は寺を焼こうと決心する。青年の妖しくも美しい生き方を描いた問題作。

 雷蔵初めての現代劇であり、芸術的にも問題作となった。市川崑監督の演出力も油がのり切っていたといえる。雷蔵が、新しい映画俳優として、はっきり自覚を持ったのも、この作品が契機となった。昭和33年度作品ベストテン(「キネマ旬報」誌)第四位にえらばれている。参考にしるせば、この年の第一位は『楢山節考』(木下恵介)第二位『隠し砦の三悪人』(黒澤明)、第三位『彼岸花』(小津安二郎)であった。

 雷蔵の役は、金閣寺の僧侶であったから、頭髪を剃ることになり、その「断髪式」に、当時の横綱、千代の山(現、九重親方)栃錦(現、春日野親方)、若乃花(現、二子山親方)の三人が立ち会って宣伝に一役買った。永田社長が横綱会長であったから、できたことだ。

 三島氏の小説は、現実の金閣寺を設定している。まず、金閣寺当事者の了解を得なければならない。さらに無理とわかっていても、市川監督の注文で、金閣寺をロケーションに使わせてもらえないか、という交渉に二度出かけた。最初は私一人、二度目は監督も一緒だった。金閣寺の村上住職は非常に温厚な方で、私たちの申し出に大分当惑された。謹厳な村上和尚が「僧侶が化粧水を顔にぬるというようなことは」といわれた表情が忘れられない。しかし、映画化には反対されず、金閣寺という名前を使うのはやめてほしい、という条件以外はいわれなかった。従ってロケーションは不可能となったが、これは予期していたところである。

 宮川一夫さんのすばらしい黒白調で、雷蔵作品として『新・平家物語』以来の真実な作品が出来あがった。共演の仲代達也、中村玉緒も、いままでにない精彩を放った。( 「侍 市川雷蔵その人と芸」  出演作品とその解説 辻久一より )

三島由紀夫の“金閣寺”の映画化『炎上』の市川組

京都市嵯峨大覚寺境内、大沢池の岬に立てられた驟閣寺ロケ・セット前にて

坐れる人、左より千賀滝三郎(演技事務)、中井妙子(記録)、宮川一夫(撮影)、市川監督、西岡善信(美術)
加藤茂(美術助手)、西地正満(スチル)、立てる人、美間博(照明助手)、田中省三(撮影助手)、岡本健一(照明)
大角正夫(録音)、辻光明(助監督)、橋本正嗣(製作主任)、市川雷蔵、池広一夫(助監督)

 『炎上』は市川崑監督と組み、彼が初めて現代劇に取り組んだ作品だった。そして、この『炎上』は、雷蔵の人となりを知るにはいい作品である。大映の永田社長は、この企画に猛反対した。売り出し中の美男スター、彼の人気に影響がでることを危惧していたのである。が、雷蔵が強く映画化を主張したため、永田は仕方なく了承。とはいっても、予算は独立プロ並みに少なかった。

 雷蔵はこの作品に賭けた。完成後、自腹を切って京都と東京を往復し宣伝に尽力。この『炎上』の主人公は自分とダブる部分があるという。戦時中、「役者の子」といじめられ、劣等感にさいなまれた中学時代の雷蔵自身とダブるということだ。雷蔵は、この作品でブルーリボン賞とキネマ旬報の男優主演賞に輝き、ベネチア国際映画祭で最優秀演技賞までも獲得してしまう。( 「アサヒグラフ」 7/22/94号 戦後ヒーローヒロイン伝説 宮本治雄より )

 市川崑が第一級の監督として広く認められるようになるのは1958年に三島由紀夫の有名な小説「金閣寺」を『炎上』という題で映画化してからである。

 これは美に対する嫉妬という極めて抽象的な理由で国宝の金閣寺に放火した青年僧の物語である。この企画を大映から提示された市川崑は、この理解し難い心理は映像にならないと考えていったんことわったが、原作者がモデルとした実際の事件を原作者の取材ノートから再構成することによって、ひとりの劣等感の塊りのような青年による既成の権威的なものに対する復讐として平明なリアリズムで映画として描き直すことに成功した。

 吃音と貧困から劣等感に悩むみじめな青年僧を演じたのは、時代劇でもっぱら凛とした貴公子のようなヒーローを演じていたスターの市川雷蔵であり、これはスターシステムの原則を無視した異例の配役であったが、結果としてこれは彼の代表作のひとつとなった。

 そして、本来貴公子のような青年であり得る者こそが劣等感にうちひしがれていることこそ敗戦後の日本の厳しい時代精神であったと改めて認識させる力がそこにあった。これは三島由紀夫の原作に対するひとつのすぐれた解釈であったと言える。(岩波書店刊、佐藤忠男「日本映画史」2/1941〜1959より)

三島文学の客観化「炎上」

 三島由紀夫が1956年に発表した『金閣寺』は、彼の数多い小説のなかでももっとも完成度の高い作品のひとつとして知られる。この小説は1950年に実際に起った金閣寺放火事件に取材したもので、犯人は肺を病む金閣寺の学僧であったが、放火の動機が美に対する嫉妬という形而上的なものであったことが、人々を驚かせ、当時の流行語であったアプレ(戦後派)の不可解な犯罪のひとつとして印象づけられた。

 三島由紀夫は彼自身、戦後派青年の一人として、不可解な戦後派と呼ばれるものたちの内面を分析し造型し弁明するいくつかの作品を書いたが、これはその頂点にある作品であった。

 大映はこの小説の映画化を企画して市川崑を監督に起用した。市川崑はこれまで、喜劇やメロドラマをなんでも器用にこなし、特異な感覚を持った才人というのが一般的な評価であったが、そのほか日活で夏目漱石の『こころ』の映画化などにも成功しており、心理的、内面的な内容を映像化する力を会社側が期待したのは妥当な判断だった。

 しかし市川崑は最初、この仕事は無理だとことわっている。あまりに心理的な主題であり、とくに主人公が金閣寺を絶対の美とする観念は、文学では三島由紀夫一流の壮麗な美文によって作品のなかに成り立たせ得ているが、それを客観的な映像によってすべての観客が納得する具象物として見せることは不可能に近いと考えたからである。

 映画化を引き受けてからのことを、市川崑はのちにこう書いている。

−脚本の長谷部慶治君と和田夏十と私の三人は、およそ三ヶ月ばかりのあいだ悩みに悩んだ末、やっと一つの方向を見つけ出したのである。

それは裏日本という、暗い日本の風土の中で育ってきた父と子の心を、静かに語ってみようということであった。絶対なる道を追い求めて悲劇を醸成した青年の半生、ということではなく、ただ静かに、常日頃そこで見かける普通の親子の関係を描くことで、三島さんの美の世界へ入って行ってみようではないか、というのが私たちの出した結論だった−( 市川崑「『炎上』について」岩波ホール発行『映画で見る日本文学史』より )

 こうして市川崑は、主人公の青年僧に主観のなかで燦然と輝く金閣寺を描くのではなく、金閣寺をそう見る彼自身を客観的に描くことにしたのである。そこで役に立ったのは、プロデューサーの藤井浩明が三島由紀夫から借りてきたたくさんの取材ノートだった。大学ノートに二冊の取材ノートには、主人公溝口のモデルとなった実際の犯人の生い立ちや生活が詳しく調査されていた。北陸の貧しい寺の陰鬱な風土と人間関係のなかで、吃音に強い劣等感を持ちつつ、しかも戦時下に抑圧された少年期を過ごした犯人の人間像がそこから浮かび上がってきたのである。だから映画『炎上』は、小説『金閣寺』の映画化というよりも、むしろ、三島由紀夫によるその取材ノートを土台としたもうひとつの創作活動に近いものであった。

 とはいえ、ストーリー的には、映画は原作にほぼ忠実である。ただ、金閣寺側の主張で「金閣寺」という言葉は使えず、「驟閣寺」となっている。

 国宝の驟閣寺に放火した若い僧・溝口(市川雷蔵)が自殺未遂の状態で逮捕されて、京都の西陣署で取り調べを受けているところからはじまり、回想になる。

 溝口は、舞鶴の田舎の小さな貧しい寺に生まれた。小さいときから吃音で、それが彼を劣等感の強い暗い性格にしていた。太平洋戦争も敗色濃い1944年、父が肺結核で死んだあと、まだ旧制中学生だった彼は、父の親友だった驟閣寺の老師(中村雁治郎)を頼って京都にやってきて、驟閣寺の小僧になり、そこから中学に通わせてもらった。

 亡くなった父の人生はみじめなものだった。生前、この世でもっとも美しいものは驟閣寺であると口癖のように言っており、溝口もその憧憬の気持ちを受け継いでいる。驟閣寺での生活も、溝口には陰気で耐え難いものであったが、驟閣寺を観念的に美化することで耐えている。

 敗戦後、驟閣寺は観光名所になってしまう。アメリカ兵が娼婦を連れて見物にくる。案内を命じられる溝口は、驟閣寺のなかで無作法にアメリカ兵とたわむれる娼婦を引きずり下ろす。あとでそのために流産したと娼婦が寺にねじ込んでくると老師は金で解決する。そんなことから溝口は自分が誤解されていると思い、ますます孤独になる。

 大学に行くようになった溝口は、そこで、内翻足を誇示することで逆に女を征服したりするデモーニッシュな学生・戸刈(仲代達矢)を知り、彼に近づき、あらゆるものを罵倒する彼の態度に魅せられる。

 溝口の母(北林谷栄)が田舎では生活できなくなって驟閣寺の下働きに雇われてくることになるが、溝口は反対する。結核だった父がまだ生きていたころ、母が親戚の男と姦通したことを少年の溝口は目撃したことがある。そのとき、背後にいた父はそっと掌で溝口の目をおおった。そんな母を驟閣寺に住まわせることは溝口にとっては驟閣寺の美への冒涜だった。

 口論のあげく街に出た溝口は、老師が芸者と街を歩いているのに出会う。溝口は老師が信じれらなくなり、反抗的な態度をとる。老師も、溝口をこの寺の跡継ぎにはしない、と断言する。溝口は戸刈から金を借りて旅に出、故郷の荒海の岬にたたずみ、死んだ父の思い出にふけったりするが、挙動不審で警察に保護され連れ戻される。老師の態度は冷たい。もう溝口は大学にも行かない。戸刈と美人の華の師匠(新珠三千代)の愛憎を見たり、五番町の廓に行ってみたりするが絶望はいやされない。彼に残されたことはただひとつ、彼が絶対の美だと信じる驟閣寺を、ほかのだれにも汚させず、自分一人のものにしてしまうために放火することだけである。夜空に燃え上がる驟閣寺の炎に溝口は恍惚とする。

 溝口を演じた市川雷蔵は時代劇の美男スターとして売り出し中だった。だから会社から、劣等感にいじけた、みじめな犯罪者というような役は営業政策上、困ると強く反対された。しかし、市川崑監督は雷蔵に固執し、撮影を一年のばして待った。雷蔵はその期待に応じてこれをじつに周到に演じ、スターとしてだけでなく演技者としても確固たる地位を打ち立てた。

 この市川雷蔵の演技について、南博が「雷蔵がすばらしくよい。自分で自分を理解できないでいる青年のもどかしさが、半分あけた口もとの表情で鮮やかに出ている」(「キネマ旬報」)と書いているのは、たんに演技の批評として適切であるばかりでなく、この作品における原作と映画化の基本的な方法の違いを理解するうえに鋭い示唆を与えるものである。なぜなら、原作からは、雷蔵が演じたような、半分口もとを開けた、つまり、いつも何か、自分のことをもどかしげに、だれかに問いかけようと焦っているような人物として主人公の溝口を想像することは難しいからである。

 原作の溝口は、劣等感の塊であればあるほど、逆に内心は自尊心ではちきれんばかりの青年だからである。原作は溝口の一人称で書かれており、彼の言葉の吃音自体はほんのわずかしか文章として再現されていない。そのかわり、彼が口には出さないが心の中で語ったことが、発音された言葉と反比例して、異例の雄弁さで書かれている。三島由紀夫自身の雄弁がそこに乗り移っている。つまり活字の上での溝口は日本有数の言葉の使い手であり、闊達流麗なおしゃべりなのである。

 しかし、市川崑は、その雄弁をナレーションなどで利用することは避けている。その結果、映画の溝口は、思っていることの何分の一も言えないひどい吃音の気の毒な青年である。美男の市川雷蔵が、あえて、いつも半分口を開けたような、いささかみっともない哀れな表情でこれを演じており、言いたいことが言えないもどかしさを痛切に感じさせる。

 美は金閣寺の建物それ自体ではなく、この、生きることに深く傷ついている青年を取り巻く環境全体の暗い沈鬱なたたずまいとしてとらえられている。古都と伝統建築の静かなたたずまいのなかで、主人公一人だけが、なぜ自分はこの落ち着いた環境に調和できないのかといらだっているのである。その対比によって、どちらもいっそうきわだって感じられる。この古都と伝統建築の落ち着きはらった暗さを表現した宮川一夫のカメラも絶品であった。市川崑は、前に引用した文章の後のほうでつぎのように作品について書いている。

−私はそれまで、自分の作品にはどちらかといえば溺れ込む質ではなかったかと思う。題材がよければ溺れ込むし、主人公が面白ければやはり溺れ込む。そのために映画としての深さが足りないのではないかと考えていたが、この『炎上』を作ることによって、如何に映画を客観的に撮ることができるか、こんなに悲しい話を、それは何でもないことなんだという具合にとって、その答は観客に出して貰おうということを初めて試みた。スクリーンに演じられているものが、実は何気なく世の中に存在しているのだということを、何気なく提示してみたかったのである。−

(学陽書房刊 佐藤忠男「日本映画の巨匠たち」Uより)

                                  『炎上』                       南 博 

 青春映画といわれるものは、今までにたくさん作られたし、すぐれた作品もいくつかある。しかしこの『炎上』は、青春の美と悲しみを深く追求している点で、日本映画史にユニークな貢献をした作品といえよう。ひとりの青年が、幼い日から絶対としてきた美の権威を否定することで、自己を解放し、自我を確立しようとして破れる心理過程が、説明的にではなく視覚的に表現されている。それは緻密なシナリオと手堅い演出と、見事なカメラ・ワークによる視覚化である。

 この作品では市川崑の才気が抑制されて、密度が濃くなっている。青春という奇怪な状況を描くに、奇怪な手段を弄すれば、グロテスクになってしまう。しごく当り前の手法で当れば、かえって青春の暗い歪みを、そのままあらわにできるのである。

 雷蔵がすばらしくよい。自分で自分を理解できないでいる青年のもどかしさが、半分あけた口もとの表情で、鮮かに出ている。鴈治郎は、持味のよさは分るがもうひとつ性格の複雑さを表現し切れず印象が弱い。仲代は、今のところなんの役をやっても、同じ型の危険をやはり脱していない。自分で努力することはもちろん、強力な演出家の手で、それをもっと崩してもらう必要がある。

 新しい青春の意味を、映画の世界にもたらしたひとつの記念として残る作品。

興行価値:話題作の映画化だけに、題名は充分浸透しているが、内容の暗さが興行的には難。興行は慎重に。(キネマ旬報58年11月上旬号より)

  

文学周遊

三島由紀夫「金閣寺」

 1950年7月2日未明、鹿苑寺金閣は一人の青年僧の放火によって焼失した。本山である相国寺の江上泰山宗務総長(70)は、事件を知る数少ない生き証人だ。当時、十四歳。鹿苑寺の徒弟で、前日故郷の若狭から帰ったばかりだった。

 「当時は雨でした。深夜三時ころ、廊下をドタドタと走る音で目が覚めた。表に出るともう金閣全体が火に包まれていて、雨音と金閣が燃えるゴォーという音が迫ってきた。まもなく近くの木に火が移ったかシャシャシャーという音もし始めた」

風はなく真っすぐに火柱があがる。懸命の消火活動が続く中、三層部分が崩れ落ちた。

 「暗闇に百メートル近く上がる炎。それが火の粉をまき散らして落ちてくる。あの情景は五十年以上たった今も目に焼き付いている」

金閣の空は金砂子を撒いたようである

 この事件をもとに三島由紀夫が書き上げたのが「金閣寺」。吃音の青年僧の美への偏執と、友人や師匠との葛藤が「私」という一人称で語られていく。だが、これはあくまでフィクション。江上宗務は「小説を本当のことと思って質問する人がいて・・・」と困惑気味に語る。水上勉が事件の三十年後に著した「金閣炎上」は、入念な取材をもとに事実をかなり正確になぞっている。読み比べると興味深い。

 「承賢(青年僧)は寡黙な人でした。二十一歳という多感な年ごろに何を考えていたのか。事件後さまざまな事が言われたが、真実は本人にしかわからない」(江上宗務総長)。逮捕され二十七歳で結核で亡くなる前に、師匠に謝罪の手紙が何通も届いていたという。

 雨上がりの金閣を訪ねた。木々の緑に囲まれて、焼失五年後に再建された金閣が鏡湖池のほとりに端然と建つ。八十七年に張り替えられた金ぱくがまぶしい。年間観光客百五十万人。事務局の山岡茂さん(58)によれば最近は韓国、台湾、中国から訪れる団体客や学生が増えている。

 門を出て振り返ると左大文字山の赤茶けた山肌が見えた。犯人が放火した後に逃げた場所だ。「私は煙草を喫んだ(略)生きようと私は思った」。三島は主人公にこう語らせる。だが実際の犯人は自殺を図り失敗した。炎上をどんな思いでみつめていたのだろう。(編集委員 岩田三代 日本経済新聞07/02/06より)

 みしま・ゆきお(1925-70)東京生まれ。47年に東京大学法科を卒業して大蔵省に勤務するが、在学中から文壇の注目を浴び、48年には退職して作家として歩み始める。

 「金閣寺」は五十六年の作品で、読売文学賞を受賞。事件に想をとりながらも、作家としての才能をいかんなく発揮した名作。文芸批評家の中村光夫は-「金閣寺」について-(60年)で「三十歳であった三島由紀夫のすべてがある」と書いている。映画化もされた。三島にはこうした作品群があり、「青の時代」(50年)は東大生が高利金融会社を経営し、倒産後に服毒自殺した光クラブ事件をモデルにしている。70年、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。(作品の引用は新潮文庫)

 

 三島由紀夫氏のベストセラー「金閣寺」をもとにした『炎上』で市川雷蔵さんが現代劇に初出演。 頭をくりくり坊主にじて、ドモリの役にとりくんでいます。競演は大映初出演の仲代達矢さん、浦路洋子さん。写真は新婚旅行の途上で、撮影所のセットを訪れた三島由紀夫氏夫妻と語る市川雷蔵さんたち。(平凡58年8月号より)

 19701125日に45歳で割腹自殺した三島由紀夫の作品を原作とした映画は25本ある。51年の大庭秀雄監督『純白の夜』に始まり80年の斎藤耕一監督『幸福号出帆』まで。この中には三島自身が監督した『憂国』もあり、『潮騒』は3回、『黒蜥蜴』は2回映画化され『炎上』の原作「金閣寺」は76年に高林陽一が原題のまま映画化した。しかしこの中で最も世評の高いのは『炎上』で、三島もこれを最も高く評価していた。原作を最初に読んだとき市川崑は「ちょっと手に負えないと思った。しかし、手に負えないものを何とかやろうとするのが人情」と、あえて映画化に踏み切ったと言い、さらに自信を深めさせたのはプロデューサーの藤井浩明が三島から借りて来た小説のための取材ノートであったと言う。しかしシナリオの執筆には1年半もかかった。難事だったのである。

 『炎上』で驟閣寺の名称で扱われた金閣寺は室町初期、足利義満が京都の北山に造営した三層の舎利殿で金閣と言われ、義満の死後、相国寺派の禅寺となり鹿苑寺と名づけられ金閣寺は通称である。全焼したのは1950年7月2日、55年に復元された。三島由紀夫の小説「金閣寺」は「新潮」56年1月号〜10月号に連載。第8回読売文学賞を受賞した。(キネマ旬報「日本映画ベスト200昭和57年5月30日発行より)

 映画『炎上』の原作「金閣寺」は1956年(昭和31)10月新潮社より刊行された。その小説化にあたり、三島は丹念な取材をし、その成果を取材ノートの形で残している。映画化にあたり、脚本の和田はそのノートに着目し、日本海側の寒村で育った溝口の心象風景まで描き、何故国宝に放火したのか、放火せざるをえなかったに一つの答えを出したと思う。

 新潮文庫で読める。

 

      

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