薔薇大名

1960年12月17日(水)公開/1時間8分大映京都/白黒・シネマスコープ

併映:「侠客春雨傘」(渡辺邦男/長谷川一夫・近藤美恵子)

製作 武田一義
企画 奥田久司
監督 池広一夫
原作 陣出達朗(「大衆小説所載」)
脚本 淀川新八
撮影 本田平三
美術 西岡義信
録音 鈴木暉夫
照明 美間博
音楽 塚原哲夫
助監督 友枝稔議
スチール 浅田延之助
出演 小林勝彦(月太郎・小笠原左馬之助)、浦路洋子(お小夜)、宮川和子(お京)、三田登喜子(しのぶ)、島田竜三(石田小十郎)、丸凡太(剣呑の半助)、高倉一郎(大倉源四郎)、本郷秀雄(雲竜斎)、市川謹也(坂巻主水)、水原浩一(鬼塚三郎兵衛)、南部彰三(牧野甲庵)
惹句

『奥方のやわ肌にハタと困った身代り大名混線の中に、正邪乱斗の剣風が渦巻く』『あっしは大名 拙者は奇術師 すり変って剣陣突破 からみもつれて痛快無頼

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◆ 解 説 ◆

 陣出達朗の原作を、淀川新八が脚色し、新人第一回の池広一夫が監督した明朗時代劇。池広監督は昭和四年生れ、立大卒後、昭和二十五年大映京都に入社、市川崑、森一生、斎藤寅次郎等の監督に師事した。撮影は『競艶八剣伝』の本田平三。(キネマ旬報No.274 60年12月下旬号より)

 池広一夫の監督デビュー作に、雷蔵がいなせな町人役で特別出演し華を添える。奇術師・月太郎と若殿の二役を、小林勝彦が鮮やかに演じきる。共演に浦路洋子、宮川和子、三田登喜子ら豪華女優陣が勢揃いする。

 「人違いだ!」の弁明も有無を言わさず藩内の陰謀に巻き込まれ、若殿の身代わりにされた月太郎、彼を追う恋人のお小夜、一目ぼれの女スリ、陰謀派等入り乱れての痛快無比!月太郎は得意の奇術でこのピンチを乗り切れるか?(ビデオ解説より)

雷蔵さんが『薔薇大名』に友情出演!

 この作品『薔薇大名』は、監督昇進の池広一夫新監督の第一作である。

 ところがこのほど、この作品に意外な追加キャストが決定した。その人の名は“市川雷蔵”。新人監督と第一線スターの取り合わせには、意外な向きもあろうが、池広新監督の長い助監督時代に一番親しかったのがこの雷蔵さん。数年前まで模索状態だった雷蔵さんが、初めて演技的な自覚を得たのが、二年前の『炎上』。この市川崑作品の助監督を勤めていたのが、池広新監督。雷蔵さんより二つ年上だが、持前の明るさとスポーツマンらしいざっくばらんの調子で、スターに対しては、他の人があまり言わぬズバリと核心をついた意見で雷蔵さんにヒントを与えていた。

 雷蔵さんは、このことを大いに徳とし、以後は、大変親密に付き合い、しばしば議論を斗かわしていたが、彼の芸術論など大いに共鳴していた。雷蔵さんは、池広組の撮影が開始するや、出演中の『忠直卿行状記』のひまを見つけては、親友の采配如何と池広組のセットをのぞきに行っていた。丁度セットにやって来た雷蔵さん、池広監督とライティング待ちの一とき談笑。

 小林「雷蔵さんが、毎日見に来られるので、やりにくくって仕様がない。例の毒舌を食うのではないかとヒヤヒヤです。でも僕も京都市民映画祭えこの間。新人賞を頂いたところだから、大いにがんばらなくちゃ」

 雷蔵「いや、小林君は、なかなか立派だよ。僕もワンシーン出ることになったが、実に愉快な役だネ。小林君と浦路君のラブシーンをけしかけたりして、僕としては池チャン(池広監督のこと)が順調なスタートを切ってくれることを願っているんだよ」

 池広監督「勿論、第一作ですから、雷チャンの好意を無にしないよう助監督時代に勉強したすべてを投げ込んで、アッと云わせる作品にしたいと思っています」

 雷蔵のこうした友達思いは有名なもので、こうした友情出演は今までに二度程ありました。田中徳三監督第一回作『化け猫御用だ』で火の番の夜廻。井上昭監督『ゆうれい小判』でのカゴカキの役でした。今度は又、違った感じの役ですから御期待ください。尚、この『薔薇大名』は十二月七日に封切られます。

(よ志哉20号より)

  製作意図:大名の若君と瓜二つの曲芸師が、身替りとなって、御家騒動の解決に乗り出す、明朗時代劇を製作したい。

◆ 略 筋 ◆

 浅草の奇術師雲竜斎一座の人気者月太郎はある夜、数名の武士に捕われ棚倉藩の上屋敷に連れ込まれた。実は、棚倉藩では城主小笠原佐渡守が、跡目を狙う家老大倉伝左衛門のために毒薬を盛られ肉体は徐々に衰弱を加えていた。しかも若殿左馬之介は江戸へ出たまま消息を絶ったのである。大倉一派はこれを好機に、左馬之介の異母弟松千代を擁立して実権を握らんとしていた。国家老石田帯刀はこれを憂い一子小十郎を江戸に遺し必死に若君探索を進めていた。−その手に若君と瓜二つの月太郎が捕かまったのである。

 しかし小十郎は若君の左腕にバラの花のアザがあるが月太郎には無いのを知って失望したが、一刻を争う場合なので月太郎を若君として国表に送りこむことにした。事情を聞いて月太郎は身代りを承知、同じ一座にいる恋人お小夜には「しばらく奥州棚倉に行く」と告げた。お小夜は不安の余り雲竜斎を説き伏せて奥州へ巡業の旅に出ることにした。

 棚倉に到着した月太郎はすべて小十郎の指図に従い、大殿との対面、家老以下の謁見などボロをださずに切り抜けた。しかし左馬之助の新妻しのぶには事の真相を語った。ところがその模様を盗み聞いた伝左衛門は、跡目相続決定の席上でそれを暴かんとした。

 一方、左馬之介は父の衰弱を毒薬であるとにらみ江戸の薬屋や名医を訪ね廻っていたが、たまたま路上で大倉一味の殺し屋に発見され大川に斬り落されてしまった。それを助けたのがお小夜である。お小夜は奥州に行ったとばかり思った月太郎が江戸にいるので驚いた。左馬之助はお夜の口から月太郎が自分の代りに国表に向かったことを知り雲竜斎一座とともに奥州へ−

 −やがて跡目相続の当日、伝左衛門は若君は偽者であると呼ばわりその証拠のアザを見せよと迫った。その時、小十郎と連絡が取れた左馬之介が現われ大倉一味の悪計を暴き、小十郎、月太郎の協力を得て大倉一味を倒した。 (キネマ旬報No.274 60年12月下旬号より)

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陣出 達朗じんで たつろう)1907(明治40)年2月14日−1986(昭和61)年4月19日

 小説家。石川県小松市生まれ、本名は中村達男(たつお)、金沢中学卒。京都日活撮影所に入社し、脚本を書くかたわら小説を執筆。1933(昭和8)年に第十二回サンデー毎日 大衆文芸賞を「さいころの政」で受賞。後、脚本家から時代小説家に転じ「山彦呪文」(昭和14年)などを発表。

 戦後、捕物作家クラブを結成、会員らと「京都新聞」に「黒門町伝七捕物帳」を連載。「遠山の金さん」シリーズと並んで、主に執筆した陣出の代表作となる。随説(陣出の造語)「夏扇冬炉」(昭和49年、日本作家クラブ賞)、伝奇小説「飛竜無双」(昭和24年)などの作品もある。

 1926(大正15)年は、同人に直木賞の由来の人物である直木三十五(1891-1934)らがいた同人誌「大衆文芸」が創刊され、続いて「キング」「オール読物」といった大衆雑誌が相次いで創刊された年であり、その後昭和に入ると、大衆小説、エンターテイメント小説が大衆に認められ、娯楽時代小説が大衆の読み物として定着していった。そうした娯楽時代小説の書き手として陣出は登場したのである。

 その作法は、昔から庶民の愛好する水戸黄門的正義派の物語作法であり、大衆読者の好みをよく知悉した老錬な娯楽小説作りと云え、その面白さといい、物語の展開ぶりといい、ちょうど時代劇華やかなりし頃の東映時代劇映画をみているような気持ちをいだかせられる。

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