安珍と清姫

1960年8月9日(火)公開/1時間25分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「夜は嘘つき」(田中重雄/山本富士子・船越英ニ)

製作 永田雅一
企画 浅井昭三郎
監督 島耕二
脚本 小国英雄
撮影 小原譲治
美術 西岡善信
照明 久保田行一
録音 海原幸夫
音楽 大森盛太郎
助監督 天野信
スチール 藤岡輝夫
出演 若尾文子(清姫)、浦路洋子(桜姫)、片山明彦(友綱)、毛利郁子(早苗)、毛利菊枝(渚)、見明凡太郎(清継)、小堀阿吉雄(道覚)、荒木忍(増全)、南部彰三(義円)、花布辰男(佐助)、小松みどり(女陰陽師)、
惹句 『あはれ、一筋の恋に薄倖の生涯を燃やす狂乱の清姫』『この身果つるとも、魂は恋の化身となって、愛しき胸に・・・美しい幻想と、熱い涙の中に描く一大悲恋絵巻』『たとえこの身は朽ちるとも恋ゆえ悔いぬ女ごころその激しさ切なさが全女性の涙をさそう』『幻の如く、絵の如く、目もあやに恋の激しさを演じて、雷蔵、若尾、全女性の魂をゆさぶる悲恋物語』『清姫は泣いた泣いて白い肌が日高川の波間に安珍を追った

 

 紀州道成寺にまつわる伝説は、浄瑠璃に、歌舞伎にと劇化されて来たが、これはその映画化。ストーリーは、いまさらいうまでもなく、紀州道成寺への参籠に出かけた修行僧・安珍が、真砂の里で勝気な清姫に出会ったことから、その激しい愛情に大きく運命を狂わす −という哀切甘美のムードを持ったもの。この安珍に扮するのが大映時代劇ナンバー・ワン、市川雷蔵。頭を青々と剃りあげて演技に対する意欲を見せれば、清姫には最近進境いちじるしい若尾文子が扮して、激しい愛の燃えあがりを演じている。このメガホンを握るのがベテランの島耕二監督。 −日高川に身を投じた清姫の体が恐ろしげな大蛇と化すなど、豪華なセットを生かし、大映の誇るカラー技術に物をいわせた夢幻的世界の展開がたのしみである。( キネマ旬報より ) 

■ 解説 ■

☆「安珍と清姫」は大映スコープ・総天然色で描く、哀切甘美の悲恋物語であります。

☆紀州道成寺にまつわる伝説を、市川雷蔵・若尾文子の魅力コンビで、愛情の美しさ、激しさを謳いあげることになっています。

☆演出には島耕二監督、撮影には小原譲治キャメラマンの現代劇コンビが起用され、全体的に美しいロマンチックな雰囲気をもりあげ、全国女性ファンの紅涙をしぼりとろうとしております。

☆スタッフは製作永田雅一、企画は浅井昭三郎、脚本は小国英雄、監督は島耕二、撮影は小原譲治、美術は西岡善信、音楽は大森盛太郎、録音は海原幸夫、照明は久保田行一、編集は西田重雄、色彩技術は本間成幹というベテランが構成され、島監督を中心に意欲的な試みをしようと張切っております。

☆キャストは安珍の市川雷蔵、清姫の若尾文子の絶対コンビに、左大臣藤原忠平の息女桜姫に浦路洋子、関屋の長者友綱に片山明彦、清姫の父清継に見明凡太郎、安珍の友人道覚に小堀阿吉雄、清継の下僕佐助に花布辰男、次女早苗に毛利郁子、乳母渚に毛利菊枝と、ベテランが適材適所に起用され、作品の厚みを出しております。

☆紀州道成寺への参籠に出かけた修行僧安珍が、真砂の里で勝気な清姫に出会ったことから、その激しい愛情に大きく運命を狂わすという悲恋物語を、哀切甘美なムードでもりあげるのが狙いであります。

☆異色ある素材に、主演者雷蔵は頭を青々と剃りあげ意欲のほどをみせていますし、共演者若尾文子も愛情の美しさ、激しさを演技力で表現しようと張切っており、この二大スタアの体当り的演技がこの作品の見どころであります。( 公開当時のプレスシートより )

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雷蔵さん再び坊主になる

 

 安珍と清姫の撮影に先き立ち6月23日島耕二監督、若尾文子さんスタッフ一同の出席の上で断髪式が行われました。

 目下撮影中のこの作品、きっとすばらしいものになるでしょう。乞う御期待!

★甘い美しさをだしたい★

対談:市川雷蔵・若尾文子

 大映京都で作製されている「安珍と清姫」は、ロマン派の監督で有名な島耕二氏がメガホンと、市川雷蔵さん若尾文子さんのコンビで快調なクランクをみせています。きょうは、この主演をやるお二人に、お仕事のこと、また私生活のことについて色々と語り合っていただきました。

 この「安珍と清姫」は、日高川伝説を映画化したもので、幻想シーンがふんだんに取り入れられていますが、その中でも、清姫が蛇身となって昇天するシーンは、作品中の最大の見せ場とされています。この作品に入る前、京都に約半月も滞在していた若尾文子さんですが、

若尾 あたし、今度ほど休日が永く続いたことはありませんでした。おかげさまで・・・・

雷蔵 何していたの、そんなに?京都にいても退屈でしょうがなかっただろう・・・・

若尾 ええ、だから、ばりばり本を読みあさりました。

雷蔵 そんなに暇があったら、僕の家へ遊びに来ればよかったのに退屈しのぎに・・・・

若尾 でも雷蔵さんは毎日忙しかったんでしょう?女の子が一人でヅウヅウしく行けないわ

雷蔵 そうそう、純情なおしとやかなお嬢さまですからね(笑)

若尾 失礼しちゃうわ・・・・(笑)

傍で聴いていると、ちょっとした漫才コンビ?です。しかしこのように意気ぴったりの二人だけに、作品の上でも意気が合いスムースにいくのではないでしょうか。

若尾さんは自分の役柄について、

「役柄としては、出来るだけ現代劇調に演りたいと思っていますが、あまり現代的に傾いてしまうと、古典的な衣裳や背景とバランスがとれなくなってしまうし、古さと新しさのバランスをウマく取るように心がけていますし、苦労しました」と語っていますし、

雷蔵さんは、

「この作品に限って、というようなことはありませんが、とくに作品にというならば、ロマンチックに幻想的な雰囲気をかもし出したいし、そのことに努力していますね」と語ります。

 雷蔵さんはこの作品が自分の代表作だとは言えないし、勝負するとも言えない。何故なら、俳優として一本一本の作品が代表であり、一本一本の作品で勝負するのが映画俳優だからだ、ともつけ加えます。

若尾 頭を刈っちゃって、ウエが軽くなったんじゃない?

雷蔵 別に感じないね。かえってさっぱりして良い気持ちだよ。

若尾 でもいいわ・・・・

雷蔵 何が・・・・?

若尾 この暑いセットでヅラつけていると頭がむされるように暑いでしょう。雷蔵さんはそれがないもの。

雷蔵 ところが違うね。外へ出たらたまらないぜ。お天道さまがぼくの頭ばかり照らしているみたいに、暑いから・・・・。これがロケでもやったら、一日中照らさられっぱなしだろう。日射病になっちゃうわ・・・・。

と頭をなでる。

 若尾さん扮する清姫は、じゃじゃ馬な姫で、大の男を連れて猟に出かけるといった、勝気な娘です。

「坊主なんてなんだいってな気持ちで、安珍に迫って行くわけよ。そしてついには安珍をとりこにしてしまう。どんなに偉いことを言ったって坊主だって人間じゃないか。しかし、その時は、安珍を忘れられないようになっている清姫だったわけよ・・・・」

と、若尾さんは、安珍こと雷蔵さんのからみをこう語ってくれます。

雷蔵 ぼくはね。この作品の中で一つ、非常に楽しみにしている所があるんだ・・・・。

若尾 どこのこと?

雷蔵 あなたと一緒に、仲良く岩風呂にはいるところ。(笑)

若尾 あーらいやだ。(笑)そんなのないわ。そこは吹きかえでやるのよ・・・・(笑)

雷蔵 いやいや、あそこを吹きかえしてはだめなんだ。濃艶きわまりないラブシーンだから、本当にやらなきゃ。

若尾 だって、あたしはいやですわ。

雷蔵 監督さんに頼んで、是非やらせて貰うよ・・・・(大笑)

若尾 あたしは絶対反対!

雷蔵 なにしろ、これが芝居なんだからしょうがない・・・・(大笑)勿論、それがのぞき趣味のいやらしさにならず、上品かつウブな、清潔な雰囲気にしなければいけませんけれどネ。

 さて、そのシーンどちらに勝負がつくかは後日のことにして、それにしても、お二人の意気ごみは、一つのシーンについてもなごやかな意見が交され、甘く美しい雰囲気の中で撮影が続けられているのです。

 

■ 略筋 ■

 清姫は紀州真砂の里の庄司清継の娘である。関屋の長者友綱は清姫に縁組みを申出ていたが、彼女は見向きもしなかった。一日、狩に出た清姫は手許狂い、旅の僧安珍を傷つけた。清姫は介抱した。清姫はおのれの美貌に目もくれず避けるようにする安珍にいらただしさを感じた。

 火祭りの夜、傷もいえた安珍は雑踏をさまよう。その後を清姫がつけていた。やがて、安珍は山間の出湯に傷口をひたし、経文を唱えた。と、裸身の清姫が近づいてきたのだ。彼女は恋心を訴える。安珍は苦悶した。とみると、清姫は狂気のごとく哄笑し、湯気の中に姿を消した。 −

 安珍は道成寺修行にはげんだ。彼の心をもてあそんだ清姫は後悔にさいなまれていた。友綱が、真砂の里へ水を引くことを条件に、縁組みを強引に清継へ迫った。里の庄司として清継の弱点をついたのだ。安珍の消息を聞いた清姫はじっとしていられなかった。瀑布で無心に経文を誦する安珍にしがみついた。過ちを詫びた。抱擁する二人の背後には虹が美しい弧を描いていた。

−清姫は友綱との縁組みを承諾したという清継の言葉を冷たくはねかえした。安珍は真砂の里近くに来ていた。しかし、村のため清姫に会わないでほしいという庄司の館の下僕の言葉に、安珍はやむなく道成寺へひき返した。清継は、友綱への申開きのため自らの命を絶つ決心をした。苦しい息の下から、安珍と添いとげるように清姫に言い残して死んだ。

 下僕から安珍のことを聞いた彼女は、安珍の身を追った。清姫の姿を見た安珍は、一瞬ためらったが逃げるように駈け出した。日高川の船着場にたどりついた安珍は、船頭をせきたて、舟を漕がせた。清姫がやって来たときには、舟はない。清姫は日高川に身を投げた。本堂で倒れていた安珍は夢を見た。清姫の体が大蛇と化し、梵鐘の中に身をかくしたおのが身をその炎で焼きつくすという夢を。安珍は清姫の亡骸を見つけた。( キネマ旬報より )

 

 道成寺境内

 和歌山県日高郡日高川町にある天台宗の寺院。新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所である。道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫伝記」)や、能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として名高い、「安珍・清姫伝説」で知られる。この伝説は、平安中期に編纂された「大日本国法華験記」にすでに見える古い話である。拝観の際には縁起堂で「安珍清姫」の絵巻物を見せながらの絵解き説法が行われる。

 

 道成寺絵とき本(道成寺護持会)

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 安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)は紀州に伝わる伝説で、思いを寄せた僧・安珍に裏切られた少女・清姫が激怒のあまり蛇身に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。説話としてもとしても古く平安時代の「大日本法華験記」(「法華験記」)、「今昔物語」に現れる。さらに古くは「古事記」の本牟智和気王説話に出雲の肥河における蛇女との婚礼の話がある。

 内容については伝承によって相違があり、よく知られているものは次のようである。

安珍・清姫のなれそめ 

 時は醍醐天皇の御代、延長6(928)年夏の頃である。奥州白河より熊野に参詣に来た僧がいた。この僧(安珍)は大変な美形であった。紀伊国牟婁郡真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙って、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。

延長六年(929)、奥州から熊野詣に来た修行僧・安珍は、
真砂庄司の娘・清姫に一目惚れされた。
清姫の情熱を断りきれない安珍は、
熊野からの帰りに再び立ち寄ることを約束した。
約束の日に安珍は来ない。
清姫は旅人の目もかまわず安珍を追い求める。
「そこなる女房の気しき御覧候へ」
「誠にもあなあな恐ろしの気色や」

清姫の怒り

 騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、道成寺までの道の途中(上野の里)で追い付く。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする始末である。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。

やっと安珍に追いついたものの、
人違いと言われて清姫は激怒。
「おのれはどこどこ迄やるまじきものを」
安珍は「南無金剛童子、助け給え」と祈る。
怒りで目がくらんだ清姫、安珍を見失い更に逆上。
清姫の怒りと悲哀
「先世にいかなる悪業を作て今生にかかる縁に報らん。
南無観世音、此世も後の世もたすけ給へ」

 

安珍の最期

 日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んでもこれでは無意味であった。よんどころなく、梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。

日高川に到った安珍は船で渡るが、
船頭は清姫を渡そうとしない。
遂に一念の毒蛇となって川を渡る。
この場面から文楽の「日高川入相花王」ができた。
舞台もいよいよ道成寺へ。
道成寺に逃げ込んだ安珍をかくまう僧。
「その鐘を御堂の内に入れよ、戸を立つべし」
女難の珍客に同情しない僧も。
「ひきかづきて過ちすな」「ただ置け、これほどのものを」
「この蛇、跡を尋ねて当寺に追い到り・・・
鐘を巻いて龍頭をくわえ尾をもて叩く。
さて三時余り火炎燃え上がり、人近付くべき様なし。」
クライマックス「鐘巻」の場面。

成仏

 蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。

安珍が焼死、清姫が入水自殺した後、
住持は二人が蛇道に転生した夢を見た。
法華経供養を営むと、二人が天人の姿で現れ、
熊野権現と観音菩薩の化身だった事を明かす。

 

後日談

 安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14(1359)年の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制の鐘供養をしたところ、一人の白拍子(実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上、付近に災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられた

 さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来攻めが行われた際、秀吉の家臣・仙石権兵衛が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用い、そのまま京都へ鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くため、顕本法華宗の総本山である妙満寺に鐘を納めた。鳥山石燕の妖怪画集「今昔百鬼拾遺」にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。(wikipedia)

 

詳細は、シリーズ映画、その他のシリーズ『歌舞伎の世界』参照

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