1962年12月1日(土)公開/1時間45分大映京都/白黒シネマスコープ

併映:「風神雷神」(村山三男/本郷功次郎・藤巻潤)

製作 永田雅一
企画 伊藤武郎・土井逸雄
監督 山本薩夫
原作 村山知義 「忍びの者」(理論社版)
脚本 高岩肇
撮影 竹村康和
美術 内藤昭
照明 加藤博也
録音 奥村雅弘
音楽 渡辺宙明
助監督 西沢鋭治
スチール 藤岡輝夫
出演 藤村志保(マキ)、伊藤雄之助(百地三太夫・藤林長門守)、岸田今日子(イノネ)、真城千都世(タモ)、藤原礼子(ハタ)、小林勝彦(織田信雄)、浦路洋子(ヒノナ)、城健三朗=若山富三郎(織田信長)、西村晃(下拓殖の木猿)、中村豊(投げの与八)、丹羽又三郎(木下藤吉郎)、加藤嘉(葉蔵)、千葉敏郎(九度兵衛)
受賞 第17回毎日映画コンクール女優助演賞(岸田今日子)/第13回ブルー・リボン賞男優助演賞(伊藤雄之助)
惹句 『宙を飛び、水中に消え、風のように襲う忍者の死闘を描いて千変万化の興趣と迫力』『顔の下からもう一つの顔があらわれる忍びの術に命をかけて戦乱の野を走る忍者の死斗』『比類なき残酷あくなき復讐わが妻を奪わせ、わが命を狙わせる忍者の戦い

 8シリーズ作品の第一回。荒唐無稽な忍術使いではないリアルな“忍者”を描いて、“忍者ブーム”のはしりとなった記念碑的作品。山本薩夫監督「忍術はもともと兵法の一つとして認められていたもの。虚術、つまり相手の虚をつく術ともいったそうです。忍術は決してデタラメなものではなく、初歩的ながら一応科学的だったのです。出来るだけ当時に忠実なものを使い、リアルなテクニックでやります。」

■ 解 説 ■

 この作品は市川雷蔵が上半期の『破戒』にひきつづいてその意欲を傾ける野新作です。内容は“白色テロ”“人心かく乱”“諜報活動”などの現代的な問題を、非人間性に徹した忍者という異様な存在を通してあます所なく描破した村山知義の原作を高岩肇が脚色したものです。多くの人材が輩出し、また技術的にも飛躍的な発展を遂げた忍者の最盛期、戦国時代を舞台に、安土城を築き天下を掌握して得意絶頂の織田信長に対抗する伊賀忍者の群れ、また、虚々実々、お互いの勢力拡張にしのぎを削る忍者同士の惨忍、酷薄な斗争などが、百地三太夫、石川五右衛門という師弟の縁につながる二人の血で血を争う斗いを中心に雄大なスケールで描かれます。

 メガホンを取るのは社会派の第一人者山本薩夫監督です。独立プロを拠点に、数々の問題作、良心作を発表し続けて来たこの名匠が、“大映”という新しい水の中でどのような仕事ぶりを見せるか、また、市川雷蔵という独特のキャラクターを持つ演技者と組んで、どのような魅力篇を生み出すか異色の題材も伴って大いに注目を集める期待の一作です。

 九字を切ればパッと姿が消え、また、火遁、水遁の術を鮮やかに用いて大活躍するスーパーマンとして、忍術使いは、従来、娯楽映画の好材料になって来ましたが、この作品は、そうした作品とは百八十度観点を変え、初めて忍者を真っ向から取り上げてその活躍をリアルな立場から描いていこうというものです。それだけに、術のあれこれも、従来の荒唐無稽なものから離れ、当時としては最高の科学性の裏付けを持つ兵法として描くわけで、そのテクニックは綿密な考証や現存の忍術名人を招いて研究を重ねたものだけに、従来の作品に例を見ないリアルで新機軸のものが複雑な仕掛けを持つセットと共に次々と画面に登場します。

 キャストは市川雷蔵が石川五右衛門に扮する他、伊藤雄之助が百地三太夫よ藤林長門守の二役をこなし、また女優陣には、藤村志保、岸田今日子、浦路洋子、藤原礼子、真城千都世、男優陣には、城健三朗、小林勝彦、丹羽又三郎、中村豊、高見国一、加藤嘉、西村晃、千葉敏郎、沢村宗之助、水原浩一、伊達三郎と多彩なメンバーが顔をそろえています。

 スタッフは、山本薩夫監督を支えて、撮影竹村康和、録音奥村雅弘、美術内藤昭、照明加藤博也らの精鋭が、がっちりスクラムを組んでいます。(Press Sheet No.1114より)

  

■ 略 筋 ■

 戦国末期。伊賀の国には高技術を誇る忍者が輩出した。その中に石川村の五右衛門がいた。彼は三太夫の配下に属する下忍(最下級の忍者)だった。その頃、全国制覇の野望に燃える織田信長は宗門の掃討を続けた。そんな信長に対し、天台、真言修験僧の流れをくむ忍者の頭領、三太夫は激しい敵意を持ち下忍達に信長暗殺を命じた。

 一方、三太夫と対立中の藤林長門守も信長暗殺を命令していた。その頃、五右衛門は何故か信長暗殺を命ぜられず三太夫の妻、イノネと砦にいた。彼女の爛熟した体は若い五右衛門に燃え上がり、彼等はもつれた。が、三太夫は女中のハタに二人を監視させていた。五右衛門はその気配を覚りハタを追ったが、その間にイノネは三太夫に殺された。が、五右衛門は三太夫に信長を暗殺すれば罪を許すとささやかれた。

 五右衛門は京に出て、信長を狙ったが、その都度、織田信雄、木下藤吉郎らに阻まれた。信長を追って堺に来た五右衛門は一軒の妓楼でマキという遊女と知り合い、彼女の純心さに惹かれていった。

 ある日、五右衛門はハタにめぐり合い、イノネが三太夫に殺されたことを知り、全てが彼の策略だったことを知った。怒りにもえた五右衛門は急遽伊賀に帰り、三太夫を面罵したが、彼は逃げ去った。

五右衛門はマキと一緒に山中の小屋で日々を送った。ある日、突然三太夫が現われマキを人質にした。五右衛門は愛する者のため三太夫の命に従い安土へ走った。

 その頃、信長は豪壮な安土城を築き得意の絶頂にあった。折りからの築城祝いに乗じ信長の寝所の上に忍び込んだ五右衛門だが、信長毒殺は失敗に帰し、信長は急遽伊賀攻めを敢行した。

 三太夫の砦はすぐに包囲され、建物は炎上していた。が、忍者達は必死に戦った。信雄の采配が一閃した。と、一団となって砦になだれ込む兵達−。瞬間五右衛門も砦に飛び込み三太夫を探したが、情婦と共に死んでいる三太夫を見て愕然とした。何と長門守と同一人物だったのだ。山道を走り出た五右衛門の顔ははればれと明かるかった。( キネマ旬報より )

                          忍びの者              佐藤忠男

 長年独立プロで気骨のある映画を作り続けてきた山本薩夫監督が久しぶりに商業会社で作った娯楽時代劇である。社会問題劇を得意としてきた山本監督らしく、忍術使いという講談的な人間たちに社会性をもたせて、戦国時代に、彼らが、どういう役割りをもち、どういう訓練を受けて生きていたかということを、ある程度なるほどとうなずけるように描いているところが、異色であっておもしろい。

 主人公は、講談で有名な忍術使いの百地三太夫(伊藤雄之助)と、そのでしの石川五右衛門(市川雷蔵)である。五右衛門は、歴史上日本一の泥棒のナンバー・ワンで大悪党ということになっているが、実は忍者のかしらでである三太夫の権謀術数にかかっておどらされていたのだ、という解釈になっている。この三太夫の性格がなかなか変わっていて、二通りの変装を使い分けて、同時に二つの忍者集団のかしらになり、両方を互いにけしかけ、争わせて、織田信長打倒という目的にかり立てている。妻(岸田今日子)さえも徹底的にだましぬいているので、彼にとってはすべての人間は目的をとげるための道具でしかない。

 ところで、そんな考え方の団体の中で、忍者たちは常識では考えられないような自己犠牲の行き方をつらぬきとおしていく。彼らはいったい、何に対して献身していたのだろう。そこのところをもう一歩つっこめば、単なる娯楽映画以上の芸術的な価値が出てきたろう。惜しいところである。

 市川雷蔵も伊藤雄之助も、彼らとしては楽々と演じている程度だが、変わった役を与えられたわき役の俳優たちが、役をたのしんで生き生きと動いているのが目立つ。(新潟日報 昭和37/12/2より)

                     忍びの者           小倉真美

 忍者は他国に潜入して機密を探り、放火や暗殺を行なうスパイで、盛んになったのは戦国時代以来といわれる。伊賀または甲賀地方の地侍が夜討・盗賊をならいとして忍びの術に長じたので、大名諸家はその術技を利用し、忍者として召かかえ、忍びの役に従事させた。忍術は激しい訓練を基本として、各種の兵術、変相、速歩、跳躍などを修練した。術技の多くは秘伝として漏らさなかったので、一般には奇怪な幻術ち見られて伝説化し、講談や初期の日本映画に荒唐無稽な忍術として登場する原因となった。少年時代に立川文庫で読んだ猿飛佐助や霧隠才蔵のスーパーマンぶりに堪能した記憶が今でも残っている。

 この映画に現れる忍者は、特殊な訓練を受けた兵術者の群れとして描かれ、術技も可能性のある範囲に限られ、奇想天外な面白さはないが、リアリティは増した。テロや諜報活動に従う者の非人間性をあばき、今日的な問題に結ぼうとする村山知義の原作を、高岩肇はかなり娯楽性豊かに脚色した。そのため全国制覇の野望を実現しようとする織田信長が宗門の抵抗にあい、延暦寺、石山本願寺などを掃討する時代背景が十分に描かれないので、天台・真言の流れをくむ忍者たちの信長に対する怒りが明確に提示されていないようだ。

 伊賀の二大勢力である百地砦の三太夫と藤林長門守が同一人物であるという史実は、本当なのか新解釈なのか知らないが、推理小説的には興味深いといえる。しかし伊藤雄之助が二役で力演する面白さは別問題として、画面に現れる結果では、無理を重ねる不自然さが目立ってくる。三太夫のとして妻イノネに一指も触れず、長門守としてヒノナに耽溺する有様(つけひげが落ちそうではないか!)など他人をあざむく芝居としても少々滑稽になってくる。

 配下の石川五右衛門とイノネを密通させ、代償として信長暗殺を命ずる非情さは、今日子を時代物に使った魅力で有効に生かされた。京都に出た五右衛門は行動を監視され盗賊を働くことを強要され、人間性の無視を嘆く彼の孤立した感情が強く迫ってくるあたりは、演出とも好調といえる。彼が堺の妓楼でマキという遊女を知り、その無智に近い純心さにひかれ、忍者生活の愚かしさを悟るところは、重要な転機を意味する場面だが、脚色も演出も説得力が足りない。

 忍者たちが捕まり、自らの顔を削ぐような残忍な場面も数回出るが、近頃の時代劇は残酷さを競う傾向があるようだ。忍者対忍者の闘争にも奇手が工夫されて楽しめ、山本薩夫監督は戦時中の「熱風」以来いつも格闘場面が得意だったことが思い出されて、微苦笑させる。進歩的映画作家が娯楽映画を作るのも悪いことではない。しかし面白いだけで感銘の希薄な作品では、作った意義があいまいになると思うが、この異色作の難点はシナリオにあるのだろう。(キネマ旬報より)

興行価値: 大衆小説的な波瀾万丈の動きの中にシンを一本通した大作時代劇。スペクタクル・シーンにお金のかかっていることが、面白さを倍加している。堂々と押せる。

 

 作者の村山知義はプロレタリア作家として知られ、「暴力団記」(昭和4)等を発表後、投獄されて転向。転向文学として名高い「白夜」(昭和9)を発表した。その村山知義作「忍びの者」(昭和35)は、石川五右衛門を階級闘争の闘士として描き、時の権力者・織田信長、豊臣秀吉にあくなき熱い闘いを挑んでいくのである。

 現在光文社文庫の一つとして読むことができ、他に同作者の「忍びの者 五右衛門釜煎り」(昭和38)光文社文庫もある。

詳細は、シリーズ映画「忍びの者シリーズ」参照。

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