〔物 語〕
源判官義経は、兄の鎌倉将軍頼朝と不和となり、平家征伐の大功にも拘らず、都を追われて奥州へと落ちのびていった。彼は人目を忍んで山伏や強力に身をやつし、武蔵坊弁慶を先達として、山伏姿の四天王、伊勢、片岡、亀井、常陸坊らと共に、加賀の国、安宅の新関にさしかかる。
「かく行く先々に関所あっては所詮、みちのくまでは思いもよらず・・・」と、義経は落胆して歎くが、弁慶は、とにかく此処は私にお委せ下さいと宥め、一同は関所に入っていく。
新関の関守は富樫左衛門といい、彼は義経一行が山伏姿に身をやつしていると聞いていたので、早速一行の通行を停めた。
弁慶は仕方なく最後の祈りをして尋常に詮されようと、四天王と共に数珠を揉んで祈った。その姿の殊勝さに富樫は南都東大寺勧進の僧なら勧進帳を読んで聞かしてくれという。
弁慶はハッとした、勿論そんなものなどある筈はなかったが、彼の機転で笈から白紙の巻物を取出して、声高々に天にも響けと読みあげた。
見事な口調に、富樫は感嘆し、尚も山伏についていろいろと問いかけた。弁慶はその都度、なんの淀みもなくスラスラとそれに応えていった。益々感心した富樫は、今は疑いも晴れて関を通ろうとした上に、
「今より勧進の施主につかん・・・」と布施物さえ寄進する。
ホッとした一行は、喜び勇んで通ろうとすると、番卒の一人が、後に続く強力こそ判官殿に似ているといい出したので、富樫は追っとり刀で一同を呼び止めた。スワ一大事と四天王は刀に手をかけて詰め寄る。弁慶はそれを必死に制して、いきなり金剛杖を振り上げた。そして、強力姿の義経を力まかせに打ち据えた。
しかし、富樫と番卒は一向に信ぜず、尚も詰寄るので、四天王たちも彼等に負けじと寄っていく。それを必死に停める弁慶の凄まじいばかりの形相は、天魔鬼神も恐れを抱くかと思われた。
富樫は、その心中の余りの悲痛さ、あわれさにすっかり打たれ、判官と知った上で此の場から逃がす決心をし、由なき疑いをかけたことを深く詫びて涙を流しながら番卒を引き連れて奥へと入っていく。
一同は安堵した。そして弁慶の機転と勇気を讃めたたえたが、弁慶は例え計略とはいえ、主君を打った罪の怖ろしさに、さすが豪毅の彼も熱湯の涙を流して義経に謝るのだった。だが、義経は却ってその機転と智謀を讃め、彼の誠心誠意の志を感謝し、ねぎらった。
弁慶は余りの恐れ多さに飛びすさって平伏し、今日迄の積る辛苦を述懐し、主従いずれも今のはかない身上を嘆く、しかし、何時迄もこうしていられないので、さて出かけようと立ちかけた時、再び富樫が現われ、最前の失礼の詫びに一献差上げたいと酒を勧める。弁慶は喜んで盃を受け、次々と大盃を重ねていった。その内に酔いも廻り、興に乗じて舞を舞い始める。豪放磊落な弁慶の「延年の舞」の見事さに関所の人々も思わず見惚れてしまった。そこで踊が最高潮に達して、人々がうっとりと魅せられている隙をみて、弁慶は秘かに義経と四天王へ合図し先へ立たせ、自分も折を見て笈を背負い、富樫や関所の人々への礼もそこそこに判官たちの後を追って一目散に駈けてゆくであった。
(日生劇場
「寿大歌舞伎」番付より)
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