ところで、千鳥の扮装は従来の定型的な、歌舞伎の田舎娘でした。例の下げ髪に浅黄無地の振袖を、そのまま踏襲していました。いうまでもなく、この扮装は決して写実ではありません。歌舞伎独自の象徴的扮装なのです。若し、今度の演出が、どこまでも原作尊重の線に沿った歴史的リアリズム?で一貫するならば、この千鳥も、原作に明示されてあるとおり「さざえの尻のぐるぐる髷」に、琉球女めいた地味な色目の筒袖でも着せるべきだったでしょう。時には些末的な原文の端々に、神経衰弱的に拘泥し、時には逆にその原文を無視して、歌舞伎の古い約束を、そのまま無批判に黙認しているような態度は、いささか変痴気論めくかも知れませんが、これは不徹底であり、曖昧でないでしょうか。そんな気がされます。

 迎いの船はいつもどおり上手へ着きました。丹左衛門も妹尾も拵えは従来のままで、丹左衛門は白塗り、妹尾は老役でした。そして妹尾が許し文を読み上げると、俊寛の「のう、俊寛は何とて読み落し給うぞ」の台詞になりますが、延二郎はこの台詞を、強く詰問するような調子で出していましたが、ここは詰問よりも疑問の調子から出すほうが本当でしょう。「書きたる文字のあらばこそ」は吉右衛門などですと、大いに糸に乗るところですが、もちろん、今度の俊寛はすべて山城の語り口に依っているのですから、ただ許し文を投げ捨てるのみでした。吉右衛門のアクの強さを褒めるわけではありませんが、それにしても、今度のような演出では「歌舞伎」的滋味の喪失です。

 時蔵にしろ、故雀右衛門にしろ、千鳥のクドキには派手な芝居をさせるいろんな工夫がほどこされたいます。そして、それが、この一幕でしゃ前半と後半との緊強をつなぐ一種の舞踊的緩衝地帯として、舞台の「模様」を変える役目を果します。ところが、今度の演出では、極く地味に(というのは義太夫自体の節調をそのまま)殆ど動きらしい動きがない。「蜑の身なれば一里や二里の海こわいとは思はねど」で自分の姿をかえりみ「八百里九百里」で指を折って数えてから「泳ぎもすいりも」で始めて立って軽く泳ぐような動作を添えた程度でしたが、ここも、理屈はどうあろうとも、やはり舞踊的要素としての振りごとで行きたかったと思われます。でないと、舞台の起伏が非常に単調になる。気持が内攻するばかりで、感情の発散を失うからです。もちろん、これも歌舞伎演出を、義太夫の節調的表現のみに依存しようとする武智さんの根本的な主張なのでしょう。そしてその主張で行けば、チョボを仕勝手本位に伸縮させて、それに誇張的な「当て振り」を嵌め込んで行く従来の演り方は邪道かも知れませんが、だが、その邪道のうちに、むしろ歌舞伎の「痴呆なるもの」としての幻想美が胚胎しているびではないでしょうか。私は、やはりこの件りは、従来どおり千鳥が大いに働いてくれる舞踊的表現の面白さに酔いしれたかったと思います。

 再び、上手から俊寛が駈け出て「この船に乗せて京へやる」で千鳥の裾にすがる。船から妹尾が飛んで降りて「うぬめ乗れとかかれば」で、右手に中啓をあげて俊寛を見込む形で極りました。総じて小金吾の妹尾は老役の無理が目立ちます。第一に腰が決っていないので形になりませんでした。若い人だけに見ていて気の毒です。

 妹尾が一太刀浴びてからの、俊寛とのタテは、これも吉右衛門式の濃厚さでなく、殆ど糸に乗らず、極く淡々とやっていました。それでいて「改めて鬼界ケ島の流人なれば」で、右手に太刀、左手で髭をしごく例の「関羽見得」だけはそのまま踏襲していました。延二郎の俊寛は台詞の締まってないのが欠点。もっとも、間のびのするいい廻しは、これも義太夫のハラで押して行く武智さんの注文に違いありませんが、前半が悪く、ただ後半のみは(右の二度目の出以後)イキが詰っていて、よき演技を示していました。